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一章【呉 理嘉】

【転生】ママと妹と私と

『暖かい』


 そう思った。

 それが、私が部屋に入って最初に感じたこと。

 部屋全体を包む、春の陽気みたいな感覚。

 私はこの感覚を知っている。

 知っている気がする。


 私の目に、寝台のヘッドボードに背中を預けて、こちらを見つめ微笑んでいるママの姿が映った。

 ぽわぽわとした柔らかな表情にとろんとしたたれ目。甘い、わたあめのような。まるで女の子みたいな大人の女性。

 薄い白桃色をしたお尻の下くらいまであるふわふわとした長い髪の毛は、今は一つに束ねられている。

 エメラルドの様な#翠玉__すいぎょく__#色の瞳がとても綺麗で、ずっと見ていたくなる。

 素敵な私のママ。


「ままあーー」


 ぎゅうっ、と私を襲うもの。

 それは胸が締め付けられるような郷愁。

 たった数時間。ほんの3時間程度離れていたれていただけなのに。

 私は、リリに抱かれているのにも関わらず両手をママへと伸ばす。


「ネイちゃん、ほら、見て。この子が、今日からネイちゃんの妹になるのよ。ほら、すっごく可愛いでしょう……?」


 ママが、抱き抱えている白い布の中を見せるように身体を起こした。


「ああっ、奥様、急に動かれてはいけませんっ!」


 寝台の傍らに控える三人助産師の一人が心配そうにママの背と脇腹に手を添える。


「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ。赤ちゃんを産むのは2回目なんですもの。体の動かし方はネイちゃんの時にちゃあんと心得たわ。だから大丈夫なの。……それよりも、リリ? こちらに来てちょうだい。ネイちゃんに、赤ちゃんを見せてあげたいの」


 助産師に落ち着くよう一言声をかけ、ママがリリに顔を向ける。

 リリは無言のまま頷くと、私を抱き抱えたまま、ママの元へと歩み寄る。

 ママは右腕で白い布を抱いたまま、左手で布をはだけさせた。


「ふわぁ。あかちゃだぁ……。あかちゃ……? ……??」


 私は布にくるまれた赤ちゃんを上から覗いた後、ママの顔と赤ちゃんの顔を上、下、上、下と、交互に見る。


「ままあ、あかちゃ、へんだよぉ……? かみのけ、とけてる……」


 私は恐る恐る赤ちゃんの身体に起こっている異変をママに伝える。

 ママは、私の言葉を聞いても変わらず優しく微笑んだままだ。

 いやいやいやいや。

 ママ、にこにこしてる場合じゃないよ!

 赤ちゃんの髪の毛、溶けちゃってるって!

 私の言葉の通り、赤ちゃんの頭では髪の毛ではなくゲル状の半透明な塊がぷるぷる揺れていた。

 えぇ? 何コレ?


「うふふ。ネイちゃん、髪の毛だけじゃないのよ……? ほらっ」


 ママが左手でさらに布を捲った。


「……!? まま……あかちゃ、あしないよお……?!」


 そう。布が捲られ、身体全体が露になった赤ちゃんには、足が付いていなかった。

 付いていないどころか、赤ちゃんの下半身はおへその下辺りから、液体のようにドロドロと溶けてしまっている。

 それも、髪の毛同様、まるでゼリーのようなぷるぷるとした半固形状態であり、上半身の皮膚はうっすらと透け、その奥にある小さな心臓がピクッ、ピクッ、と規則的に動いている様子まで分かる。

 

 え? えっ? 何コレ? 何々? どういうことなの? コレ絶対ヤバいやつじゃん。赤ちゃん病院に連れ、いや、目の前に看護師さんが、いや、助産師は看護師じゃないのか? いや、助産師も看護師だよな? 落ち着け。落ち着け。落ち着け私。

 私は頭をきょろきょろと上下左右に動かし、ママ、赤ちゃん、助産師、ママ、私を抱いているリリ、またママと、それぞれの表情を確認した。

 何でみんな動かないの。何でみんなニコニコ笑ってるの。ママ、助産師さん達も。リリは薄く微笑んでるだけだけど……。


「お嬢様。落ち着いてくださいませ」


 声が聞こえたのは私の頭の少し上。

 声の主はリリだった。


「ユーナ様も、お人が悪いですよ。お嬢様がこんなに混乱していらっしゃるのに、何時までも教えてあげないなんて。お嬢様がお可哀想です」


 いつも優しく、控えめに微笑んでるリリから、この時は棘を含んだ言葉が放たれた。

 リリがこんなことを言うなんて珍しい。

 いや、て言うか、教えてあげないって何を……?

