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青春画廊のお姫様!  作者: えつを。
13/59

3-2

 翌日の教室。一週間講師をした以上、哀川の追試を心半ばに祈った僕は、クラス数名と集まっていた。朝から妹が哀川の出陣式を追試如きでやろうとしたのを近所迷惑になるという理由で全力を持って止めた僕は、気だるさから話し合いにも意見することもなく、おとなしくやり取りを聞いていた。実行委員としてどうなんだとは思うが、いつも通りとも言える。

 教室にはクラスメイト全員ではなく、役者、衣装それぞれの代表。そして、クラス委員と実行委員が教卓の周りを囲っていた。

「予算に関しては毎年のようにクラスから徴収したお金です。その上限は実行委員会に決められたものに従ってください。予算オーバーすることは基本的に不可。木材や布の仕入れ方法がネックになりますね。基本的に廃材を集めることになりそうです。布は各々の家にある物持ち寄るのが基本になりますかね」

 実行委員以上の働きを早速見せるのはクラス委員だった。

 クラスから徴収した金が葵祭の基本資金になる以上、実行委員とクラス委員の連携は必須である。といっても彼女に任せっきりの未来が見え隠れしているが。

 クラス委員の発言に、はい、と手が挙がる。一人座り込んでいた運動着姿の滝本だった。聞けば先ほどまで朝練かあったらしい。元気なこった。

 役者代表の奴は腕を組み、すでに記憶が薄くなっているらしい去年のことを思い返す。

「商店街に頼めないのか? 一応この周辺巻き込んだ祭りなんだからある程度融通は利くんじゃねえのか?」

「もちろん、協力は仰げます。でも今現在でも“商店街として”は協力を得ています。でもそれは基本的に各クラスに平等に渡ることになります。他クラスと差をつけたいなら個々の店にスポンサーになってもらう必要がありますね」

「おっ、クラス委員も結構勝つ気満々だねえ」

「その気はないんですか?」

 滝本のはやし立てにも小首を傾げ、真面目に取り合うクラス委員。彼はのってくれなかったことが悲しいのか、「いやいや」と苦笑いする。

「しっかし、スポンサーってなかなかつかねえだろうなあ。他のクラスでも動くだろうし。彩葉、お前バイトしてたよな?」

「喫茶店には木材も布もないぞ」

「だよなー。ま、頼めるならそれに越したことないさ」

 滝本の方も本気ではないらしく、あっさりと引く。まああの店長なら話せば面白がって首突っ込んでくるだろうなと思いつつ、だからこそ言いたくないんだと自らは提案することはない。ロクなことにならないのは目に見えている。

「スポンサー欲しいなら親を頼るというのも一つだと思うけど」

 街全体を巻き込んだイベントといっても文化祭は文化祭。その担い手は高校生だ。当然それは自分たちで成立するものではない。毎度偉そうに自分は一切関与しない教員たちが周りに感謝しながらやるんだと、自主性を重んじつつも他人を頼れという器用なことを生徒に要求してくる。少なくとも夏休み中に学校の冷房の機器をつけてからいってほしいものだが。

 すでに外ではセミの鳴き声が聞こえるような時間だというのに、節電という名目で冷房を絶たれたことと部活上がりでシャワーする暇がなかったらしい滝本の額には大粒の汗が浮かんでいる。汗をかきながら爽やかに白い歯を浮かべる彼の真似は絶対にできないなと僕はワイシャツの胸元仰ぎ、風を送り込む。

「身内には、頼りたくはないよな……」

 と持ち前の爽やかさを曇らせながら滝本は言う。彼のように考える生徒は実際に多い。思春期特有の自立心の芽生えという奴だろうか。

「隣の道明寺くんは凄そうだよねっ」

「もうすでに訳の分からない機材が並んでるしなー。道明寺の家って、金持ちなんだろ?」

 衣装代表の喜多山が、どこから持ってきたのかビデオカメラをいじくりまわしながら、滝本と一緒にうちのクラスからも廊下に見える正体不明の道具の数々へ視線をやる。

「うんうん。何でもあの道明寺グループの一人息子らしいしねー」

「あの露骨な金持ちアピールはやめて欲しいよな。もはやあれはズルいだろ」

「何も道具だけが勝負じゃないですよ。役者だって重要ですし」

 隣のクラスの金持ちに対し、始まる前から文句垂れる二人に優等生な対応するクラス委員。二人は「「はーい」」と応答するが、問題はまだまだある。

「役者、ねえ」

 僕の言葉に、王子様役に絶賛立候補している滝本は、代表らしく手元にある紙に目を落とした。それはクラス名簿であり、役者、大道具、衣装希望それぞれの希望がチェックされている。そして哀川の名前の欄には何も記入されていない。

