7-4
「それで大口叩いたというのに策はゼロなわけね」
「申し訳ない……」
哀川の指摘に僕は完全に萎縮していた。このやりとりをクラス連中に聞かれていたら示しがつかない。
時は放課後。夕暮れの中を、僕たちは下校していた。
「格好つかないわね」
大きな溜息をついて呆れる哀川に、音無が僕の前に立ち首をぶんぶんと振る。
「そんな、ことない……。クラスをまとめたから」
「……ま。それは評価してあげてもいいかしら」
「なあ、参考までに聞かせて欲しいんだが、お前ならどうした?」
「殴って従わせる」
「おい」
生き生きと拳をかざし、口角を持ち上げる。そこから覗く犬歯に背筋が冷えた。
「それが集団としてやりやすいのよ。トップに全員が賛同しながら何かできるわけないじゃない。そういう意味では、あんたの挑戦的な態度は新鮮だったかもね」
同意の意見がある一方で、哀川の左側を歩いていたクラス委員は困ったような顔をした。
「でも、ああいうのはもうやめてください。下手すれば全員が散り散りになった恐れもあります。そうすれば葵祭どころか今後の生活……学級崩壊にまでなりかねないですから」
「んな、大袈裟な」
口調が丁寧なだけに自分のしたことの重さをより感じる。クラスをまとめる身としては葵祭が全てではなく、今後の生活のことも考えなければならないのだろう。
常に全員の調和を考えている。そのためなら自分の声すらも隠してしまっているようにも見える彼女。
彼女は、一体何を胸に葵祭に参加しようとしているのだろう。
他人のためか、自分のためか。
ふと、自分には言えたことではないと思い直す。自分の絵を描くのが怖くて、他人の世界を描くような、僕には。
「誰かと仲良くやっていくことは、難しいんですよ?」
「善人も大変ね」
「悪ぶってるのも大変ですよ? ふふっ、お二人とも似た者同士なんですね」
哀川と僕の方を交互に見て、忍び笑いを漏らす。
「言うじゃない。こいつと似てるっていうのが気がかりだけど」
「そうだ。すぐに暴力を振るわないぞ」
「……殴られたい?」
「すでに殴ってから言うな!」
殴られた頬をさすりながら薄目で哀川を睨む。……しかし、こいつも変わったものだ。
以前の彼女はこんなに自分を出すことはなかった。少なくとも僕相手であってもどつくようなことはなかった。それが今となっては、人当たりだけがいい仮面が少し薄くなった、気がする。暴力が増えたと考えると、いいことなのか少し考えなければならないが。
「なによ、文句あんの?」
「いででっ! 耳引っ張んなっ!」
「まあまあ、お二人さん、何はともあれ、第一段階はクリアってことで」
「今素直に喜べないと、いつまで経っても喜べないよー? ゴールはないんだしー」
滝本と喜多山の声に「まーねー」と耳を離した。僕は熱くなった耳の付け根をつまみ、痛みを誤魔化しながら深く息を吐く。
「気に出したらキリがないのは確かだけどな」
「そんなわけで。どっか寄り道しね? ほら、今後の方針も考えなきゃだろ?」
妙にテンションが高めに滝本がはしゃぐ。
「それもそうですねえ」
「おーおー、名案だねっ」
「う、ん。私もいいかな」
「まあ、今日は仕事ないし、少しだけなら……平気ね」
クラス委員長と喜多山、音無、哀川は概ね同意を見せるが、喜多山が哀川の背後に周り込み、肩から覗き、顔をギリギリまで近づける。
「おお? 恋歌っち時計を気にしてるね。デートかにゃ? お忍びかにゃ?」
「違うわよ。大体、あたしに釣り合う男なんてそうそういないし」
その言葉に隣にいた音無が胡乱げな目つきで哀川を見る。
「……ふーん」
「な、なによ、有姫」
「何でもない」
……へえ。
哀川が音無に押されているなんて初めて見た。
哀川はあんなに音無のことを嫌っていたのに露骨な嫌悪感はなく、音無は気が強い人間に強く出てくる性格でもなかったのだ。決して仲良しほどの関係ではない。しかし、確かに二人の間に何か明確な繋がりがあるような気がしてならなかった。言うなれば、好敵手、だろうか。何を争っているのかは不明だけど。
僕は女の子たちが自分たちの会話に没頭している後ろで滝本に耳打ちした。
「お前、何考えてる」
「へ? 何も考えてねえよ」
「嘘つけ。何も考えてないなら逆に問題だ」
「何言っても否定されるなんて……。どう考えても提案なんてできねえじゃん……」
「本音は?」
「こんなに可愛い女の子たちとお茶する機会をみすみす逃してたまるか!」
「正直すぎるだろ……」
これには流石に呆れるしかなかった。むしろ、流石だというべきか。
そうして駅も近づいてきた頃。他愛もない話で盛り上がってきた一行。その集団の中で僕は携帯の時計に目をやる。午後六時半。完全下校を指示されていたし、そろそろだろう。僕は足を止めた。
「――――――――あ」
急停止に周囲の注意が向く。僕はその視線から逃れるようにぎこちなく反転。学校の方へと向く。
「すまん。忘れ物した。話し合い、僕はパスだ」
「忘れ物?」
「……ちょっとな」
背中に音無の言葉を受け、口の中が急速に乾くのを感じる。
「明日じゃ、駄目なの?」
「いや、今日じゃないと駄目だな。――今日しかない」
腹の底でずっと抑えていた感情を少しずつ開放。今にも暴れだしそうなそれがとぐろを巻く。深呼吸をし、自分を落ち着ける。さっきまでの平和な会話がもう遠い日のことのように感じる。
「ん? じゃ戻ろうか。お茶して待ってもいいけど」
「いやいや。いいって。こんな大所帯が行ったり来たりするのはなかなかに迷惑だ。――少し、時間もかかりそうだし」
振り返りもせず、大げさに腕を振る。棒読みにならないように気を付けたが、少し大げさになりすぎたか。
「そう。ならあたしたちもお茶はやめて大人しく帰りましょうか」
「彩葉くんがいないなら……。実行委員欠けても仕方がないですし」
「ロハっちいないの? じゃあ、やめよっか」
「それじゃあ、私も……」
「なにこの彩葉の人気?!」
「僕が人気なんじゃなくで自分が信用されてないことに気づけ」
自分の離脱より話し合いが中止になったことにわずかながらに罪悪感を抱くも、その場を後にする。
「じゃあ、また明日ね」
「明日な。――あ、音無」
今振り返れば、僕が今どんな表情しているかバレてしまう。おそらくそう見て楽しいものではないだろう。
「なに?」
「葵祭、成功させような」
それが、今の僕のやるべきこと。
そのためなら、あいつらの橋を描くためなら。
僕は、何だってやろう。
「うんっ」
この音無の弾むような声を失いたくなんてないから。
そうして僕たちは別れ、単独行動開始。来た道をそのまんまに戻った先にあるのは、辺りがすっかり闇に包まれた校舎だった。
僕は闇に埋もれた不穏な気配を漂わせる建物を一瞥する。
夜の校舎に入るというのはなかなかに勇気がいるもので夏場だというのに思わず震える。武者震いとも言う。
「それじゃ、」
忘れ物を取りに行かないとな。