 リリも、何か知ってるなら早く教えてよ。

 私はリリの顔をじっと見つめる。

 自分の眉間に皺が寄っているのがはっきりと分かる。

 きっと眉はハの字になって、泣きそうな顔をているだろうと、自分の顔が想像できてしまった。


「お嬢様。お嬢様の妹君は、水の精霊で在らせられます。ですから、髪や下半身が液体化していらっしゃるのです。ですので、先程申し上げました通り、妹君は健康そのものですよ」


 ぽかーん。


 そう。私の今の顔は『ぽかーん』だ。

…………。

 え、そういうものなの?


「あかちゃ……いたくなぃ?」


「はい。痛くないと思われます」


「あかちゃ、びょぅきなぃ?」


「はい。病気では御座いません」


…………何だよおぉーーードッキリだったのかあぁーーーーー。良かったぁ。私の初めての兄弟、あ、妹か。私の初めての姉妹、生まれながらの重病とかなのかと思ったじゃんかぁ。

 良かったぁ……。

 マジでビビったよぉー。

 こんなの人が悪いどころの話じゃないよ。

 私はほっと胸を撫で下ろす。

 落ち着いたら何だか涙がじんわりと滲んできた。


「ふふっ、ごめんなさいネイちゃん。きっとネイちゃんならびっくりしてくれると思って、つい悪戯しちゃったの」


 くふふっ。と少女の様にはにかみながら笑うママ。

 その仕草は二児の母とはまるで思えない、幼さを含んだものだった。

 まあ、実際ママは今20歳だから、女性としてはともかく母親としては幼いと言えるのだろうけど。


「ままが……いじめた……」


 私は滲んできた涙をこれ幸いと、ママへの仕返しに使うことにした。

 悪戯には悪戯でお返しだ。

 ポロポロと流れる涙が、私を抱えるリリの手に零れ落ちる。


「お、お嬢様?!」


「ネイちゃん?!」


 慌てて私を下ろし、両膝を付いて正面に向き直るリリ。

 そしてリリの顔が障害物になって見えないが、驚きと心配が入り交じったようなママの声が聞こえた。

 よしよし。効果は抜群だ。


「ままがいじぇたあーーー!!」


 私は大声を上げ、ママへの悪戯を開始する。

 相変わらずま行の発音ができないが、二人ならちゃんと通じてくれるだろう。

 証拠に、リリがメイド服から取り出したハンカチで私の涙を拭いながらオロオロと困った顔になっている。

 姿は見えないが、寝台の方からもガタガタと揺れを感じる。

 ふふふ、慌ててる慌ててる。


「お、奥様! いけません! お立ちになられては塞がったばかりの傷が開きます!」


……ん?

 リリの後ろから、先程とは違う助産師の慌てた声が飛ぶ。


「ユーナ!!」


 後ろで成り行きを見守っていたパパが突然声を荒げる。焦燥を孕んだその声に、私はビクッと身を震わせた。

 パパの声に次いでリリが振り返る。


「ユーナ様!?」


 リリもまた声を荒げ、慌てて私から離れる。

 おかげで私の視界が広がり、私の目にもママの姿がようやく映った。

 ママは妹を抱いたまま、寝台の横に立っていた。

 少し苦しそうな、それでも優しさを讃えた微笑みを浮かべて。


「あ……まま……」


「ユーナ様いけません! 寝台にお戻りになられてください!」


 私の声を遮るリリの大きな声。

 リリがママに寄り添い、さらに駆け寄ったパパがママの両肩を包むように後ろから抱き支えた。


「ザライト様、私は大丈夫。大丈夫ですから、ネイちゃんの近くへ」


 パパの手をゆっくり振りほどくと、ママがじりじりと足を擦り歩きだす。

 リリは、手を出そうにもママに払われるのが分かっているのかもどかしそうに自分の手を握り締めている。

 助産師は苦しそうな表情で視線を送るばかりだ。この人達も、ママの性格がいやと言うほど分かっていて、今ママの行動を遮るのはママの意に沿わないことだと理解しているのだろう。