「哀川さんは難しいのかねえ」

「王子役としてお前はどうなんだ」

「もちろん共演できるなら嬉しいけどさあ……。忙しそうだしなあ」

 滝本は携帯を取り出し、彼女の事務所ブログを表示。そこには今後の活動予定なるものがあった。テレビ出演やらモデルの撮影やらライブやら。彼女の行動を随一チェックしブックマークまでしている滝本にクラス委員の顔が引きつっていた。滝本は特に気にした様子もなく、携帯をしまいさっきから落ち着きがなく僕たちに向かってビデオカメラをじっと向けている喜多山を呆れたように見た。

「っていうか、お前は何をしてんの?」

「えーっ、見れば分かるっしょ。カメラだよカメラ。それもビデオカメラ! しかも無線機能付き!」

「それくらいでテンションあがるかいな。全クラスに学校側から配布されててる奴だろ? つか、無線とか必要かあ?」

「なによー。いいじゃん別に。ねえ、有姫」

「う、うん、いいと思うけど……」

 喜多山はカメラを覗き込むようにして音無を見る。写真に撮られるのが苦手なタイプらしく「や、やめて……」と両手でパタパタさせて自分を隠す。喜多山はそんな反応が楽しいのか、各クラスに配布された最新機種の最大十時間録画可能なビデオカメラを片手に音無を追い掛け回す。教卓の周りを早足でぐるぐる。途中音無が何もない所で転び、僕の方へと倒れ込む。僕がやっぱり人は重いなと女の子に対し大変失礼な感想とともに音無を抱きとめていると、ビデオカメラのレンズを合わせる音が聞こえる。「転んだ有姫可愛い!」撮るな煽るな。お前のせいなんだから。

 全く悪びれた様子のない喜多山に滝本は「話を進めようぜ」と溜息をつく。僕に抱きついていた音無は慌てて飛び退いた。

「早く役決めはしたいよな。特にヒロインだよ、ヒロイン。お姫様やりたがる人にもいねえし。役者志望は多いけどなー。オーディションでもやるか?」

「そうですね。でもそうなるとみんなを集めなければいけませんが、みんな来てくれるでしょうか? 夏休みの前半は部活の合宿がある人が多いですし。それでもお姫様は早く決めたいものです。劇の要になると思いますから」

「大丈夫だってー、だって哀川さんがいるんだよ?」

 滝本、クラス委員、喜多山が思い思いに意見を言うが彼らは内心、一つの認識にあるのが感じ取れた。それはみんな哀川が姫をやると考えている点である。

 確かに彼女には華がある。それに彼女自身演じることは満更でもないようだったし、みんなで頭を下げれば押し切れる気がする。もちろん仕事が邪魔しなければだが。

 考え込み始めた三人衆に対し、音無は小さく挙手する。

「役者はシフト出してもらって、練習組みたい、かな。オーディションはいいよ。希望者は全員役者。どの役かは、考えなきゃだけど」

 ハテナマークを浮かべ全員の視線が音無に向く。一斉に注目を集め、肩を縮こまらせた。

「全員、出せるから。まだ、書ききってないし……」

 脚本はほとんど出来上がっているというのは聞いている。しかし既存の物語以上にその柔軟性がある。融通は利くということか。

「となると、一番やばいのは大道具だな」

 役者、衣装の代表はここにいる。しかし大道具はいない。大道具志望がいないわけではなく、それを取りまとめようという猛者がいないのだ。葵祭において、役者も重要ではあるが何よりも初めに動かなければならないのは大道具なのだ。装置を作ること自体は役者でもできる。しかし大道具をわざわざ作ってまでしなければならない仕事がある。

「設計なら頼める奴いるけど、全体のデザインはなあ」

「みんなやりたがらないですよねえ」

 滝本とクラス委員が唸る。デザインと設計。通年、どのクラスにも大抵はこの手を得意とする人間、あるいはやりたがる人間というものがいるのだが、このクラスにはなんとゼロ。一方で他クラスにその人間が集まってしまい、我がクラスの劣勢は加速していた。

