7-2
「自粛、ですか」
言い渡されたのはそんな言葉だった。オウム返しする音無の声は僕の中にきちんと落ちるまでにしばらく時間がかかった。
事件発覚の翌日。実行委員の僕と音無は生徒会室に呼び出されていた。窓際に物々しく座っているのは生徒会長。どこかで見たことがあると思えば、葵祭実行委員長だった。兼務していたらしい。
生徒会長の隣にいるのは、先程から一歩も動かない女生徒。先ほど副会長だと紹介された。その時に一礼しただけで、それ以上の反応はない。
「ど、どういうこと、ですか?」
「説明が必要かね?」
「…………」
会長の言葉に音無は言い返せない。惨状が発見されてから一日たった今ではすっかり噂になってしまっているのを理解しているからだろう。
どうして七組のセットだけが壊されていないんだ。七組がやったに違いない、と。
その論理展開は甚だ疑問があったけれど、強く言い返せないのは事実だった。事件前夜、つまり花火大会のあった日に、遅くまで残っていたのは事実だったからである。
会長は呆れたように僕たちの方、いやその後ろへと視線を向けた。
「外にいる人間にも入ってきてもらってはどうだ?」
「え?」
それは出入り口。その窓ガラスにはうっすらと人影のようなものが伺えた。
会長が指示を飛ばし、副会長が扉へと歩いていく。その様子に廊下側から小声ながらもざわめきが湧き始める。本当に誰かいたらしい。
勢いよく扉が開かれると、数人が雪崩込む。哀川、喜多山、クラス委員、滝本……さらに廊下をかける音が聞こえることから察するに他にも傍聴人はいただろう。逃げ出したか。
体制をサンドウィッチ状態の女性陣はスカートを直しながら立ち上がり、滝本はその後ろで残念そうな顔をしている。概ねどさくさに紛れて自分も重なればよかっただとか思っているのだろう。本当にそうでないことを祈るが。
不意打ちから持ち直した哀川が、ずいずいとこちらに歩み寄る。副会長の静止を振り払い、僕の体を押しのけ、生徒会長を睨みつけた。
「盗み聞きか。いい趣味だな」
「じゃあ嫌味はあんたの趣味ね。大体、自粛って何よ?!」
「君は日本語が不自由なのか。そのままの意味だが?」
「あんたね……っ!」
追うようにしてクラス委員が掴みかかろうとする哀川を「哀川さん」と言って諌め、加勢する。
「お言葉ですが生徒会長。あまりにも理不尽じゃないでしょうか?」
「私は実行委員と話をしているんだが」
「クラスのことをクラス委員が心配してはいけないのでしょうか?」
「部署が違う。クラス委員は葵祭においては何の権限もない。君が別にクラスの総意というわけではないだろう?」
「クラスの一人としての意見も聞き入れてもらえないのでしょうか?」
「何のための実行委員だと思っているんだね。一人一人の意見がまかり通るならクラスも委員さえもいらない。集団である必要がないからね」
「…………」
この会長は感情による反論を許さない人種。ならば冷静な抗議である必要があるが、それゆえに反論できない材料があれば口を出すこともできない。
このまま引き下がれば葵祭に関するあらゆる活動が停止される。練習は別の場所でも出来るかもしれないが、この辺で大人数が毎日集まれる場所なんてほとんどない。舞台装置だって絵が完成して終わりというわけではないし、衣装に至ってはまだ半ばだ。今動きを止められたら葵祭に確実に間に合わない。
後から正式な抗議で葵祭に出れるようになり、練習を再開しても全て遅すぎるのだ。
ここで自粛を取り下げなければ。少なくとも自粛解除条件を提示させ、活動そのものはできることが必要。
そしてそれができるのは実行委員のみ。
こんなのは柄じゃない。そう思いながらも、僕は周りの視線を受けながら口を開く。
「それは、実行委員の総意ですか?」
「委員会を開いていないだろう。こんな状況で集められるわけもない」
「独断でこんな判断してるの?!」
「早まるな。スポンサーの意向だ」
会長は眉間に皺を寄せながら噛み付く哀川を諌める。会長は哀川のように感情で強気に出てくるタイプが苦手なのだろう。僕は続ける。
「スポンサー……たかが学園祭でしょう?」
「されど学園祭だ。君は知らないのか? 葵祭がもたらす経済効果は馬鹿にならない。葵祭は単なる学園祭ではないのだ。この周辺一帯の商業グループがこの学校に投資している事実ぐらいは分かっているだろう?」
会長は小馬鹿にした様子で僕の方を見るが、知らないわけではない。こちらとてその組合に入っているバイト先で働いているのだ。店長からその話題は頻繁に聞かされる。
「……。そのスポンサー様が何を言ってるんですか? 葵祭を中止しろと?」
「そんな元もこうもないことは言わん。だから言っているだろう、君たちの“自粛”だと」
……どこのスポンサーが言ったかも大体想像がついた。
「やってもいない罪を被れっていうことですか」
「それさえも確定したわけではない。容疑者だ。それも限りなく黒に近い。現に最後に下校という記録が残っている」
「ただ事務委員に自己申告するだけじゃない。ウチ、セキュリティ薄いし」
「カメラもないしねー」
「……決定は決定だ。覆すのはなかなかに難しい」
哀川と喜多山の言葉に若干の渋い顔を見せる。彼自身、ぞんざいなシステムなのは分かっているのだろう。
「他のクラスがどうなるんですか?」
「ん? 予定通り行うさ。最もあんな様子ではできそうにはないがね。だからこそ君たちに責任が来るわけだが」
生徒会長の言葉に哀川は考え込む仕草を取る。気が進まない表情をしていたが、踏ん切りがついたのか言葉が漏れる。
「……要はあいつらのセットがないのが問題なのね?」
「君は一体何を聞いていたのだ。そういう趣旨だっただろう」
「そう。分かったわ」
それ以上の言葉はない。嫌味に対する反発もないことに生徒会長も不思議そうにしていたが自ら関わる必要はないと踏んだのか、質問を重ねることはなかった。
今度は「はいはーい」と喜多山が手を上げる。生徒会長は賑やかな人間も苦手らしく、相手にしたくなくなさそうだったが、喜多山は構わない。
「一緒に劇やるとかは?」
「できるのか?」
間一髪入れない返答に喜多山は「あー」と思案し、発言を謹んだ。陽気に考えつつも自分たちの置かれた立場は理解しているらしい。
このままでは自粛を受け入れることになる。誰もがそうなることは分かっていた。哀川の意味深な様子は気にはなったので視線だけ送ると、向こうも首を振ってきた。駄目だと。
今は駄目だ。
彼女の口パクが気がかりだったが、無理と言っている以上、強引に前に立たせるわけにもいかない。そもそも実行委員でさえないのだ。
この場において会長に反抗できるのは実行委員である僕だけなのだ。
改めて実感するその事実が僕を焦らせる。
なんとかしなければならないのだろう。しかし、考えても決定を取り消す、あるいは先送りにできるような案が全く思い浮かばない。
ただ会長は、あまり自粛に対して気乗りがしないのが今までの態度かあら薄々感じ取れた。口調は冷静で悟らせないが、彼の纏う空気は語っている。どうでもいいと。
利己的な彼にとって、この地域、率いては学校の利益になることで何でもいいのかもしれない。
だとすれば、その方向に持っていくべきなのか。
だが、どうすればいい?
