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翌日の葵祭実行委員会。終業式の後に各クラスの代表たちが三年の教室に集まった。同じ構造をした教室だというのに、全く知らない場所のように感じてしまい、下級生一、二年はどこかよそよそしさがあった。僕の相方に至ってはこの教室に入ってから一度も顔を上げていないし、一言も声を発しようとしない。
その後、全クラスの委員の集合の確認が取られ、まずは委員長の決定することになった。これは案外すんなり決まり、稀有な先輩の一人が立候補し犠牲となってくださった。
初回の委員会の内容は葵祭における規則、特に演目の決定における著作権関係の問題や予算については念入りに確認を取られた。僕は空っぽの頭にその情報を入れるだけだったが、隣の音無は律儀にメモを取っていた。
それぞれクラスに持ち帰る内容を与えられ、委員長の一声で問題なく委員会は解散した。
自然、僕と音無は肩を並べて教室へ帰還することになる。その途中。
「あの、……怒ってる……?」
無言からのその言葉に僕は訝しむ。怒るどころか彼女には頭を下げるばかりなのだが。自慢じゃないがメモ類は最後まで取らなかった。やるべきことは把握しているけれども。
「何が?」
「勝手に、実行委員指名……して……」
ああそのことか。彼女の不安要素に合点がいき、気にするなとヒラヒラと手を振る。
「別に。ただ不思議には思ったけど。それにしても他にも頼りがいのある男はいただろうに。それこそ気になる男子でも指名すればよかっただろ」
「そ、そんなことない……っ。それに、き、気になる男の子なんて……。男の子となんてほとんど、話すさないし……」
「本気にするな。冗談だから」
顔を真っ赤にしながら首を振る彼女に、実行委員が面倒なことは言えなかった。しかし結局彼女が僕を選択した理由が分からない。男子とか関わりがないからといって、愛想のない人間を選ぶのか。直前に歌を勝手に聞いてしまったことに実は腹を立てていて、その仕返しだったりするのだろうか。
「音無はどうして立候補したんだ?」
「えっと、その……、なんというか……す、好きだから?」
「何で疑問形」
「そういうの……よく分からないし」
「役者がやりたいのか? それとも演出とか?」
「……え? あー、うーん。どうだろ……?」
それも決まっていないのか。僕が他人のあれこれを口出す権利はないし、必要もあるはずがない。人並みのアドバイスをする技術も気力さえもない僕なのだ、追求するだけウザがられるだけだろう。
あれやこれやと話している間に教室に到着。ここに来るまでにいくつかのクラスを覗いたがどこも生徒が残っている様子はない。実行委員はそのまま帰宅してしまったか。
しかし我がクラスの教室を開けると、中央辺りの席に一人の少女の影を見つけた。名前は覚えてない。平常通りである。しかし音無の方はそうでもないらしく、「あっ」と声を上げた。
それに反応したその女の子は振り返った。音無を見て、僕を見る。そしてもう一度。そして突然ニヤニヤしながら、机と机の間を器用に避けながらこちらに駆け寄ってきた。
「は、遙、残ってたの」
「有姫ー、おかえり。ダーリンくんもおハロー」
この至近距離で勢いよく手を振る彼女に対し、掌だけを見せる僕。しばし彼女の発言内容を考え、そういやこいつの苗字喜多山だったなと思い出すと同時に自分を呼び指す。
「ダーリンって、僕のことか?」
「他にいるの?」
音無を見てどこか期待したように意地悪い視線を送る。音無は「だ、だだだダーリンとか……っ。いないし、ちち違うっ!」と首をブンブン振る。「ごめんごめん」と喜多山は音無の頭を撫で落ち着かせる。
「……部活?」
「うんうん、これからミーティングなんだ。んで、今は忘れ物取りに来た」
じゃーんとそれを見せる。今日返却された分のテストだった。見事に赤点。赤点は来週、追試組に混じってテストのはずだったが、喜多山は全く気にした様子はなく、カラカラ笑っている。
「二人は委員会終わったのかしらん?」
「今、終わったよ」
「平気だった? オドオドしなかった?」
「ちゃ、ちゃんとやったよ……」
「そーかそーか。んで、どうだったロハっち?」
「終始顔を赤くして下向いてた」
僕の即答に喜多山はさらに顔を赤くした音無の髪を乱した。
「なははは。だーと思ったよっ。有姫こんなんだけど、フォローしてあげてね? この子が率先的になにかしようなんて始めてでねー。おねーさん、びっくり」
