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十四歳


「今日はいい天気ですわね、ルイス様」


 晴れ渡った青空の下、日傘をさしながらルイス様と並んで歩く。

 お城の庭園は美しく花が咲き乱れている。


「エステル嬢。その先は道がぬかるんでいる」

「あら、ありがとうございます」


 噴水の側を行こうとした私を、ルイス様が声をかけてくれて、私には触れないようにしながらエスコートしてくれる。

 婚約者の関係とはいっても、未婚の男女がみだりに触れることはよろしくなく、ルイス様はその辺を弁えている見事な紳士に成長した。

 最近はこうして一緒に庭を散策することもある。

 もちろん二人っきりはよくないので、私には侍女のソフィアが、ルイス様には護衛騎士がついている。

 ルイス様はあまり喋る方ではないので、主に私が喋るばかりだけど、きちんと相槌を返してくれるのでこうして喋りながら外を回るのは結構楽しかった。


 その途中で、下の庭の方に知っている人影を見つけて、思わず私は城壁から身を乗り出した。

 あれは次兄のセシルお兄様の姿。

 この下は王立の植物研究所があったはず。

 セシルお兄様は研究所で働いているからお城で見かけてもおかしくはないのだけど、私が気になったのは隣に髪の長い女性の姿があったからだった。


「……ルイス様、あのお方はどなたですか?」

「誰……ああ、君の兄上といらっしゃる女性? 隣国から植物学の視察ためにいらしている姫君だ。君の兄上に案内役を任せている」


 ルイス様も隣から身を乗り出して見やると、女性のことを説明してくれた。

 それを聞いて、私の頭の中には小説の中の悪役令嬢の二番目の兄のことが思い浮かんだ。


 小説の中では悪役令嬢の二番目の兄は、王族の姫君に一方的に懸想し恋に狂って姫君をつけまわす。

 いわばストーカー男。

 つけ回された姫君は恐怖に追い詰められて、心身をすり減らしてまうのだ。

 まさかセシルお兄様がそんなことをするなんて。


「こうしてはいられませんわ! ルイス様、用事を思い出したのでこれにて失礼いたします!」

「お、お嬢様……!」


 頭の中にその設定が巡り、私はさしていた日傘を急いで畳むと、後ろで聞こえたソフィアの声も撒いて全力疾走した。







 セシルお兄様は植物学の研究をされている。

 長兄のデリックお兄様とは反対に、真面目で頑張り屋なので研究職は合っているらしい。

 外交的な性格ではないから、女性との接点なんてあまりないと思っていたのに、女性と二人で薔薇園を歩いている。


「こちらは南の品種と交配してできた薔薇です。冬の寒さにも強いので、一年を通して咲くことができます」

「まぁ……。寒い冬にも花が咲いていれば、きっと人々の心も明るくなりましょう」


 私は薔薇の生垣に隠れて二人の様子をこっそりと伺った。

 決してこれは覗き見じゃない。

 セシルお兄様が悪役にならないよう見ているのよ。


 そんな私の心配をつゆ知らず、二人は薔薇を一種類ずつ見て回っていた。

 隣国の姫君は、セシルお兄様と同じ年頃のようで、上品で綺麗な顔立ちをしている。

 けれど隣国まで視察に来るほどだからか、熱心にセシルお兄様の説明を聞いていた。


「我が国はこちらよりも冬の寒さが厳しく、花も植物も育ち辛いのです」

「寒さに強い野菜などを研究もしております。今度ご案内しましょう」

「ありがとうございます」


 姫君は嬉しそうに微笑むと、セシルお兄様を真っ直ぐに見つめてお礼を言った。

 王族だからと言って偉ぶることもなく、優しそうな雰囲気が伝わってくる。


 離れたところにいた女官達に付き添われて去っていく姫君の後ろ姿を、セシルお兄様はいつまでも見送っている。

 ちょっと長いんじゃないだろうか。

 いつまでもその場を動かないセシルお兄様が、小さな声で呟いた。


「彼女の全てが手に入るなら……」


 聞こえた言葉に、私は真っ青になった。

 セシルお兄様、ストーカーは絶対反対。







 公爵邸に戻った後、セシルお兄様が帰ってくるのを待って私は部屋へと訪ねた。


「セシルお兄様、今よろしいですか?」


 廊下から声をかけると、出仕着から着替えたセシルお兄様が扉を開けて中に入れてくれた。


「エステル。ああ、良いよ。どうかしたのか?」

「何でもないんだけど、お兄様お暇かなって思って」

「ちょうどよかった。これをあげるよ。今研究所で育てている薔薇で、一年を通して咲くことができる品種なんだ」


 知ってます。

 さっき陰で聞いていましたもん。

 なんて言えないので、言葉は心にしまって薔薇の鉢植えを貰った。

 机の上にはもう一鉢同じものがある。

 あれは誰に渡すつもりなのか気になって、本題に入ることにした。


「お、お兄様。最近どうですか……?」

「どう……っていうと?」


 遠まわしすぎたかしら。

 言葉を探しながら本質に迫ってみる。


「そ、その、デリックお兄様が結婚しちゃったし、セシルお兄様にも恋人とかいらっしゃるのかなーって……」

「いないよ。今のところは、研究の方が楽しいからね」

「そ、そうなのね……」


 セシルお兄様は恋人はいないと言った。

 じゃあデリックお兄様の時に勘違いしたみたいに、実は恋人同士ってわけでもないのね。

 デリックお兄様のときは先走ってしまって迷惑をかけたから、今度はきちんと聞いてみたのに、それを否定されてしまった。

 やっぱりセシルお兄様の片思いなのかしら。