「なあ、彩葉。頼めそうな奴に心当たりあるか? 絵が描けるといいと思うんだけどよ」

「…………。さあ? うちに美術部も漫研もいないしな」

「……えっ?」

 隣にいた音無が素っ頓狂な声を上げた。友人が少ない僕に対する煽りなのかと思ったが、彼女はなぜか意外そうな瞳で僕を見た。

「どうした? デザインやりたいのか?」

「う、ううん、違うの。何でもない何でもない」

 あわわっ、と手を振って必死の否定。僕の交友関係を頼みにするわりには奇妙の反応。

 クラス委員は顔近くで手を合わせ、みんなの意識を向ける。「まずはシフト提出をしてもらい、その後それぞれのグループで作業を進めましょう」という至極単純な結論に至ると、昼食を取ろうという流れになった。

「おや。これはこれは。誰かと思えばお隣さんじゃないか。揃いも揃って無駄な葵祭の話し合いかい?」

 教室の外から覗き込むのは髪を肩ほどまでに伸ばし、やたらと明るい色に染めた男だった。いやらしく口角を持ち上げ、馬鹿にしたような視線を向けてくる。事実馬鹿にしているのだろう。そんな彼の両脇には数人取り巻きがいて、同じような集団特有の感染型テンプレフェイスを貼り付けていた。噂をすればなんとやら。隣のクラスの道明寺その人がそこにいた。沸点低めの滝本は露骨に嫌そうな顔になる。

「なんだ、お前ら。早速喧嘩売りに来たのか」

「いいや。俺たちは君たちに喧嘩売るほど暇じゃないんだ。なにせ、この俺様オリジナルの劇だからね!」

 道明寺の高らかな宣言に周りが「さっすが道明寺!」と合いの手いれる。それを満足そうに諌める道明寺に喜多山はカメラを向ける。道明寺はすぐにカメラを意識し、決めポーズをする。

「道明寺くんのクラスもオリジナルなんだねー。うちと同じだ。ねっ、有姫」

「そう、だね……決定して知らされてたのは題名だけだから、オリジナルかは知らなかったけど……」

 喜多山と音無のやりとりに道明寺は「ちっ、君たちもか……」と吐き捨てる。既存のものに比べて創作は他のクラスと差をつけやすいが、その分難しい。だからこそ彼は自慢してきたのだろうが、うちも同じ状況であるのが気に食わなかったらしい。

「……ふん。大体俺がいる以上、このクラスの優勝は決まってるんだよ。君たちの話が俺のものに叶うわけがないんだ。見るがいいっ! この俺の芸術をッ!」

 道明寺が腕を大きく振りと、後ろに控えていた取り巻きの一人が片膝を立て、スケッチブックを取り出す。それをぱらりとめくると現れたのは一枚の絵。それはどうや今回の劇のイメージ画らしく、色鮮やかに描かれていた。ただ数多く色使っているわけではない。平面の世界に確かに存在を持たせるために何度も何度も重ねて塗られ、風景ではなく世界が創られていた。僕の片目でもそう見えるのだから、両目で見ればどれだけのものか。

 見入っていたのは僕だけではないようで、クラスメイトたちも息を呑んでいた。ただの口だけの自意識過剰なおぼっちゃまではないということを見せつけられたとも言う。

 相手が誰であろうと、例え僕であっても笑顔で接する稀有な人のいいクラス委員は「お上手ですね」と素直に感嘆した。喜多山は目を丸くして「へーっ、ほーっ」だとか分かったんだか分かってないんだか曖昧な反応。滝本は唇を噛みしめている。音無は……僕を見ていた。どこか寂しそうな目で。なぜだろう。

 道明寺は各々の反応に満足したようだったが僕の反応は面白くなかったらしく、つかつかと近づいてきて僕の眼帯へと指差す。近すぎるせいで指先が見えない。

「俺は君と違って、実行委員以外にもこれから次期美術部部長としての仕事もあるからね、これにて失礼するよ」

 ふふんと笑うと金魚のふんどもに「さあ行くぞ」と声を掛けた。ふははと高校生らしかぬ高笑いをしながら去っていく道明寺らが小さく見えなくなると、滝本が咳切ったように騒ぎ始めた。

「なんだよ! あれ。感じ悪りぃな。つか、自慢しにきただけか? あいつ」

「ロハっち、なんか道明寺くんにやったの? 上履きに画鋲でも入れた? それとも彼女の意中の女の子のハートを射止めたとか」

「いいや、何も」

 それにしても彼には極端に嫌われたものだ。親の敵とでも言わんばかり態度だった。人をあれだけ嫌うのは体力が要るだろうに。僕ごときにそのエネルギーを費やすのは不毛以外の何物でもないことを誰か教えてやらないのか。