「も、もう遙……」
僕の胸を人差し指で突いた喜多山を音無は慌てた様子で止めに入る。インドアなこの頼りない胸板に何を期待するのか。見守る以上のことはできないと思ったが、以前に妹の運動会に行った時に警備員に呼び止められたことがあったので僕の視線は犯罪者のそれに見えるらしい。なので見守るのもやめておいた方がいいかもしれない。傍から見れば立派な変質者である。
「じゃーねー、ご両人!」
手を振り、元気に廊下を走っていた。その背中はみるみる内に遠のき、器用に切り返し右折。その姿は見えなくなった。タンタンという足音が聞こえるから、ミーティングとやらにむかったのだろう。
「元気だなあ」
「本当にごめんね……」
友人の元気の良さに音無は元気なく謝罪。二人を足して二で割ればちょうどいい。でも大抵平均化された人間は面白味がないんだろうなと思い、妄想をやめた。やる気のない自分の言い訳とも言う。あくまで個性と言い張ろう。
教室で鞄を回収した後、どちらも部活に所属していなかった僕たちは自然と一緒に登下校する流れとなった。下駄箱でローファーに履き替えようとすると、靴の上に一つの封筒が置いてあるのを見つけた。手に取りしばらく見つめる。隠している目には実は透視能力が、ということは一切ないので中身は分からない。ラブレターか果たし状か。いずれにしてもロクなもんじゃないなと無造作にポケットに突っ込む。「どうしたの?」「何でもない」何事もなかったように門を潜る。
しばらくはなんとなく無言を通していた。学校前の駅へ伸びる大通りに続く小道を進む僕たち。その途中で僕はとある張り紙が電柱にあるのを見つけ、思わず足を止めた。釣られて音無も停止する。どうしたのと言いたげに小首を傾げた。
僕は無言でそれを指差す。覗き込むようにそれを見た彼女は、「あっ」と声を上げた。
それは夏休み中に行われる花火大会の知らせだった。しかし足を止めたのは別に僕が花火好きだからというわけではなく、そこに哀川――いや輝夜姫月だったか――がポーズを決めてこちらにウインクをしているのを見つけたからだ。あいつを見つけたからどうというわけでもないのだが。
「あいつ、またライブなのか」
見れば花火大会に伴って、この近所にある競技場で彼女のワンマンライブが行われるようだった。花火をバックに踊る彼女。…………。どちらかというとうちのテレビで花火の映像を見ながら飯を食っている映像の方がしっくりきた。
音無はしばしそれを見つめる。一方で僕はすでに興味を失いかけていた。
「羨ましいなあ」
「そうか? 不特定多数に監視状態だぞ? あのフリフリの衣装とかか?」
「う。そうじゃなくて……可愛いとは思うけど……。あの、堂々としてるのとか」
「あれは図々しい気がするが」
「図々しい?」
学校用の猫かぶりしか知らないのか、小首を傾げる音無。是非とも彼女の座右の銘なんじゃないかと密かに疑っている唯我独尊イコール哀川恋歌という構図について語りたがったが、どうして彼女のことをそんなに知っているのだと聞かれれば答えることができなかったし、何よりあいつの我が儘っぷりを短くまとめるにはあまりに多すぎた。要は面倒くさい。
しかし学校でも愛想のいい優等生を自分では作っているつもりの哀川に対しなんの疑いもなく虚像を受け入れている音無は心配げだった。
「哀川さん、葵祭出てくれるかな……」
アイドル活動によって葵祭に出られなくなるのを気にしているのだろう。許可なしに彼女のことを語るのは責任が重すぎるので語るのはやめとく。バレた時が怖い。代わりに肩をすくめた。
「どうだろうな。しばらくは追試と仕事で大変なんじゃないか? なんか勉強やる気みたいだし」
「えっ。彩葉くん、哀川さんに聞いたの?」
……ああ、何で自ら墓穴を掘りに行くんだ僕は。許可云々ではなくまず学校にほとんど来ていない彼女について僕が知ってたらおかしいだろう。嘘をつくのはクラスで関わる人間が少ない僕にとって嘘をつく機会がそもそも少ないので下手だった。できるだけ簡潔にボロが出ないようでっち上げる。
「あー、昨日帰りにあった。傾向とか質問されたよ」
「……ふうん?」
音無はどこか納得が言っていない様子だったが、追求は来なかった。まあ、来たら来たでどうしてそんなことを気にすると意地悪く返しただろう。それできっとまた赤面する。
それはそれで面白そうだなと、どこか彼女の反応を楽しんでいる自分がいて驚いた。