タヌキ山の人間病
「たいへんよ!」
叫び声で目がさめた。
――あれ?
部屋の中がいつもとちがう。やけにうす暗いし、とてもせまいところで寝ている。
それにベッドも落葉に変わっている。
考える間もなく、それからすぐにバタバタ足音がしてドアがあいた。
――えっ!
ボクは腰をぬかすほどおどろいた。
部屋に入ってきたのが二匹のタヌキだったのだ。
「ああ、なんてことだ。たった一晩のうちに、人間に変わってしまうなんて」
一匹のタヌキが頭をかかえた。
「かわいそうに」
もう一匹は声をふるわせながら言った。
二匹のタヌキの声は、なんとおとうさんとおかあさんではないか。
ふたりがタヌキになっているのだ。
――どうなってんだ!
なぜか声が出ない。
「この子、なにもしゃべらないわ。きっとわたしたちのこと、わからないんだわ」
おかあさんタヌキは、いまにも泣き出しそうな顔をしている。
「まさかこの子まで、こんな病気にかかってしまうとは……」
「ちかごろ、学校ではやってるらしいの。それでうつされたんだわ」
「山に人間が入ってきてからだ。人間が、こんなひどい病気をもちこんだんだ」
「ねえ、どうしましょう?」
「とにかく、このことをかくさないと。どこかに連れていかれてしまうからな」
「かわいそうに」
「とりあえず学校には、カゼで休ませると連絡しておこう」
おとうさんタヌキはあわてたようすで部屋を出ていった。
――ボク、もともと人間だよ。おかあさんたちの方こそ、タヌキに変わったんだよ。
何度もそう言おうとした。
だけど、さっきからどうしても声が出ない。
「顔が赤いわ」
おかあさんタヌキがそばに来て、ボクのひたいに手をあてた。
「熱があるわ。すぐに冷やさなきゃ」
おかあさんタヌキも部屋を出ていった。
家の外から、言い争う声が聞こえてきた。
「お子さん、まさかあの病気で学校を休んでるじゃないでしょうね」
知らない声に続いて、おとうさんの声がする。
「いいえ、ただのカゼですよ」
「そうなんです。今日はカゼで熱を出したので、休ませたんですわ」
おかあさんの声もする。
「ちかごろ、あの病気にかかる者が多くてね。ほうっておいたら、ほかの者にもうつってしまう。だから警察としても、そんな子はほうっておけないんですよ」
――警察?
おまわりさんが来ているようだ。
「明日はかならず行かせますから」
「そうですか。じゃあ今日のところは、このままいったん引きあげますがね」
おまわりさんは帰っていったのか、まわりが静かになり、おとうさんとおかあさんの声だけが聞こえてくる。
「明日も来るにちがいないぞ」
「長くはかくしとおせないわ」
「そうだな。このままだと連れていかれて、殺されてしまうかも」
「どうすればいいのかしら?」
「暗くなるのを待って、ここから逃がしてやろうじゃないか。別れるのはつらいがな」
「そうね、殺されるよりはましだもの」
外が暗くなりはじめたころ。
ドンドン、ドンドン。
玄関の戸をはげしくたたく音がした。
「お子さんのこと、やっぱりおかしいと思ってね。ねんのために見させていただきますよ」
おまわりさんの声がして、バタバタと家の中に入る足音がする。
「待ってください、お願いですから待ってください」
おとうさんが引きとめている。
「見ればわかるんだからね」
おまわりさんが部屋に入ってきた。
このおまわりさんもやはりタヌキで、ボクを見るとすぐに言った。
「思ったとおりだ。この子は人間病にかかってるじゃないか」
「お願いです。どうかこの子を連れていかないでください」
「人間病にかかった者がこの山にいては、まわりの者にうつってしまうんだ。あとは、われわれにまかせていただきますよ」
おまわりさんタヌキは、寝ているボクを小脇に抱きかかえた。
どこかへ連れていくのだろう。
と、そのとき。
おかあさんタヌキが、いきなりおまわりさんタヌキに体当たりをした。
――わっ!
ボクは床に転がった。
いそいで起き上がると、なぜだかそこはいつものボクの部屋だった。
そしてタヌキも消えていた。
ボクしかいなかったのだ。
そんなことがあってから……。
タヌキが二匹、ときどきうちの庭にあらわれるようになった。
今日も二匹のタヌキがやってきて、庭のすみからこっちを見ている。
「団地のできる前、ここらはタヌキ山って呼ばれてたぐらい、タヌキがたくさんいたそうよ」
おかあさんが教えてくれた。
二匹のタヌキは、何度もふり返りながら庭を出ていった。