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青春画廊のお姫様!  作者: えつを。
27/59

5-5

 哀川が練習に本格参戦してから数日たったある日の夜のこと。僕と妹は並んでテレビを眺めていた。

「あいつ、変わらずテレビに出てるよな……」

「ほんと、可愛いよねー」

 会話が噛み合ってない。

 画面に映るのはフリフリの衣装を来て歌う哀川の姿。僕が思うのはその歌の上手さや、妹のベタ惚れっぷりではなく、彼女がその番組、それも生放送に出ているという事実だった。

 今日も練習はあったのだ。それもみっちりと。率先してみんなをまとめ、舞台稽古をした後に仕事に向かっているのは知っていた。しかし、以前と変わらないペースでテレビに出て笑顔を振りまく彼女の顔に疲労の色は一切伺えない。さすがはアイドルと言いたいが、途中で倒れたりしないだろうなと少し不安にもなる。

 仕事が忙しいのか我が家に顔を出さなくなったのは食費的にはありがたいことではあるものの、妹が不満顔になってしまったので、今日の練習時に「たまにはうちで飯食ってけ」と誘ってみた。

「なあに、あたしがいないと寂しいの?」

 意味ありげな表情でニヤついてきたので前言を撤回した。何かを勘違いした様子。別に彼女がいないからどうというわけではない。哀川がいないというだけで、普段以上に妹がダラけるのだ。いれば少しは取り繕うのだが。

 哀川の出番が終わり、他の芸能人にカメラが寄ると妹はテレビから離れ、はあーそのまま後ろに倒れた。そのまま上に手を伸ばし、机の上に置いてあった哀川のライブチケットを手に取った。それをぴしっと伸ばし、ニヤニヤし始める。足をばたつき始めていることからも彼女の機嫌の良さが伺える。

「ほんと、明日のライブ楽しみー。お兄ちゃん忘れないでよ?」

「善処する」

「お兄ちゃんはどうして忘れられないようなことを忘れるのかなあ、人の顔とか名前とか約束とか。頭はいいはずなのに」

「……そんなことないぞ」

 心当たりがありすぎるので、目は合わせないようにしながら応える。妹のジト目が大変に心苦しい。

「私の誕生日を平気で忘れたことを、私は忘れない」

「……何年前の話だ」

「今年だよ! なに! 私が怒ったことも忘れんの?! サイテー!」

 アクロバットに跳ね起き、ちゃぶ台越しに唾を飛ばす妹に耳を塞ぐ。

「耳元でキンキン騒がないでくれ。それだけ騒いだなら、なんかして祝っただろ。お前に強制的に、たぶん」

「自分のことぐらい覚えててよ。よくない癖だよ。――嫌なことだけ覚えるの」

「……え?」

「気づいてないの? お兄ちゃん、楽しいこと――お兄ちゃんが楽しいかどうか知らないけど――とにかくそういう時のこと、覚えようとしないじゃん」

「そうだっけ、かな……」

「そーなの」

 それは自分では全く気づいていないことだった。

 当たり前だ。自分がどれだけ周りと異質かなんてことはなかなか評価しない。どちらかというと自分がどれだけ周りと外れていないかを気にする。

 だから、自分の異質さなんてものは大抵気づかない。性格的なものならば、尚更。

「いつの間に心理学者になったんだ? お前は」

「お兄ちゃん限定だけどね」

 へへっ、と舌を出しておどける妹。寝転がり、床に広げたままにしてあった画材に飛びついた。空白のスケッチブックを開き、おもむろに鉛筆を握る。

 何を描くのかと思えば僕の方を見て、描き始めた。そういえば人物描くのは苦手だったなと思いながら、頬杖をつく。

 一瞬、聞くか聞かまいか考えた後、思い切って口を開く。

「なあ、妹よ」

「何かね、兄者」

 ノリのいい妹で助かる。僕は一息ついてから、彼女に問いかける。

「お前、絵描くのやめたわけじゃないのか? 美術部はやめたって言ってたけど」

 答えにくいかと思ったが、妹はデッサンの手を緩めることはない。しかし、その顔は楽しそうではない。輪郭を引く線が歪み、何度も描き直している。どうってことのないように振舞っているが、強がっているのが目に見えて分かる。

