16-1
私は姫そのものだった。
頭からつま先まで。その心までも。
私というイレギュラーにもみんなは上手く合わせてくれた。私の我が儘に付き合ってくれた。後で怒られそうだけど。
うまくいく。台本通りに正確に、思い描いたように。そのはずだった。
でも、もう一人、イレギュラーが現れた。彩葉くんだ。彼が突然王子として舞台として参入。そして王子の次のセリフ〈私と逃げましょう〉しかし、そのセリフがなかなか出てこない。忘れてしまったのだろうか。
綻びは、確実に生まれていた。彼によって、私自身によって。
――あなたは、それでいいのですか。
やっと出てきた彼の言葉に私の頭は真っ白になる。
――私と逃げますか? 私はそれでもいい。だけどあなたはそうではないでしょう?
そして彼女の言葉が小さな風穴を大きくしていく。閉ざされた世界をこじ開けていく。
彼は何を言っている? 劇を台無しにしたいのだろうか?
突然のアドリブに私は言葉がでない。考える素振りをして沈黙するしかない。
――私はあなたの言葉を聞きたい。あなたの気持ちを、音で、色で私は知らないのです。
私の世界に欠けているものでどう表現しろというのだろう、彼は。
夏前の、脚本を書く前の、音を閉ざさした三年前の私が、ボロボロと崩れていく。
セリフも動きもメチャメチャ。
だけど、彼は私の想像している王子様そのもので。
私は、沈黙を守る。
救いを、求めていた。だけどそれは王子様に手を惹かれて外へ連れ出して欲しかったのだろうか。――そう、だった。少なくとも以前の私は。なら今はどうだろうか。また逃げるのだろうか。
彼はここに彼の叫びを描いた。その叫びとはなんだったのだろうか。
それは、たぶん私の伝えたいことと同じ。
ここは私の言葉が真実となる空間。私の言葉が、姫の言葉となり、世界を紡ぐのだ。
なら、伝えよう。
薄っぺらな言葉じゃなくて、確かな存在を持った言葉で。
伝えるべき人は、他にいるんじゃない? そう、いる。彩葉くん。そして。息を吸う。苦しい。心臓の音がうるさい。
不意に観客席にいるお父さんとお母さんを見つけてしまう。目が合う。一瞬、息が止まる。
王子が隣に並び言う。大丈夫だと。私は頷く。彼が空けた穴を広げ、世界を変えてやる。
わ、私。わたし。ワタシは、わ、私は。叫べ。どもってもいい。だけど止まるな。今を逃すな。逃したら何も変わらない。動け。格好悪くたっていい。とにかく、動くんだ。
音を捨てた姫。その声が確かに戻り始めていた。でも足りない。もっと、音を。
私に、音を。
姫は――私は、生まれて初めて心の底から、音を求めた。確かな存在として。言葉にその波形を求めたのだ。
わた、しは…………ッ!
「――――――私は、ここにいる――――――」
届け。
「そう、伝えないのです」
届け。届け。
「私は、ここにいます」
届け。届け。届け。
「絵にも、音楽にもでもなく、今ここにいるのです」
届け。届け。届け。届け。
「私を見てください。知ってください。理解してください」
届け。届け。届け。届け。届け。
「私を……認めてください」
届け。届け。届け。届け。届け。届け。
「私は自分の音が欲しいのです」
届け。届け。届け。届け。届け。届け。届け。
「私は自分の色が欲しいのです」
届け。届け。届け。届け。届け。届け。届け。届け。
「他の誰のものでもない、私が――欲しいのです」
どうか、届いて。
――ああ、聞こえる。
私の声が。音が。言葉が。叫びが。
自らに反響するそれは自ら存在を得る。波形や意味を超えた“何か”に昇華する。
――音のある世界はこんなにも綺麗なのか。
王子は私に呼びかける。
「姫」
それは初めて聞いた、彼の言葉。
「ならば、伝えましょう。私がそばにいますから」
「はい……っ!」
王子は私の返事に驚く。その反応は正しい。
音を失っていたお姫様が、王子の声に耳を傾けたのだから。
そして音楽が流れる。本来用意されていた舞台のものではない。私が唯一歌える曲。思い出の曲。……恋歌ちゃんが差し替えたのだろうか。
音のない世界でしか歌えなかったその歌。
それを私は叫ぶように歌う。
どうして突然に聞こえるようになったかは分からない。私はただ声を届けたいと思っただけ。私の声を、 私自身が認めたかっただけ。奇跡。そんなチープな言葉が浮かぶが、それでもいい。
もしも今この場に奇跡が満ち溢れていると言うならば、私はそれを信じよう。
だから。
私だけの歌。私だけの言葉。
お願いだから、届いて。




