3-4
「ロハくん、葵祭の調子どう?」
そう呼ぶのは、穏やかな笑顔を浮かべた小柄な女性だった。
ゆるりとウェーブを描く栗色の髪は胸のあたりまで伸びており、日向ぼっこをしている小動物のような雰囲気を漂わせていた。
場所は学校近くの商店街のとある喫茶店。シックなデザインでアンティークといえばいいのか古道具趣味問えばいいのか分からない店内。店全体は広くなく、午後の休息を楽しむお客もまばらだった。
そのカウンター席の内側に僕のことを愛称で呼ぶ女性、カウンターを挟んで僕が立っていた。僕は店の制服に身を包んでいる。といっても制服にエプロンをしただけではあるが。
ただいま絶賛、バイト中である。
「…………何のことですか、店長」
「何って、当然進歩状況のことよ。そろそろ忙しくなるんじゃないのかしら? うちでバイトしていて大丈夫?」
ほんわかな空気を醸し出す女性――店長は仕事中だというのに平気で僕に話しかけてくる。夕暮れ時だというのに客の姿はほとんどない。よって僕も店長も仕事がない。この店の先行きが不安になりながらもカウンターの前で立ち、店内に意識を向ける。お客が少ないからといってオーダーを聞き逃すわけにはいかない。だから僕は意識半ばに返答する。
「慢性的に人手不足な店が何言ってるんですか」
「いいのよ、うちは。それで、演目は何になったの?」
「……さあ?」
とりあえず惚けてみた。店長はうちの学校の卒業生だ。それも根っからの葵祭好きで、暇さえあれば当時の話をしてくる。葵祭の季節になった以上、関心がそちらへ向くのは当然だった。去年のこの時期も同じ話題になったのだが……必要以上に関わりたがるのであまり店長とは葵祭の話をしたくはなかった。
この人が葵祭にかかわるとロクなことがないのだ。去年は差し入れと題して手作りケーキをクラス全員分差し入れて経営が傾いた。本人は笑っていたけど。
「嘘おっしゃい。実行委員なんだから知らないわけがないでしょう」
「相変わらず耳が早いですね。その様子だと演目も知ってるんじゃないですか?」
「知らないわよ? だってオリジナルなんだから話知りようないし」
知ってるじゃないか。オリジナルだって。
「本当にどっから情報仕入れてくるんですが……」
「ふふっ、侮ることなかれ。ロハくんの行動を知ることなんてお茶の子さいさいなのよ!」
格好つけて大声で宣言するものだから、お客さんの何人かがこちらを向く。店長はバツが悪そうに口に手をあてた。「ちょっと声が大きかったかしらね」会話はやめる気がないらしい。
「あの、店長」
「休暇申請ならオッケーよ。安心して、バイト代はあげられないけど、ご飯になりそうなものなら持ってていいから」
「すいません、本当に。自分の生活のためにやってるのに、なんか、投げ出して」
「いいのよ、いつも任せっきりだしね。色々と」
「……ええ、本当に」
この人は案外だらしがない。そもそも珈琲が好きだから喫茶店をやっているような人なのだが、お金の管理が驚くほどできない。珈琲のオリジナルのブレンドの開発やお菓子の試作などに売上に対して多くあててしまうのだ。本人が納得しているならいいが、その帳簿をつけるのがバイトの僕だというからなんとも言い難い。僕が来るまで一体どんな経営体制をしていたのだと今でも不思議に思う。
「それで?」
「ん? 何かしら?」
「何が望みなんですか? 何か裏があるんでしょう?」
「お姉さんも混ぜてほしーなって」
「歳考えて……いててっ」
耳を引っ張られる。痛みに引きずられ、体がカウンターに少し乗り上げる。
「私はまだ若いのよ? あーあー、私も葵祭に混ざりたいなー」
「で、でも、無理でしょう?」
「スポンサーっていう手があるわよ?」
「うち、何か提供できるんですか? 布ぐらいなら、ありそうですけど。出店だけ目論んでます?」