「んー? 部活に所属してなくても絵は描けると思うけど」

「いや、そうなんだけど」

「なになに? 私が部活やめたしんみりエピソード聞きたいのー?」

「……まあ、そうだな」

「そっかー」

 妹の動きが止まった。起き上がり、あぐらになる。その表情はいつもの元気さがない。どんなに声では道化を演じていても、彼女だって思う所があるのだろう。

 妹は今まで見たことがないような澄んだ瞳で、僕を見る。

「お兄ちゃんはさ、自分が悪いって思ってるよね?」

 悪い。その言葉は唐突だったけど、なんとなく察した。

 僕は「人殺し」で、こいつはその「妹」なのだ。

 そのレッテルがどんな被害をもたらしかなんて今更振り返りたくはない。

「……ああ」

「それは半分間違ってて、半分正しいの」

 妹は心中を吐露する。

「私ね、バレちゃったの。霧隠彩葉の妹って。別に隠してたわけじゃないけど。あれからもう三年も経ってたし、知らない人は知らない。そうぐらいの認知度。あのバス事故自体は有名なんだけど、それが私のお兄ちゃんとは誰も思わなかった。だから、あえて言うこともないかなーって、黙ってた。まあ、隠してるのと同じなんだけど。それでね、言われちゃった」

 言葉を切り、目を伏せる。そして、言いづらそうに続ける。

「……人殺しの妹だって」

 そのワードをどれだけ毛嫌いしているのは彼女の口ぶりから容易に察せられた。妹は早口でまくし立てる。

「あれは事故だし、お兄ちゃんが何したってわけじゃないのにね。美術部にあの事故の関係者だっていなかった。ううん、だからなのかな。ただ私にレッテル張りして楽しんでたのかも。嫉妬とかもあったのかな、絵描くの苦手だーって愚痴ばっかり言ってたし。楽しんで描かなきゃいい絵なんて描けるわけないのにね」

 言い切り、妹は上を見上げる。後半の彼女の声は震えていた。それでも嫌がらず、僕に話してくれた。

 いや、ずっと言いたかったのだと思う。

 妹が友人にそう言われる前から、そういうレッテルはあったのだ。妹どころか家族全員に貼られたのだ。人殺しの親族。バス事故によって僕はただ一人生き残った。ただそれだけ自分以外の人間まで不幸にしてしまった。

 不幸は感染する。その罪の審議はどうであれ、僕に罪が認められた時点で、その周りは不幸になっていった。

 だからこそ、都会にまで出てきたっていうのに。

 まるで意味がない。僕がいようといまいと不幸は止まらないのか。

「……悪い」

 僕に出来るのは、頭を下げることだけ。

 何も解決はしない。しないがそうしなければ僕の気が済まなかった。

「ていっ」

 垂れた頭に妹のチョップを繰り出される。痛みはない。まるで頭でも撫でるかのようだった。

「あのね、お兄ちゃん。私は謝ってほしいわけじゃないの。――絵を、描いて欲しいの。私はお兄ちゃんの絵が好き。好きだから、憧れて追いつきたくて、絵を始めた。今も描いてる。でも全然追いつかない。あの見ただけでワクワクするような素敵な世界は描けないの。あれは、お兄ちゃんにしか描けない。なのに」

 当の僕は、不抜け、描けなくなってしまっている。こいつにとってこれほど腹立しいものもないだろう。

「ごめん、好き勝手に言いすぎたかも。お兄ちゃんは確かに迷惑をかけてるかもしれない。でも私だって、迷惑かけてるんだから」

「……そっか」

「お兄ちゃんはたかが絵ぐらいで難しく考えすぎなんだよ。好きか嫌いか。やりたいことなんてそんなもんでいいんじゃないの?」

 たかがか、絵ぐらい、か。

 随分と言い切ってくれる。未だにそう割り切れない僕にとってはこいつのカラカラとした性格がなんとも羨ましい。……でも。

 案外そんなものなのかもしれない。

「嫌なこと、聞いたな」

「ううん、いつか話すつもりだったし。正直、来たのもそのためっていうのもあるから」

「……そうか」

「まあ、メインは都会生活エンジョイするためだけどねー。徒歩五分でコンビニあるとか最高だよ。いつもと違う絵が描けるし、お兄ちゃんは養ってくれるし」

「……少しは自立しないのか」

「だって、お兄ちゃんだもん」

 お兄ちゃんだから。昔は理不尽に思ったものだが、兄弟の繋がりっていうものは単純で、だからこそ、強固なものなのかもしれない。こいつは妹だ。我が儘だけど、妹だから、世話を焼くし――こうして僕も世話を焼かれるのだ。

 同級生とは違う距離感。でも、誰よりも見えてしまう。どんなに無関心でも、どんなに離れていても。こんな僕でも考えてくれる。僕が兄だから。家族だから。

 それ以上の答えはこの場に必要はない。その答えが例え僕の求めているものではなかったとしても。質問とは関係のない答えだとしても。

 きっとこの答えは価値があると思うから。

 だから、今はそれでいい。

「もう一つ聞いていいか」

「ん? 今晩はカレーがいいナー」

 自分の言動が少し照れくさくなったのか、頬をかいて視線を逸らす。辛口のルーならあったなと頭の隅で思いながらも甘口カレーしか食べられないお子様に尋ねる。

「絵描くの好きか?」

 妹は僕を見上げ、満面の笑顔で答えた。

「大好き」

 辛口にするのはやめておこう。


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