 一方でクラス委員は道明寺の尖んがり具合に何か心当たりを見つけたらしく、「ああそうですね」と手を叩いた。

「この前の期末で負けたからじゃないですか?」

「「え」」

「知らないんですか? 彩葉くん、学年トップですよ?」

 唐突なカミングアウトに喜多山と滝本の息は合わさり、勢いよく僕の方へ向き直る。

「ロハっち頭よかったの?!」

「お前だけは信じてたのに?!」

「二人してなに泣いてんだよ……」

 唾を飛ばしながら涙を流す授業中爆睡常連組にクラス委員は慈愛に満ちた笑みで慈悲なく二人の心を抉り続ける。

「といっても、道明寺くん十位ぐらいだった気がしますけど」

「それでも十分すごいだろ!」

「だって追試ないんだよ?!」

「赤点取る方が悪いという発想にはならないのか、お前ら」

「「優等生なセリフは聞きたくないっ!」」

 通ずるものを互いに感じ取ったらしい二人の剣幕に押され、なぜか僕がなだめることになった。聞けば喜多山はつい先ほど数学の追試を受けてきたばかりでその結果が芳しくなかったのだという。一方で今回は追試を免れた滝本は喜多山に大きな態度を取っていたが、赤点より一点高いだけだった。

「ていうか、何でクラス委員は僕の点数知ってるんだよ」

「もう。何度言ったら私には鬼怒七海っていう名前があるっていうのが分かってもらえるでしょうか……。去年も同じクラスだったのに。七海ちゃんって呼んでくれていいんですよ?」

「そうか。じゃあ、クラス委員」

「……はあ。もういいです……。テスト結果は新聞部が調査して自主的に順位つけてたんですよ。速報として張り出されてたんですが、読んでないんですか?」

「うちの新聞部はプライバシーという言葉を知らないのか?」

「そういえば、この前は事務委員さんの輝夜現場を押さえてましたね」

「本当に何してんだよ、新聞部……」

 そもそも僕は誰にも点数を言っていないはずなんだが。まあ周りに気を配っていたわけでもないので勝手に見られたなんてことがあるかもしれない。できるだけ新聞部には関わらないようにしよう。誰が新聞部かなんて知らないけど。

 どうにか冷静さを取り戻したらしい滝本は腕を組み、それでも何か納得がいかないらしく、うんうん唸っていた。テスト前にそれくらい唸っていたら少しは変わっただろうに。

「でもそれにしても道明寺の奴、彩葉のこと目の敵にしすぎじゃねえか? 他にも上の順位の奴はいるんだろ?」

「まあ、嫌われる要素はあるし」

「やっぱりなんかしたのか?」

「だからしてないって。……してないからこそなんだろうさ」

「はあ?」

 僕の返答に顔をしかめる滝本。

 実を言えば道明寺とは顔見知りだ。それもこの高校ではない。もう少し古い面識になる。

それは僕がまだ絵を描いていた頃、それはつまりお気楽に筆を取り始め周り褒められ担ぎ上げられるままに調子に乗っていた暗黒時期のことであるが、ちょうどその頃。地方で大きなコンクールがあり、そこに参加した際、見かけたことがある。その頃はまだ愛想もよく、僕の絵のことも評価してくれた。ライバルとでも思ってくれたのだろう。当時から道明寺の家柄のことを自慢し、誇りと驕りを履き違えている感じではあったけれど。

 しかし、僕は今となってはこの腑抜けっぷりだ。今もなお絵を続けている身からしたら、苛立って仕方がないだろう。彼から絡まれたのは久々であったが、葵祭が近いということそして僕が不本意ではあるが実行委員になったこともあり、再び僕への怒りがぶり返したのだろう。今の僕は敵になりうることなんてないのに、と僕は眼帯にそっと触れる。古傷が痛むだとかそんな覚醒要素はない。触れて返ってくるのはただひたすらの虚無感だった。

「今年は問題起こさないといいですけどね、彼」

 ほう、とクラス委員は物憂げに溜息をつく。確かに彼の言動から察するに周りからの評判は悪そうではあるが、クラス委員はあまり人の性格を否定しない。それを個性として認める節がある。だからこそ窓際族の僕とも他の人間と変わらず関わろうとする。しかしそんな彼女が心配になるということは、彼が行動を伴って何かした、と考えるのが妥当か。

「あいつなんか、起こしたのか?」

「ええ。知らないんですか? まあ表には出てないんですけど……。去年の葵祭の時、他クラスの関係を壊すような噂を風潮したりしたそうで」

「あと票を金で買ったとかもあるよね」

「そういえば、道明寺のクラスが優勝してたなー。あの時は金を使って出来のいいもんにしてるとばかり思ってたけど」

 何かと悪い噂が飛び交っているようだ。噂をそのまま信じ込んでいるわけではないのだろうが普段から信用のない彼のことである。信じきれない部分があるのは確かだろう。

「き、気にしても、何もできない、よ?」

 と音無は指摘。

 噂が事実であれ虚偽であれ、それは過去のことであり今彼は何もしていない。時効とまではいかないが実害もなく去年の証拠もない以上、僕たちにできることはない。あるとすれば注意を配るくらいだろう。

