十三歳
我が公爵家は毎日騒々しい。
本当は貴族というのは常に落ち着いていないとならないらしいけれど、家族だけの場では平民として市井で暮らしていたころの癖が未だに抜けていない。
「あ! デリックお兄様、それ私のよ!」
「悪い、悪い。急いでるんだ」
デリックお兄様は私のパンを横から取ると、持ったまま慌てて仕事へ行った。
おっとりしたお母様は、私たちの様子を横で見て笑っている。
「相変わらずデリックは落ち着きがないわねえ」
「あんなに慌ててどうしたのかしら。出仕の時間にはまだ早いのに」
長兄のデリックお兄様は、王国騎士団に入隊した。
町のガキ大将タイプだったから、多分適職なんだと思う。
早く出るんなら、もう少し早起きして落ち着いて朝食をすませたら良いのに。
そんなことをぼやいていると、隣に座るコリンが口を開いた。
「ぼく知ってます。デリック兄様は、女の人と会ってるんです」
「あら、そういうお年頃なのね」
お母様は変わらずおっとりと笑う。
私の方は思わず息が止まった。
そんな呑気な話なんかじゃないのよ、お母様。
「コリン、それ本当なの……?」
「はい。この間、お城に遊びに行った時にエドワード殿下と一緒に見ました」
勘違いであってほしいと願いながらコリンに尋ねたのに、あっけなく頷かれてしまった。
どうしよう、こんなことになるなんて。
最近忘れかけていた小説のストーリーが頭をよぎる。
小説の中では、悪役令嬢の長兄は、お城の女官たちに狼藉を働く非道な男として出てくる。
手を出す相手が身分の低い女官たちばかりだから、公爵子息を相手に訴えることもできず、女性を弄んではポイ捨てする最低の男なのだ。
なんということ。
デリックお兄様がそんな小説の筋書き通りの道を進むなんて。
恒例のルイス様とのお茶会で、それとなく聞いてみることにした。
殿下が名前で呼ぶことを許可してくれてから一年。
仲良くなれたとまではいえなくても、最近は良好な婚約者関係を築けている。
初めて会ったときに一言で会話が終了したことを思えば、大分進歩したと言えるはず。
ようやくここまで来たのに、家族が悪役になってしまうなんて。
コリンが見たのは、たまたま女性といただけかもしれないし。
デリックお兄様の真相を確かめなければならない。
「あの、ルイス様」
「何?」
お茶会の中盤で、タイミングを見計らって切り出した。
「お城でデリックお兄様の噂とかありませんか……?」
「デリック殿?」
殿下は怪訝そうに顔を上げた。
けれどすぐに首を横に振る。
「特に聞かないけど」
「そうですか……」
やっぱりコリンの話はただの勘違いなのだろうか。
それともルイス様の耳に届いていないだけだろうか。
「何か聞いているか?」
ルイス様は側に控えている護衛騎士に尋ねた。
デリックお兄様も騎士団に所属しているし、彼との方が接点はあるかもしれない。
私はカップを握ったまま返答を待った。
「噂は特に」
短い返事に、ほっと安心する。
良かった、やっぱりコリンの勘違いなんだろうと安心した私の耳に、言葉の続きが入ってきた。
「噂ではないですが、最近よく洗濯場に行っているとは聞きます」
「洗濯場? 騎士には用がないだろう」
思わずカップを落としそうになった。
洗濯場とは城の裏方な場所だ。
ルイス様の言う通り、騎士団とは関係がない。
洗濯場にいるのは、お城の洗濯を担う女官たちだ。
そんなところにデリックお兄様が行っているということに、私は全身から血が引く思いだった。
お茶会が終わった後、ソフィアを連れてお城の洗濯場へと向かった。
「お嬢様、このようなところ入っては叱られます……っ」
「大丈夫、大丈夫!」
洗濯場はお城の奥まった場所にある。
もちろん貴族令嬢が足を踏み入れるところではない。
ソフィアに止められながらも、私は何としても確かめたかった。
デリックお兄様は確かに腕っぷしが良くてがさつだけど、女性にひどい真似をするような人ではないはず。
何かの間違いであってほしい。
そう思っていたのに、たどり着いた洗濯場の建物の陰で、二つの人影を見つけてしまった。
「嘘……」
「あら、あれはデリック様ですか……?」
固まる私の後ろで、ソフィアが顔を出して覗き込んだ。
目立つ騎士団の制服が、この場に違和感を漂わせている。
デリックお兄様と、お城のお仕着せを着た女官の姿。
ルイス様の護衛騎士の言葉を聞いても、間違いなはずと願ってここまで来たのに、とうとうデリックお兄様が女性といるところを目の当たりにしてしまった。