 少しふらつきながらママが足を前に差し出すたびに、着ている前開きのワンピースの裾がひらりと揺れる。

 ほんの数歩。

 寝台からの僅かな距離が、今のママにはとても長い。


「ま……」


 ママ。そうと言おうとした時、私の目に、ママの足を伝う赤い液体が映った。

 そして私は、#漸__ようや__#く自分の無知と浅慮を思い知った。


「まま……ち……でて……」


「大丈夫。大丈夫よ。これくらいママは平気なの。それよりも、ゴメンねネイちゃん。ママがいじわるして、怖い気持ちにさせてゴメンね。赤ちゃんが病気なんじゃないかって、すごく心配してくれたんだよね。ゴメンね……」


 そう言ってママは私の前にゆっくり膝を付き、左腕で妹を抱いたまま右手で私の背中を抱き寄せた。

 ママの腕から温もりが伝わる。


「ま……あぁ……ごぇんなさぃ……わぁしも……いじわぅしたかぁ……ちぃ……でて……」


 さっきとは違う涙が、ポロポロと私の頬から零れ落ちる。

 私は自身の服をぎゅっと握り、声を震わせながら謝った。

 少し考えれば分かることだった。

 優しいママに、私が傷付いたと思わせたらどんな行動を取るか。

 自身が傷付くことを省みず、痛みを伴うことを厭わない。私のママはそういう人なのだから。


「まぁ……いたぃ……?」


「大丈夫よ。あなた達を産んだ時に比べたら、これくらいの痛みは痛みと呼べないもの」


 お、おぉ。成る程。すごく説得力のある言葉だ……。


「それに、ネイちゃんの心が感じた痛みに比べても、これくらいで痛いなんてママは思えないわ。ゴメンね、ネイちゃん。ママのこと嫌いになった?」


 私は首を左右に数度振った。

 そして、ぎゅっと握り締めていた服を放しママの首に手を回す。


「まぁのこと、きぁぃになぁなぃよ。ままぁすぃ」


「ありがとう。ママも、ネイちゃんが大好き」


 ママのほっぺに顔を寄せた。

 ママも、私に頬を寄せた。


 暖かい。

 そう思った。


 やっぱりそうだ。私はこの感覚を知っていた。

 これは、『好き』っていう気持ちだ。

 この部屋は、いっぱいの好きで溢れている。


「……きゅっふふ」


 と、変な音。動物の鳴き声のような、風船から空気が抜けるような、珍妙な音がした。


「あ。赤ちゃんも、ネイちゃんこと好きだよーって笑ってる。ほら」


 ママの言葉につられ、抱かれている赤ちゃんの顔を覗く。


 あ、ほんとだ。

 笑ってる。


 赤ちゃんがちっちゃな手をにぎにぎと動かしている。

 私は手を伸ばし、人指し指をそのにぎにぎへと差し込んだ。

 あ、赤ちゃんの手、ひんやりしてる。

 それに、何だか水風船みたいなぷよぷよとした弾力がある。

 人間の赤ちゃんとは全然違う。

 水の精霊。リリがそう言ってた。

 魔属と一言で言っても、色んな種族がいるんだなぁ。

 赤ちゃんもパパとは違って角は無い。

 私やママと同じ。

 と言うことは、私とママも、精霊ってことなのかな。

 ママは何の精霊なんだろう。

 私は、何て言う種族なんだろう。 

 もう少しちゃんと喋れるようになったら、パパとママに聞いてみようかな。

 パパとママは私にどんなことを教えてくれるのかな。

 私は、もっとたくさんのことを知りたい。

 この世界のこと、私が生まれたこの世界のこと。

 もっと知りたい。

 新しい家族のこと。

 生まれ変わった自分のこと。

 もっと知りたい。

 そう思った。

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