 どうにかしてストーカーにならないよう阻止しなければ。


「どうした? ルイス殿下と何かあったのか?」

「ルイス様? いいえ、特に」

「そうか。婚約者なんだ、仲良くするんだよ」


 セシルお兄様、今は私のことなんてどうでもいいのよ。

 お兄様が悪役にならないことが大事なのだから。







 翌日、私はこっそりセシルお兄様の仕事場を覗き見ることにした。

 一緒に来たソフィアはそんな私を訝しげにしている。


「お嬢様? 見学したいと仰れば、セシル様は入れてくださいますと思いますよ」


 お兄様に知られてしまっては意味がないのよ。

 研究所の責任者にセシルお兄様に内緒にして貰うよう頼んで、こっそり中に入った。

 中は意外と広くて、色んな植物が育てられている。

 その奥の方に、セシルお兄様と姫君は二人でいた。

 周囲には二人の他に誰もいなくて、まさに二人っきり。

 男女を二人だけにするなんてまずいでしょう、と焦る。


「これをどうぞ。昨日の薔薇です」

「まあ、よろしいのですか?」

「はい。どうか、あなたの手で育ててください」


 セシルお兄様が姫君に渡したのは、昨日机の上にあったもう一つの鉢植えだった。

 予想していた通り姫君にあげるものだったんだ。

 それを姫君に渡した時だった。


「ありがとうございます――あっ……」

「危ないっ……」


 鉢植えを受け取った姫君は、少し重い鉢植えに手を滑らせて落としそうになった。

 それをセシルお兄様が手を伸ばして、姫君の手に自分の手を重ねて支える。

 まるで抱き合うように近づいた二人の視線が、至近距離で見つめあった。


「姫……」

「いけません……。いけません、どうか……」


 セシルお兄様が未婚の男女の適正な距離感を超えて近づこうとして、姫君は首を振って顔を反らした。

 姫君は、いけませんと拒否する言葉を言ったのに、セシルお兄様の手は離れることなくより強く握られる。

 その光景に、私は心の中で悲鳴を上げた。


 小説の中では悪役令嬢の二番目の兄は、他国の姫君に一方的に思いを募らせ、姫君の気持ちを無視してつきまとい、彼女を心身共に追い詰めていく。

 セシルお兄様は真面目で誠実な人で、女性の嫌がることなんて絶対にしないはずなのに。

 今、目の前で見ている光景は、嫌がる姫君に無理に迫っている、悪役令嬢の兄にしか見えなかった。


「だ、だめよ、お兄様……っ!」


 見ていられず私は飛び出した。


「エステル……?」


 セシルお兄様は驚いた様子で振り返った。

 二人の重なっていた手が離れ、互いの間に距離ができる。


「セシルお兄様! 彼女は異国の姫君なんだから、手の届かないお相手なのよ!」

「……気づいていたのか。分かっているんだ、こんなことは許されないと」

「だ、だったら……っ」

「もちろん私たちはこの関係を公にするつもりはない」


 ストーカーなんて止めて……と言おうとして、言葉の続きに首を傾げた。

 セシルお兄様は、私たちって言った。

 よく見ると、二人はお互いに見つめあっている。


「彼女は手の届かない姫君だ。公爵家の次男でしかない私とは、許されない恋だと分かっている……」

「私も、この短い滞在のことを思い出に、この先の人生を生きていきます……」


 あれ、これはセシルお兄様のストーカー行為じゃなくて、許されない恋に落ちた二人では。

 セシルお兄様が恋人はいないと言ったのは、付き合っている人がいないという意味じゃなくて、恋人だと公に言えないということだったのだろうか。 


 悪役令嬢の兄になってしまうのを阻止したくて割って入ったけど、許されない恋に引き裂かれる二人に私はどうしていいか分からなくなってしまった。

 二人は自分たちの立場を分かって諦めるつもりのようだけど、それはあまりに切なかった。

 けれど私にはどうすることもできずにいたその時、知っている声が届いた。


「――諦めなくても良いのでは?」

「ルイス様……!」


 振り返った先には、ルイス様が護衛騎士と一緒に立っていた。

 ルイス様はセシルお兄様たちの方を目を向ける。


「エステル嬢が私と結婚すれば、王子妃の兄君であるわけですから。もちろん、セシル殿の誠意と気持ち次第だとは思いますし、簡単なことではないでしょうが」


 ルイス様の口から結婚という言葉が出たのは初めてで、私は少し驚いた。

 そうか、私がルイス様と結婚できれば、王族の親戚になるのね。

 諦めなくても良いと知って、嬉しくなってセシルお兄様達の方を見た。


「姫との仲を認めていただけるのでしたら、私は何でもしてみせます。どうか、私を待っていてくださいますか?」

「はい……。はい……、いつまでもお待ちしております」


 セシルお兄様はルイス様の言葉を聞いて、一筋の光を見つけたように姫君を見つめる。

 姫君も涙ぐんでセシルお兄様を見上げていた。


 良かった。

 セシルお兄様はストーカー男でもなく、許されない恋を諦めることもなく、好きな人と幸せになることができる。


 後で私はルイス様にお礼を言った。

 ルイス様があの場に来てああ言ってくれなかったら、こんな風にまとまることはなかったと思う。

 ありがとうございました、と伝えたら、彼はふいっと顔を背けて、将来の義兄のためだから、と言った。

 なんとなくそれが私には嬉しかった。


 ヒロインが現れるまであと二年。

 よし、お兄様のためにも頑張らなければ!




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