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初めて耳を塞いだのは、四年前。当時私は中学生だった。
お父さんは出張の多い将来有望なエリート。お母さんは家事を完璧にこなす美人でいつも一歩引いた家を支える大和撫子。両者ともに酒もタバコもせず、輝夜癖があるなんていうこともない。一般的に見て理想の家庭。その一人娘として私は生まれた。
ただ仲が最悪なこと以外は。
会話は最低限。食事中もテレビもつけず、会話もなく。休日にみんなで出かけることもない。誕生日を祝うなんてここ数年覚えがない。
その頃は耳を塞がずとも、穏やかではなかったけれど静寂だけが家にはあった。
関係の希薄な上辺だけの家庭。周囲には取り繕い、優等生を演じる。何よりも両親は幼かった私にそれを強要した。あの人たちは決して口には出さなかったけど、そうあるように育てられた。
今では信じられないかもしれないが、小学校時代の私は活発な子供だったのだ。周りには明るく振舞い、リーダーの立ち位置。運動もでき、成績も悪くない。そんな理想的な優等生を――演じきった。
繋がりの薄いそんな私たちではあったけど、たった一回だけ家族で劇を見に行ったことがある。お母さんが好きだったのだ。学生時代は演劇部で、その道で生きていこうと考えたこともあるそうだ。結局、夢は諦めて若くして、お父さんと結婚したのだけど。
両親から昔の話をされることは少ない。しかし、たまに零す言葉の切れ端を繋ぎ合わせて私はあの人たちの過去を知った。
今となっては想像もつかないが、二人は見合い結婚ではなく大恋愛だったらしい。でもだったらどうしてあんなにも他人であり続けられたのだろうか。
私の知らないところで、あの人たちはどう変わってしまったのだろうか。
そんなあの人たちの娘でありながら全く知らなかった両親。建前以外で笑ったことを見たことがない二人。
その二人が、演劇を見て笑った。
お母さんは心底楽しそうに。お父さんは喜ぶお母さんを見て、少し照れくさそうに。
控えめて、ぎこちなくはあったけど、確かに笑っていた。
恥ずかしいことに私はあの人たちのあんな笑顔は初めて見た。
初めて、人間らしいと感じた。後にも先にもただ一回、家族で見たその演劇を忘れることができなかった。
だから私は、中学生になり演劇を始めた。
エリート志向のお父さんも成績さえとっていれば何も文句を言わなかったし、お母さんは少し嬉しそうでさえいた。表面上は素っ気なくしていたけど。
私が演劇をやればうちの家も明るくなるのではないか。安直で愚直にもそう考えていたのである。
しかし、そんな決心とは裏腹に、家族の溝は深くなっていた。お父さんは外食をすることが多くなったし、お母さんは自分の分の家事しかしなくなった。だから私は見よう見まねで家事をするようになった。その頃くらいからだろうか、毎朝机の上にお金が置かれるようになったのは。未だにお父さんとお母さんのどっちが置いてくれているのかはわからなかったけど。
演劇部に入り、一年が経過した頃。私は主役に抜擢された。
普段から外面は保っていたからなのか部の中でも華がある、という位置づけだった。自惚れではあるのだけど、誰かに演じるのは好きだったので主役に選ばれたのは素直に嬉しかった。
その頃になると、私はすでに執筆が趣味になっていた。当時所属していた演劇部の練習の一環で部員のオリジナルの脚本で練習することがあったのだ。その練習中で使われた私の脚本が先輩や先生の評価をもらい、その劇で舞台を一つやることになった。私が選ばれた主役というのは、その脚本のものだ。
私の物語を私が演じる。こそばゆいものではあったけど、役はオーディションの結果だったから、公平であったと今でも思ってる。
でも、思っているのは私だけだった。
演劇は私一人でできるものではない。そんな当たり前のことに自分が認められて浮かれていた私は全く気づかなかった。
部員の嫉妬なんて。
始まったのだ――いじめが。
明るい優等生というキャラクターを演じていた自分。誰からも好かれるように教育されていた私には、いじめというものはそれまで無関係に生きていた。
加害者も被害者の経験もない。クラスでいじめがなかった時期なんてない。でもそれには一切関わらなかった。いじめの加害者と被害者に関わらず、彼らの怒りをうまく受け流すことに長けていたのだ。
その時も、うまくいくはずだった。たぶん、素直に降りれば私はいじめの対象にならずにすんだのだろう。
不満が完全になくなることはなくとも、我慢さえすれば――私が壊れずにすんだだろう。
でも、できなかった。
私には脚本を捨てることも、主役を降りることもできなかった。