二人は何か話しているようだけど、あいにく話の内容までは聞こえなかった。
俯く女官にたいしてデリックお兄様が詰め寄っている様子で、なんだか不穏な空気を醸し出している。
「どうしよう……」
小説のストーリーが頭をよぎる。
女官達を次々と弄ぶ、悪役令嬢の兄。
悪役令嬢の家族もまた悪役なのだ。
同情の余地すらなかった非道な行いの数々に、握った手が震えてしまう。
すると、話している様子のデリックお兄様に、女官が顔を背けてその場から立ち去ろうとした。
それをデリックお兄様が手を伸ばして捕まえる。
まさかこんなところで狼藉を働くつもりなのか、驚いた私は思わず飛び出してしまった。
「デリックお兄様!!」
私の叫び声に、デリックお兄様はびっくりした様子で振り返る。
「エ、エステル……?」
目を丸くしているデリックお兄様の陰に、涙を浮かべている女官を見た瞬間、私は真っ青になって止めに入った。
「どうか女官たちを弄ぶなんて真似は止めて!」
女官達に狼藉を働き、家族が崩壊していくなんて未来は耐えられない。
私は二人の間に割って入って必死で止めた。
すると、女官の女性がか細い声を出した。
「女官……たち……? 私以外にも……?」
「メアリー! 違うっ、誤解だ!!」
女性の言葉に、なぜかデリックお兄様は顔を青くして慌てて否定する。
そんなデリックお兄様を見上げる女性の目からは、涙がぽろぽろと零れ落ちてく。
「やっぱり身分の違う私とは遊びだったのですね……」
「お前以外にはいない! 本当だ、信じてくれ、メアリー!」
泣き出してしまった女性に、デリックお兄様は大きな体をあたふたさせている。
私はその展開に茫然とした。
なんか想像していたのと違う。
そう思っていると、デリックお兄様が私の方を振り返った。
「エステル! おまえ一体どういうつもりなんだー!?」
お兄様の怒った声が響いた。
その夜、我が公爵家の屋敷には、家族全員と件の女官の女性が大集合した。
なんと、デリックお兄様は女官――名前をメアリーさんという女性と真剣に付き合っていたらしい。
もちろん他に恋人などいなく。
メアリーさんは貴族ではなくて平民で、彼女曰く公爵家長男であるデリックお兄様との身分差に悩んでいたということ。
それをデリックお兄様が時間をかけて何度も説得していたという。
そこに私が突然入ってきて、女官たちを弄んでいるなどと言ったせいで話がこじれてしまったらしい。
「すみませんでした、私の勘違いで……」
「一体何をどう勘違いしたら、実の兄にあんな濡れ衣着せるんだよ……」
とんでもない誤解をしてしまった私は、メアリーさんにひたすら謝罪した。
けど下町育ちだったせいか、紳士とは程遠い荒っぽい野生騎士みたいなデリックお兄様が、そんなに真摯なおつきあいをしていたなんて。
それも正直驚いた。
今も突然連れてこられた公爵邸で萎縮しきっているメアリーさんの隣に座り、優しく気を使っている。
デリックお兄様の意外なところを知ってしまった。
「けど、ちょうどいい機会だ。父上、母上」
デリックお兄様は真剣な表情で、お父様とお母様の方を向いた。
「彼女とは確かに身分の違いがあります。けれど、俺は優しく穏やかな彼女を愛しています。どうか彼女との結婚を認めてください」
デリックお兄様は頭を下げてお父様たちに許しを願った。
思わず私達兄妹全員も、真剣な表情でお父様を見つめる。
お父様は、真っ直ぐにデリックお兄様を見ていた。
「身分の差で許されない辛さは私がよく分かる。おまえが考えて決めたことならば、私たちは反対しない」
お父様の言葉に、お母様も笑顔で頷く。
それを聞いてデリックお兄様は顔を上げた。
ソファから立ち上がると、膝をついてメアリーさんに向き合った。
「メアリー。一生大切にするから、どうか俺と結婚してほしい」
「はい……っ」
手を取ってプロポーズするデリックお兄様に、メアリーさんは泣き出しながらも頷いた。
それはとても素敵な光景だった。
デリックお兄様がこんな素敵なプロポーズをできるなんて。
やるじゃない、デリックお兄様も。
家族全員で拍手をして、新しい家族を祝福をした。
結局、デリックお兄様の件は私の誤解で、代わりに義姉ができる嬉しい展開になった。
お父様もお母様も小説のようにはならなかったのだから、全て私の心配しすぎなだけだった。
セシルお兄様だって、きっと小説の通りになんてならないはず。
きっとそうよね。