はじまりは
どこにでもいる普通の家族だった。
優しい両親と、五歳上と三歳上のお兄様たちに囲まれて、楽しく毎日を過ごしていた。
そんな生活に大事件が起きたのは、私が六歳の時だった。
なんと、お父様は公爵家の後継ぎだったらしい。
公爵家でメイドをしていたお母様と恋に落ち、周囲に結婚を反対されて二人で駆け落ちをしたというのだ。
身分を隠して市井に紛れて生活をしていたところに、お父様の実家である公爵家は十数年かけて私たちを探し出した。
突然現れた大層な格好の公爵家の使者たちを、私はお兄様たちと扉の陰に隠れて覗き見た。
「旦那様はもうお二人を反対しておりません」
「ご結婚を認めるので、戻ってくるよう仰っていました」
公爵家の使者たちは、必死にお父様を連れ戻そうしている。
使者たちの説得に、お父様とお母様は顔を見合わせて何かを考えている様子だった。
そんな様子を見ながら、自分はお嬢様なのかしらと、呑気なことを思っていた。
けれど、使者が次の言葉を続けた瞬間だった。
「奥様は後から必ずお連れします、ですから先にお戻りを」
使者の一人が言ったその言葉を聞いた瞬間、突然頭を強く殴られたような衝撃が走った。
そして私は気づいた。
これは前世で愛読していた恋愛小説だ。
その恋愛小説の中で、ヒロインを苛めていた悪役令嬢の役だと。
恋愛小説の中の悪役令嬢は、父と兄たちと一緒に公爵家に連れて行かれると、公爵令嬢としての生活が始まる。
それは誰もが憧れるお嬢様そのものだけど、これが転落人生の始まりだった。
使者たちは、後から母親を連れて行くと言ったが、それは嘘だった。
悪役令嬢の母親は家族と引き離された後、行方が分からなくなり二度と会うことは叶わない。
妻と離され実家へ戻された悪役令嬢の父親は、妻を失った寂しさから人間不信になり子供たちを顧みなくなる。
長兄は窮屈な公爵家での生活で乱暴な人となり、城の女官達に狼藉を働く。
次兄は他国の王族の姫君に一方的に懸想して、陰からつきまとい姫君を心身ともに追い詰める。
そして悪役令嬢は、家族が次々と崩壊していく孤独の中でわがままな性格となり、婚約者の第二王子に愛想を尽かされていく。
そんな第二王子を労わるのが、小説の主人公であるヒロイン。
王子が優しいヒロインに惹かれるのを見て、嫉妬心からヒロインを苛めた結果、茶会の席で婚約破棄を言い渡されて、数々の罪を暴かれて幽閉されてしまう。
そのストーリーを思い出した瞬間、私はいきなり倒れた。
気がついたときには、心配そうに家族が私を覗き込んでいた。
お父様にお母様にお兄様たち。
私のことを心配してくれるこの優しい家族を失いたくない。
そう思った私は決意した。
未来を変えてやると。
とりあえず、お母様と離れ離れになってしまってはいけない。
公爵家の使者たちが先にお父様と子供達だけを連れて行こうとするのを、私は泣き喚いてごねた。
六歳児で本当に良かった。
母と離れたくないと泣く幼い子供に、使者たちも強硬手段には出れなかった。
お父様も私があまりにも泣くものだから、家族全員一緒でなければ戻らないと譲らず、困り果てた使者たちは家族全員を連れて行かざるをえなくなった。
そうして私の公爵令嬢としての生活が始まった。
婚約破棄を回避するために――――。