それは、私の言葉だったから。
ずっと自分を偽っていきた私が、両親への想いを込めた言葉だったから。
それを伝えられるかもしれないのに、捨てるなんてできなかった。
私は、生まれて初めて我が儘になった。
その結果が、いじめ。
上履きに画鋲やら教科書の破棄やら根回しでクラスから総スカンなんていう古典的なものは当たり前。加えてそのいじめで陰湿だったのは、加害者が分からなかったことだ。
演劇部はそう大きくはない。しかし、小さくもない。
役者に憧れて入部した人間はいくらでもいたし、脚本志望だっていた。早い話、誰から恨まれているのかと聞かれれば心当たりが多すぎたのだ。
だけど、私は笑った。
私が作り上げてきた優等生を崩すわけにもいかない。何よりも自分を隠しつつ、両親に自分の言葉を伝える機会を逃すなんて私にはできなかった。
耐えた。笑って、耐えた。
いじめが、両親にバレるまでは。
その露呈はある日突然にやってきた。
加害者の一人が我慢できずに直接的な暴力をしてきたのである。
私に爪より髪をひと束、ハサミで切った。
当時は誰よりも長かった私の髪は一瞬にして不格好なボブカットになった。
母親譲りの髪を気に入っていた私もかっとなり揉み合いになった。結果駆けつけた教師に止められ、全てが明らかになった。
事の顛末は余すことなく、両親に伝えられた。
なんてことをしてくれたんだ。
お父さんの言葉は、慰めでも労りでも同情でもなく、憤怒。
周囲の目を何よりも気にする父にとって、娘が問題を起こした、というレッテルが何よりも許しがたいことだったのだ。
そんなのはあんまりでしょう。
擁護をしてくれたのは、お母さんだった。
普段はお父さんの言うことには口を一切出さない人だったけど、その時は違った。私を庇い、娘の気持ちを考えろと強く主張した。私は始めはそんなことを言うとは思いもせず、驚き喜びにも近いものさえを感じていた。
だけど、お母さんの言葉はお父さんとの言い合いを重ねるにつれてどんどん嘘くさいものに変わっていった。
そして気づく。それは“娘を心配する母の自分”であろうとする姿であることに。
両親は、私のことなど初めから目に入っていなかったのだ。
あるのは自分の体裁だけ。
もうやめて。私は平気だから。
私は逃げたくて、いつもの静寂でいいから、やめさせたくて、そう言った。
お前は黙っていろ。あなたは黙っていなさい。
…………。
私のことなのに、私はいつしか無関係になっていた。
だから、演劇部をやめた。
役を捨て、脚本を捨て、自分の言葉を捨てた。
私は言いたかった。だけど、言わせてもらえもしなかった。
ボロボロになった優等生の仮面を被り直した時には、私はすっかり臆病になっていた。
誰もが認める明るい完璧な女の子からはほど遠い、地味で暗い女の子。
人の視線が何よりも怖くなった。
もう見たくなかった。だから、前髪を伸ばした。
もう聞きたくなかった。だから、耳を塞ぐことにした。
音のある世界を、捨てた。
気づいたら私は音を失っていた。
親に黙って医者に行ったら至って健康体。心的な原因だろうと診断された。
いくら健康と言われても、その相談を両親にできるはずがなく。
私はヘッドホンをして、必死で読心術を覚え、聞こえないという事実を隠すことにした。
自分を偽って、逃げたのだ。
私は、どうすればよかったのだろう――――?
公園のベンチに座り込んでいた私は真夏のまどろみの中、熱とともに思考を溶かしていた。時間がそれなりに経ったのか、陽を遮っていた木陰がすっかり移動してしまっている。でも動く気力はない。何も考えたくない。
ただ思い出したくもない、過去が走馬灯のように巡る。ぐるぐると嫌な記憶だけが回る。ついさっき死にかけたのもあるし、走馬灯というのもそこまで間違っていないのかもしれない。
……行きたくないなあ。
今日も練習がある。
実行員である以上場を仕切る必要もあるし、何よりもうちのクラスの信用を取り戻す策を考えないといけない。昨日から寝ないで考えていたのだ。その寝不足のせいで不注意な交通事故に巻き込まれてしまったわけなのだけど。
……あ。
スカートのポケットが振動し、メールが届いたことを知らせる。クラスの連絡網だ。
それは、各クラスのセットがどうにかなりそうなこととうちのクラスの信用が今後回復するだろうという昨晩も見た新聞部の記事のコピペ。
予想通り、葵祭は無事に開催されるだろう。
喜ぶべきことだ。素直に喜んで、みんなとハイタッチの一つでもして、練習に精を出すべきなのだろう。
でも、私の胸中にやってくるのは一つの脱力感。
同時に浮かぶのは、彩葉くんと恋歌ちゃんの姿。
そして、やってくる結論。
もう私、必要ないかな。