会長はこちらの沈黙をどう受け取ったのか、満足げに頷き、判決を告げるかのように自粛を告げる書類を叩いた。
「質問はいいかね。では、君たちは当分の間夏休みを楽しむと、」
「――ま、待って、ください」
反抗できるのは実行委員だけ。
しかし実行委員は僕だけではない。そんな当たり前のことを僕は忘れていた。
「……音無?」
生徒会長の決定を妨げたのは音無だった。
「まだ何かあるのか。何かできるのか?」
挑戦的で威圧的な会長の視線。音無はそれから逃れようとするが、堪えた。拳が強く握り締められている。
この場において一番反抗しないと思われていた彼女。だからこそ、一同は彼女の行動一つ一つに固唾を飲んで見守る。
「そ、損害は……どれくらい、ですか?」
上擦った声で出たのはそんな言葉だった。生徒会長はくだらない、とばかりに溜息。
「損害なら出ている。舞台を一つ作るのにいくらかかると思っている。このまま行けば二年生全クラス公演は不可能。各方面からのクレームは必至だ」
「い、いえ。――うちのクラスがでないことによる損害です」
「……なに?」
会長の顔が変わった。彼女の行っている意味が理解できなかったのだろう。
一方の音無は覚悟を決めたのか、長い前髪から力のある眼差しを覗かせた。
それは僕に絵を描いて欲しいと言ってきた時と同じ目。
彼女の本当の強さが宿った鉄のような意思を持ったあの目だった。
音無は言う。
「うちにもスポンサーがついています。それは別に材料を提供するためじゃない。売店展開するためです。うちにはスポンサーが五店、その全てが飲食関係です。売店利益は他のクラスに比べて単純に考えて五倍。五クラス分の利益をつくるクラスの劇を自粛させれば、当然その利益は得られません」
「ほう。自らを売り込むのか。それともハッタリか」
「事実です。予算の書類を見てもらえれば確認できます」
副会長に視線をやると、「彼女の言う通り、資料にはあります」と返答する。
「………………。責任を他の者に押し付けるのか。こんな交渉を始めるくらいだ、自分の言っている意味くらい分かっているんだろう?」
「……はい。私たちが葵祭に参加するためには、自身の潔白を証明しなければいけない」
「それはつまり誰かを疑うことだ。君たちにできるのかね? そうであっても舞台は元には戻らない」
「……それは、私たちが、」
「君たちが作るのかね? 一ヶ月はかかる舞台装置を全クラス分? 君たちだって先日出来たばかりだろうに」
「――それなら問題ないわよ」
待っていたとばかりに割り込んできたのは哀川だった。口を挟むなと言いそうなものだったけれど、会長は「ほう」と興味深げに促す。
「具体策は?」
「舞台はうちのクラスで“用意する”。それなら問題ないでしょ?」
「……できるのかね?」
彼女の言葉は決して具体的ではない。しかし、哀川の言い回しが気になったのか、会長は挑むように尋ねる。単純に無理だと切り捨てる真似をしなかった。哀川はそれを堂々と受け止める。
会長も気づいたのだろう、目の前にいるのは一般生徒だが、ただの生徒ではないのだ。
輝夜姫月。売れ始めとは言え、その人気の上がりは偶然ではない。――彼女の力だ。
彼女なら本当に何とかしてしまうのかもしれない。そんな底知れぬ力が彼女から感じられた。
「ええ。できないことは言わないわ」
哀川は不敵な笑みさえ浮かべて、会長の言葉を受ける。
その様子に音無は深く息を吐いた。
「信用の回復。他のクラスのセットの復元。この二つをどうにかしたら君たちの参加を認めてもらえるように交渉しよう。それまでの活動もその二つの条件解決のために必要なものとして扱おう。それなら向こうも文句入ってこないだろう。正直、君たちのいう利益は甘い蜜だからね」
会長は初めて笑顔を見せた。裏しか感じ取れない、しかしそれを表に出さない完全なビジネススマイル。
「期待してるよ」
その場にいた全員の表情が強ばった。
副会長も入っていたのが少し、滑稽だった。




