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実行委員の仕事も終わりつつあった。
葵祭が始まってしまえば仕事はほとんどない。葵祭の当日運営が残ってはいるもののその内容は強引な客引きを注意したり、売店で未成年者に酒を見回っていないかを監視する程度だ。これは地域の方々が肩代わりしてくれている。これは実行委員の大半は各々のクラスで役を持っているためだ。中でも生徒会長は率先してやっているようだけど。
一方の私は監督。監督などとは言っても彩葉くんのおかげもあってか、みんなは足並みをそろえてくれたためやることがなかった。実行委員として私に充てられたものも前日の運営テントの設置ぐらいだった。
やはり葵祭は当日が最も盛り上がるのだとは思うけれど、本番を回すのは役者達。出番が無い以上、私たち裏方は必然的に暇になってしまう。教室でクラスの様子を見ていたい気持ちはあったけれど、教室で舞台を行う関係上、あまり多く劇に関係ない人間を置いとくことはできない。結果、行き場を失った。
私は他のクラスでも見に行こうか、あるいは特別教室の出し物でも見に行こうかと考えた挙句に、私はクラスのスポンサーの一つである地元のパン屋さんのところでちょうど空いていた小腹を満たすことにした。うちのクラスにはパンの差し入れやいらなくなった布などを提供してくれたりと何かと世話になったのでお礼に行きたかったというのもある。他にもスポンサーはあったけど、パン屋さんには私がお願いしたのだった。
あら有姫ちゃん。
お礼に行ったらお店が大盛況で逆にお礼にとメロンパンを三つほど頂き、それを平らげた私がふらふらと目的もなく教室に戻ると顔なじみの司書さんの姿があった。司書さんの周りには図書館によく遊びに来る子供達が数名。そして司書さんは車椅子を押しており、そこにはいつだったかの盲目の少年がいた。ここは四階だったはずだが、業者の搬入用エレベーターを利用したのだろうと推測。
引率する小学校の先生そのものの司書さんの話によれば、親御さんが仕事などで来れない子供達の世話を連れてきたのだという。人のいい司書さんは相変わらずだなと思わず微笑ましくなる。
おねーちゃん、きたよ。
盲目の少年が声だけを頼りに私の方へ向く。私はしゃがみ、少年の目をできるだけ見るよう心がける。
おねーちゃんのこえ、ぼく、だいすきだからたのしみ。
この子は私が出ると思っている。私にも分からない今の声が好きだと、だから楽しみだと言ってくれている。私は裏方。それは変わらない事実出会ったけど、その笑を壊す気にはなれず、思わず口をつぐんでしまう。
パンフレットをすでにもらっていた司書さんはそこに私がキャスティングされていないことを知っていただろうけど、何も言わなかった。
私はクラスの片隅に車椅子置けるようにスペースの確保に尽力する。劇の投票システム上、一人でも集客したいのだろうけど、私たちの目標は見たいといってくれる人を押しのけてまで達成するものじゃない。そのことを理解してくれたクラスメイト達は素直に協力してくれ、容易く車椅子区域を用意することができた。
全四回公演の内、次で最後。暗幕の向こう側では気合いを入れる声が漏れ出している。
そんな声を背に廊下に出て再びどこかへ繰り出そうかと歩き始めると、遠くにお父さんとお母さんが並んでいることに気づいて、私は凍りついた。
雑踏の中で浮き彫りになる距離感。逃れたくなる空気。
私が来て欲しいと言ったのに、いざその姿を見つけると自分から歩み寄ることができない。
家族の距離があのチケットでなくなるなんてことはありえない。
だから私は俯く。
その先で両親も気まずさを感じているのか、こちらに来ることはない。そのまま教室へとは行っていってしまう。
すると、唐突に背中を叩かれる。その強さに思わずよろめいてしまう。
体勢を崩しながら振り返ると、そこにいたのは恋歌ちゃんだった。
顔上げなさい。
彼女は両親のことは知らない。だけど、私の態度で勘のいい彼女は何かに気づいた様子だった。本当に彼女には叶わないな。……ん?
