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校舎内は各教室が舞台になっており、売店の類は全て校庭側に回されていた。校舎に対して無駄に広い敷地。グラウンドは何故か二つあるし。そもそも学校に庭だとか必要ないと思うのだが。
屋上から特別教室側の寄り道を経た僕が向かった先は、その誰が手入れしているのかも分からない庭のある校舎裏。賑わっている表玄関とは違い、少し人の流れも大人しい。
名前も分からない花が咲き並ぶ中、その一角にテントとプラスチックの椅子と机がいくつか並ぶのを見つける。そこに見慣れた顔があった。
「店長」
「お、ロハくん、よく来たわねえ」
約一ヶ月ぶりとなる店長との対面。僕の顔を見なり、ミルで豆を挽く手を止める。店長のいるカウンターにはショーケースが並び、中にはパンやスコーン、ドーナッツ。近くの手書きのメニュー表を見れば飲み物は珈琲に紅茶にいくつかの果汁ジュース。ただの売店にしては珍しい品が並んでいるようにも見えるが、そもそも喫茶店が屋台をやろうとすれば自然とこうなる気もした。
僕は昼も近いというのにガラガラで、すでに劇の開始時間に間に合わなかったのか、次の公演まで時間を潰そうとやってきている客がチラホラと見える程度。いつもの店と変わらない。
「相変わらず人がいませんね」
「今はどこも劇でしょ? 売店が忙しくなるのは大抵公演が終わってからよ。それでどうしたの? 手伝いに来た?」
「スポンサーに挨拶ですよ」
「殊勝な心掛けだこと」
手近なところの椅子を引張てきて腰をかけると、店長から珈琲が振舞われる。「サービス」「どうも」と受け取り、口をつける。相変わらずいい香り。しかし、どことなくいつも店で出しているのとは違う気がする。「最近開発したの。葵祭のために」「……試作費ちゃんと帳簿つけてるんですよね?」「それはロハくんが後で頑張るの」どうやら店のどこかにあるこのオリジナルブレンドを作るためにキロ単位で買われたであろう、注文表を探さなければならないらしい。
しかしまあ、それぐらい甘んじて受け入れるとしよう。
「とりあえず――ありがとうございます」
「あら、珈琲で感謝なんて珍しい。それともバイト休みのこと?」
「新聞部のことです」
「…………。何のこと?」
「情報流したの、店長ですよね? いいや、店長たちというべきか」
新聞部。
誰も詳細を知らない部活動。ただゴシップだか分からないものを報道し続ける幽霊のように掴みどころのない存在。
その正体が、今目の前にいる。
柔和な笑顔を崩さない店長。しかし確実に変化したこの人の雰囲気をひしひしと感じながら、僕はポケットからメモリーカードを取り出す。以前に仕込んだビデオカメラのものだ。
「ここにあるものと流出した映像どれも一致しませんでした」
「ロハくん新聞部だったの?」
不正解。正しい返答は「なんのこと?」だ。いや、実はそもそも隠す気がないのか。
変わらずとぼける店長に構わず僕は続ける。
「僕が動いた晩に限って新聞部が動いた。そのことが不思議でしたけど、違うんですね。ずっと目をつけていたんだ。道明寺と――僕にも」
新聞部の視線は学校に張り付いている。記事に関する噂を聞いてもこの地域をでない。一度だって芸能人のゴシップや政治討論の記事なんて書いた試しががない。学校新聞なんだから学校に関することしか書けないと言われればそれまでだが。
「どうして新聞部はそんな面倒なことをしたの?」
「この学校が地域に支えられていた場所だから、ですよ」
「支えられていると、私が新聞部になるの?」
「この学校はあまりにも企業に毒されている。道明寺の失態はそんな意味でもいいお灸になったんじゃないですか? それが目的でしょう?」
葵祭のスポンサーのシステム。その集客能力。現に表玄関側の店の人だかりはすごい。テレビ局まで来るのだから宣伝効果はさぞ大きいだろう。その店に、よりいい位置にあの道明寺グループが店を出したい気持ちは分かる。
今回の息子の一件にも関わらず道明寺グループは当初の出店している店舗の数は変わらなかった。息子は息子の責任として自分はあくまでスポンサーという立場を取ったらしい。
それでも確実に今回の立場は弱くなっている。それはされだけ出店そのものが危ぶまれていた商店街の店がうちを含め、きちんと出店できていることからも容易に想像がつく。
道明寺グループの規模であればこの学校に出店する店の全てが道明寺グループであっても不思議ではなかったのだ。
そう。
あの道明寺の情報リークは、商店街にとって僕たち以上にプラスに働いていたのだ。
店長は僕のそんな説明にしばらく沈黙し、もう駄目だと踏んだのか、ほうと溜息をついた。
「大した探偵さんだこと。いつから気づいたの?」
店長の的外れな賞賛に僕は大げさに肩をすくめる。
「推理と妄想は違うものですよ。別に、学校の一部活の活動としてはあまりにもやることが大きかったんで、逆に想像しやすかったです。学校に内通する者。普通に考えたら生徒でしょうけど、もっと把握している人がいる」
「誰かしら?」
「先生ですよ」
当たり前すぎる回答に流石の店長も失笑。でもこれが事実なのだ。生徒の自主性を重んじる学校。そんな謳い文句の学校は腐るほどあるだろう。しかし、それはどんな形であれ、管理され統制されなければならない。
その役目を担う人間なんてそう多くはないのだ。僕たち生徒は勉強させる大人ぐらいにしか思っていないけど。
その大人に守られているのも事実なのだ。
「加えて商店街の大人達は自由に学校に出入りできる。特に今時期はね。最近、新聞部の動きが活発になったのもそれが理由だ。それに学校の生徒の大半は商店街の人達に対しては無防備。あの酒だって近所で買ったものでしょうから――まあどうせ道明寺グループの店でしょうが――あなた達の目につくでしょう」
だから、情報流すのも簡単なはずだ。そう言い含めて、僕は珈琲をすする。一気に話したのでやたらと喉が渇いた。
「それで、どうするの? 同じことをお友達に明かす?」
「どうもしませんよ。そんなことをしたらせっかくの“支えられている”システムが駄目になる。それは誰も得をしません。僕の一存で学校を駄目にしたくありません。学校は好きじゃないですけど、恨みはありませんから。言ったでしょう? 僕は挨拶をしに来たんです」
「とんだ挨拶ねえ」
薄く笑い、「ごちそうさま」と置いた僕のコップの淵を見つめる。穏やかだった店長はその声に少しだけ焦りを滲ませて言う。
「ねえ、私たちはあなた達を利用したかもしれない。でも抵抗したのは葵祭を、学校を守りたいからなの。それだけは分かってほしいな」
「…………。パンフ置いときますね。暇だったら見に来てください」
僕は立ち上がり、持っていた冊子を机の上に置く。この人が見に来るかは分からなかったが、珈琲の代金替わりだ。
「あ、そうだ」
立ち去る直前、不意に思い立って足を止める。振り返ると、どこか影を差したような店長の笑顔とにらめっこ。確かこの人はこの学校の出身だったはず。
あまり返事は期待せず、僕は葵祭の由来を思い返しながら――この一ヶ月で僕をからかい続ける奇妙な女の子の姿を思い浮かべながら聞いた。
きっと、あいつは僕以外の物語を見てきただろうから。
もしかしてと思っただけだ。
「いなりって奴、知ってます?」




