十二歳
「お嬢様。今日はどのような髪型にいたしますか?」
「任せるわ。ソフィアのしてくれる髪型はどれも素敵だもの」
女子会みたいな会話をしながら、鏡越しに後ろにいる侍女のソフィアと笑みを交わす。
手慣れた仕草で彼女は私の髪を梳かした。
殿下の婚約者に決まった後、いまいち貴族令嬢らしからぬ私を心配して、両親が年の近い侍女をつけてくれた。
元は男爵令嬢だったらしいけれど、家が没落してしまったという身の上のソフィアは、上品で淑女の鏡といった可愛らしい少女だった。
年は私より二つ上であまり変わらないけど、苦労をしてきたせいかとても落ち着いている。
小説の中の悪役令嬢は、屋敷でも我儘し放題で、使用人たちもみんな迷惑を被り彼らからも嫌われてしまう。
殿下の怒りを買ったときにも、悪役令嬢の味方につく人は一人もいなかった。
すべて身から出た錆。
その上、ヒロインに嫉妬して嫌がらせをするときに、悪役令嬢は侍女にも手伝わせて、殿下の怒りを買った際には侍女も陰謀に加担したということで共に幽閉されてしまう。
「私、ソフィアに苦労なんてさせないからね」
「まあ、お嬢さま。私は苦労なんてしておりませんよ」
ソフィアは私の髪を編み込んで後頭部にまとめながら、穏やかな表情で笑った。
年も近い彼女とは、友達のような感じでいろんな話ができて仲が良い。
こんな良い子を一緒に幽閉なんかさせないために、殿下に好かれるように頑張ろうと、膝の上で組んだ手に力をこめた。
今日はお城でのお茶会じゃなく、我が家に殿下がやってくる。
殿下と第三王子が遊びに来る日なのだ。
非公式だから大げさな準備は必要ないと事前に言われてるため、お父様とお兄様たちはいつも通り仕事に出ている。
お母様と弟のコリンと一緒に、愛想よく出迎えた。
「殿下方、ようこそおいでくださいました」
王家の馬車から殿下と第三王子と、付き添いの殿下の護衛騎士が降りてくる。
お母様に挨拶をする殿下の側から、エドワード殿下が小走りで駆け寄ってきた。
「こんにちは、エドワード殿下」
「きょうは、おまねきありがとうございます」
「こちらこそ、楽しみにしておりましたわ。こっちが、弟のコリンです」
お母様の側にくっついていたコリンを呼び、二人はお互いに自己紹介をする。
にこにこと笑いあっている姿を見ると、仲の良い友人になりそうだ。
「エドワード。二人で遊んでおいで」
「はい、あにうえ!」
殿下に促され、お母様と一緒に小さな二人は中庭へと駆けていった。
何て可愛いんだろう。
顔の造りは殿下と同じなのに、表情は全く異なる。
殿下が忘れてきた分の愛想をエドワード殿下が受け継いだんじゃないかと、本気で思ってしまうくらい。
でも、殿下は弟のエドワード殿下のことは可愛がっているらしい。
表情はそれほど変わらないけど、よく気遣ってあげていた。
そんな様子を見ていると、殿下のことも少しは親しみが持てた。
殿下と並んで、小さな二人の姿が見えなくなるまで見送ってから、私の今日やることを考える。
私の今日の役目は、うちに来てくれた殿下をおもてなしすること。
公爵家の名に恥じるわけにもいかない。
「殿下、よろしければお庭をご案内いたしますわ」
うちの庭は結構自慢の庭だ。
コリン達が遊びに行った中庭とは別に、庭師が整えた花園とかもある。
「……ああ」
けれど、殿下はあまり興味なさそうに返事をした。
男の子に庭はあまりそそられないものかもしれない。
もっと別のことの方が良いんだろうか思案して、ふと思い出した。
「あ、殿下。書庫をご覧になりますか?」
お父様と次兄のセシルお兄様が本の虫だから、うちにはかなりの量の蔵書がある。
お城の書庫も素晴らしいけど、うちにはお城には置かないような巷の本や、外国の本なども集めている。
「お城の書庫とは違った本も置いているんです」
「ああ」
今度は返事が早かったので、きっと庭よりは興味を持ってくれたかもしれない。
殿下の近衛騎士とソフィアを連れて、書庫のある離れに向かった。
「……すごい」
離れの一棟丸ごと本で埋め尽くされた書庫の中で、天井まで続く本棚を殿下が見上げて呟く。
代々公爵家の人々が好きな本を集めたらしく、統一性はないけれど多種にわたって入門編からマイナーまでそろっている。
殿下には物珍しい本もあったようで、棚をじっくり見ていた。
「父も自由にしていいと言ってましたので、お好きになさってください」
私も好きな英雄譚の本を手に取った。
前世では恋愛小説が好きだったけど、今は遠慮したい。
「君もそれを読むの?」
「はい。殿下も読んだことありますか?」
持っている英雄譚は子供用ではあるけど、巻数が膨大で読みごたえのある長編物語だ。
「昔に読んだ」
「そうだったんですか。私は最近読み始めたんですけど、つい徹夜してしまうくらい面白いです」
栞を挟んでいた本ともう一冊続きを取って、いつものお気に入りの窓際の席につく。
殿下の方は外国の本を興味深そうに取っていた。
しばらくして選び抜いたのか、私から少し離れたところのソファに座って、ページをめくる音がした。
殿下の護衛騎士とソフィアはその向こうで控えている。
そうして、気づけば私と殿下は別々に本を読んで過ごした。
屋敷の使用人が呼びに来るまで、時間を忘れて本を読みふけった。
エドワード殿下は遊び疲れて眠ってしまったらしく、殿下の護衛騎士が馬車へ連れて行ってる。
「本当に借りていっても良いのかい?」
「ええ、どうぞ。殿下が他にも気になるものがあれば、遠慮なく仰ってください」
帰るときに、殿下が興味を持っていた本を数冊貸し出した。
結局自分の好きな本をそれぞれで読み続けたので、殿下との仲を深めることはできなかった。
でも殿下が本好きなことを知れたし、また本を口実にうちに誘おうかしら。
図書館デートとは大分違う気もするけれど。
「……名前で良い」
「え?」
次の策を考えていた時、殿下が何かを言った。
まずい、考え事をしていて聞き逃してしまった。
「名前で構わない」
「え……、あっ、ルイス様とお呼びして良いのですか?」
そう確認すると、殿下――もとい、ルイス様は頷いた。
私は心の中が晴れ渡った気分になった。
名前で呼ぶことを許してくれたなんて、少しはルイス様の内に入れたみたい。
婚約者に決まって二年。
長かったけれどようやく一歩前進できた。
お母様も変わらず一緒にいるし、お父様も優しいし、弟もできたし、この調子で頑張れば私は悪役令嬢にならず、きっと婚約破棄もされないですむ。
明るい未来を思い描いて心から大喜びした。
――けれど、小説の筋書きを思い知る日がくることを、この時の私はまだ知らなかった。