そこで彼女の異変に気づく。恋歌ちゃんは制服だった。いや通常時であればなんら問題はない。だけど、彼女はお姫様であり、公演はもう一回残されているのだ。
そこへ隣に遙がやってくる。有姫捕まえた? と唇の形はなっている。恋歌ちゃんも、ええ、と返答し、今更のように私の両肩を掴む。そして遙が背後からホールド。ええっ、私捕まったの?
あんたの葵祭、始めるわよ。
恋歌ちゃんはそう言って、私を引きずる。そうして向かった先は女子更衣室。
そこで私を待っていたのはドレスだった。
衣装担当の器用な遙の渾身の作品。
ほら、着替えて。
着替える。私はオウム返しになる。意味が分からなかったのだ。これはお姫様のもののはずなのだ。着替えるべきは恋歌ちゃんの方であって、そもそも制服に着替えている意味が理解できない。
混乱する私に言い聞かせるように彼女は言う。
――あんたが姫やるのよ。
…………。え?
私が。姫を。演じる――――?
瑞樹が私のスカートのファスナーに手を伸ばしたので、彼女の手を抑える。そして無理だと抵抗する。 何で急にそんなことを言い出すのだろう。どうして責任放棄をするようなことをするのだろう。
あんたには、伝えたいことがあるんでしょ? 今その人が来てるんでしょ?
恋歌ちゃんは訴えるように言う。今まで姫を演じてきた彼女だからこその言葉。
だったら、あんたの言葉で伝えてきなさい。
自分じゃ伝えられないと。今やっている劇は不完全だと。
あれだけ一生懸命に取り組んでいたはずの彼女は、いとも容易くその役目を放棄する。
彼女自身が、納得をするために。私の自己満足でしかない物語に意味を持たせるために。
あの物語を、ちゃんと終わらせてくるのよ。
私は頷くしかなかった。
そして頷いてから今更のように気づく。
私はみんなの想いを無駄にするかもしれない。クラスの推薦で決めたお姫様の配役。今までの公演での成功。それを最後に私が台無しにしてしまうかもしれないのだ。それも誰にも相談せず、ほとんど私の我が儘で。恋歌ちゃん達に言われたからなんて言い訳は誰も納得しないし、私もしたくはない。
――三年前のように。
数分後。二人の手によって私は衣装に身を包み、ご丁寧にお化粧までしてくれた。お化粧はたまに遙の練習台になる程度だったので、鏡を見た瞬間に誰これ、と思わず声に出してしまった。
あんた、やっぱり映えるわねえ。
うん有姫可愛い!
ほら髪もやるわよ。
前髪が上げられ、思わずそれを抑える。視界が開けるのは恥ずかしい。手を放しなさい、と恋歌ちゃんに咎められる。ふるふる。子供のようにだだをこねる。
怖い。恥ずかしさと当時にやってくるのは他人の視線への恐怖心。
いつでも咎められることを恐れて。だけど私が誰の視界に映らないのではないかとも恐れる。
再び俯きかけた私の顔を恋歌ちゃんは両側から掌で押さえ、強引に持ち上げる。両頬に力がかかり、私の唇がタコのようになる。逃れようとするが、恋歌ちゃんは離さない。
あまりの強さに若干涙目になる私と彼女の視線がぶつかる。
自分を隠しちゃ駄目よ。
顔が動かせない。肯定も否定も彼女は許さない。そんなものは求めてはいないのだ。
彼女が求めるものはすでに言っている。
物語の終わり。
姫の選択。
彼女は、あの脚本に納得がいっていない。
だけど、そもそも恋歌ちゃんを納得させるために書いたものでもない。
……じゃあ、誰のために?
この夏、何度もぶつかってきた問い。
それを恋歌ちゃんは――お姫様は求めている。
私自身何をすればいいのか分からない。
だけど、行こう。前を向こう。
今度こそ、失敗したくない。
伝えるのだ。
終わらせるのだ
私の言葉で。




