十歳
公爵家に戻ってから、お父様とお母様は正式に結婚した。
駆け落ちして十年以上も逃げたお父様に、公爵家も根負けしたらしい。
再び逃げられては困るという、切なる事情もあったようだけど。
そして十歳の時、私の婚約が決まった。
相手は私より一つ年上の、国王陛下の二番目の王子。
「想定通りね……」
小説の筋書き通りの展開。
「エステル? 何か言ったかい?」
「どうしたの、エステル」
「いいえ、お父様、お母様。何でもありませんわ」
不思議そうにこちらを見たお父様とお母様に、笑顔で首を振る。
「何だ、緊張する柄じゃないだろ?」
「兄さん、エステルだって緊張くらいしますよ」
長兄のデリックお兄様はいつものように私の髪飾りを引っ張ってちょっかいをだし、次兄のセシルお兄様がそれに溜息をつきながら直してくれた。
公爵家に来てから貴族としてのマナーを教え込まれたけど、市井暮らしが長かったせいかうちの家族はあまり貴族といった雰囲気がないくらいにのんびりしている。
特にデリックお兄様は貴族には思えない。
「ねえさま!」
「あら。コリン」
公爵家に帰ってから二年後に、両親にはもう一人子供が生まれた。
八歳下の私の弟。
何とも夫婦仲が良いことで。
お父様とお母様は万年新婚夫婦なので、二人を引き離すのは難しいと思う。
これでお父様が妻を失って人間不信になる可能性は回避できた。
「ねえさま、きれい」
いつもり着飾った私を見て、弟はきらきらとした目で褒めてくれた。
「ありがとう。今日はね、お城へ行くのよ」
そう、今日は婚約者である第二王子に会う日なのだ。
ヒロインは私が十六歳の時に彗星の如く突如として現れるから、しばらくは心配ない。
それまでに、婚約者である王子に嫌われてしまう悪役令嬢にならないよう気をつけないといけない。
小説の中では悪役になるくらい盲目的に恋をしていたけれど、さすがにそれはありえない。
それに、実年齢十歳、精神年齢二十ウン歳にかかれば、王子様といってもたかだか十一歳の子供くらい何ともない。
そう思っていたのに。
お父様に連れられて、初めて婚約者と対面した私は、茫然とすることになった。
輝くブロンドの髪に、透き通った青空のような瞳、彫刻の様に端正な目鼻立ち。
王子様という言葉を具現化したような、絶世の美少年がそこにいた。
前世で人気だったアイドルたちなんて目じゃないレベル。
もう雰囲気から上品さが漂っている。
想像を超えた王子様っぷりに驚いていると、お父様に挨拶をするよう促されてはっとした。
「は、初めまして。エステル・ハーディングと申します。どうぞよろしくお願いします」
ちなみにこの世界での私の顔はなかなか良い。
髪の色は王子様ほど輝いたブロンドではないけれどくるくる巻いているし、色は公爵家に来て美白されたのでピンクの頬と赤い唇が強調されて、グリーンの目は大きくて目尻が少し上がっている。
まあ、なんていうか、ちやほやされたら図に乗りそうな顔立ち。
けどそんなことにならないように、お行儀よく笑って挨拶をした。
「ルイスだ」
第二王子は笑顔一つ浮かべず、たった一言名前を言うだけだった。
それっきり、興味なさそうに顔を背けたまま沈黙が流れた。
なんということ。
この王子様、難攻不落だ。
愛想がない、歩み寄る気配もない。
完全にこの婚約に乗り気ではない様子が溢れ出ていた。
そして私は思い出した。
前世は会社とアパートの往復、彼氏なしイコール年齢というアラサーだったことを。
大学は女子が多い学部だったし、就職した会社も同性ばかりで、男は既婚上司くらいだった。
出会いもなく、その内に彼氏もできるだろうと呑気に考え、愛読の恋愛小説を読もうと良い気分で帰宅していた途中で、車にひかれて死んでしまった。
ようするに、恋愛スキルなんてない。
そんな私に、どうやってこの名実ともに王子様を落とせるのだろう。
「エステル、気にするな。殿下は無口なだけだから」
「はい、お父様……」
帰りの馬車でお父様は励ましてくれたけれど、私の気分はそう簡単に浮上しなかった。
お父様は分かっていない。
これは小さな婚約者同士が話が弾まなかった程度の簡単な問題じゃないことを。
殿下が私を好きにならなかったら、優しいヒロインに惹かれて、悪役令嬢は婚約破棄となり幽閉される将来が待っている。
私は帰りの馬車の中で、これからの策をひたすら練り直した。