店長はやっと耳を放す。それをさすりながら痛みを和らげる。お客の前でじゃれるべきではないと思うのだが。店長は痛がる僕を指差し、にんまり笑顔をつくる。
「ロハくん」
「…………。は?」
「だから、うちから提供するのは主にロハくんってことで」
舞台に必要な木材でも衣装のための布なんかでもなく、僕。
「……ああ、それがバイト休暇の条件ですか」
「呑み込みが早くてお姉さん嬉しいぞ」
店長が頭を撫で、小柄な店長はカウンタにー身を乗り出し、足をバタつかせながら撫でている様子に「いいからちゃんと地に足つけてください」と注意を促す。大人の振る舞い的にも。
「葵祭に出店するぐらいでうちの売り上げが伸びるとは思わないんですがねえ」
「んー。まあ、どっちかっていうと、抑止力目的かしらねえ」
「抑止力?」
カウンターに両手で頬杖をし、僕を見上げる。また物騒で店長には似つかわしくない単語だことで。
「道明寺カンパニーって知ってる?」
「道明寺? うちの学校の奴ですか」
「ええ。それは御子息ね。彼のお父さんが経営している道明寺カンパニーがね、息子を利用して大量出店を計画してるらしいのよ」
「はあ、学祭で頑張りますね」
学校へ出店してもあまりメリットがないように思える。生徒からすれば……道明寺息子の方からすればパパンの会社の権力を使って様々な機材を搬入できそうだ。いや、事実しているのだろう。その全員が当日出店するかは知らないが。
店長は溜息をつき、愚痴を零す。
「ロハくんはもともと外の人だから詳しくないか。いい? 葵祭は全国から人の集まるお祭りなの。学祭はその中心に位置するメインイベント。その学区内に出店できるのは大きな利メットなの。外に名前を売ってく上でね」
「だから道明寺グループが目を付けるわけですか」
コマーシャル。確かに単にテレビで流すよりは、安上がりでお祭りという看板と一緒に流れそうなものだけど。
「そうよ、去年も道明寺傘下の店が多く出店してたの」
「それが何か問題が?」
「大ありよ。うちの協会がピンチなのもあそこのせいだし」
「協会?」
「ここの商店街の組合のこと。ここ数年で進出してきた道明寺グループとは犬猿の仲なの」
道明寺グループ。彼らのこの街への進出が始まったのは一年前。駅前に大きな駅ビルができた。その便利さから商店街から人はめっさりと減った。一年が経過し、商店街の方も徐々に落ち着いているが、昔に比べ寂れてしまっているという。
「それで対抗しようと?」
「ええ。学校全体としても受け入れには限界がある。うちがその枠を取れればと思ってね」
「その情熱がどうしてうちの経営難へは向かないですか……」
「あんな連中に葵菜を汚されたくはないもの」
店長は毒を吐き出す。あんな連中。らしくない荒々しい言葉遣いから道明寺グループを心底嫌っているのが伝わる。クレーマー相手にも穏やかに対応する人なだけにショックに近いものを受ける。
「世知辛いですね。まあ、掛け合ってはみますよ」
「よろしくねー」
恐らくクラスは無事申請するだろう。スポンサーは何も提供してくれなくてもいるだけで心強い。自分達が期待されていることを実行委員会にアピールできるからだ。そういった信頼が多く勝ち取れると、実行委員が何かと目をかけてくれる……らしい。特別予算が割り振られるだとか身も蓋もない噂が流れているが実際のところは誰も知らない。実行委員である僕も同様だ。……今更だが僕で良かったのか?
お客はいない。今後のバイトの休みも確保。店長は仕事中だというのに話疲れたのか、サーバーに入っていた珈琲をマグカップに注ぐ。その数二つ。そして一方を僕へ。
「飲む?」
「バイト中ですよ」
「いいのよ、暇だし」
「暇なのをどうにかしようとは思わないですかねえ」
「だって、お祭りだし」
そう言って店長は微笑む。言い返すのも馬鹿らしくなり、素直に頂戴することにした。
珈琲の味は文句なしに美味しかった。