 その言葉に素直に頷いた喜多山はなぜか音無に抱きつき、小動物を可愛がるように頭を撫で彼女の髪を乱す。

「有姫の言うとーりっ。早くご飯食べよーよー」

「う、うん」

「――あら。みんな集まってどうしたの?」

 その声は、一ヶ月ぶりに教室に響いた。

 僕としてはここ毎日聞いている声だったが、喜多山を除く他一同はそうではなかったようで、振り返りその顔が明るくなる。道明寺の時とはえらい違いである。

 哀川恋歌。またの名を輝夜姫月。指定の制服をラフに着こなし、夏場でも凛とした彼女の姿がそこにあった。

「なになに、秘密会議かしら? 面白そうね」

「哀川さん。学校にいらしたんですね」

「ええ。さっきまで追試でね。まあ、明日もあるんだけど」

 んーっと声に出して伸びをしながら教室に入ってくる。久々の教室に辺りを見渡しながら「変わらないなあ、ここ。まあ一ヶ月じゃ変わらないか」と独りごちっていた。

 喜多山が脇に音無を抱えながら、元気よく「よっ」と言わんばかりに掌底を向けた。

「あ、恋歌っち。やっぽー、さっきぶり」

「ええ。さっきぶりね。数学の調子はどうだった?」

「うっ。思い出したくないから言わないで……」

「あたしはその思い出したくないのをあと三つもこなしてきたところなんだけどな」

「もう、恋歌っちいじめないでよー」

「ごめんごめん。許して、ね?」

 誰だこいつ。半目で哀川を観察する。いつも露出度の高い服で妹と一緒に甘いものを頬張りながらだらけている姿とは似ても似つかない。アイドル時のようなぶりっ子こそではないが、今すぐにでも剥がしてやりたい分かりやすい上っ面が目に見えて分かる。

 滝本は眼前に憧れのアイドルクラスメイトがいることに興奮が隠せないらしく、鼻の穴を膨らませ間近で哀川に手を振る。部活で後輩のマネージャーの女の子達が彼への応援に駆けつけ黄色い声援を送っているらしいが、今のこいつを見たら彼女たちはどう思うやら。

「おおっ、哀川さん来てたのか!」

「うん。……えっと……滝本くん? たちは何やってたの?」

 一瞬名前を言い淀む哀川。忘れられてたぞ、滝本。それでも自分の名前を言ってもらえて小躍りをする彼に同情を隠せない。まあ哀川の名前を三度間違え、最終的には回し蹴りとともに頭に叩き込まれた僕が言えることではないけど。

「代表者会議。今後の葵祭の動きとか」

「へえ。本当に会議だったんだ」

「別に隠してないけどな」

「それで? 何か決まったの? 彩葉くん」

 哀川に苗字で呼ばれ、全身の産毛が総立ちする。その笑みは他へ向けるものと変わらないが暗に「バラすなよ?」という威圧が滲みでている。何を、とは言わないが。

 喜多山の腕からようやく逃れた音無は乱れた髪を整え、おずおずと哀川に向き直る。その視線は哀川の目ではなく、その少し下。同性でも人と目を合わせるのが苦手のようだ。

「あ、の……、哀川さん。おはよ……」

「あら、おはよう。――音無さん」

 貼り付けた哀川の表情に微かに違和感が宿る。外面の笑顔。しかし他のクラスに向けるものともアイドル時のものとも違って見えた。言うなれば、感情がない笑顔。見ようによっては怖く思えてしまう類の顔を音無に向けていた。彼女が苦手なのか。そのことを音無も感じ取ったらしく、肩をビクつかせ、上擦った声になった。

「哀川さんは、出、る……?」

「うーん、どうかしらね。嬉しいことに最近仕事もらえるようになってね、そっちを優先したい気はしてるのよね」

「……昨日と言ってること違うぞ」

「うっさい。いろいろあんの」

 僕の耳打ちに笑顔のまま小声で答える哀川。「そっか……」心底、残念そうな音無。「ええっ恋歌っちでないの?!」「哀川さん、そうなんですか?」「俺はいつでも応援するからなっ!」一人アイドル馬鹿がいたが哀川の言葉はやはり衝撃だったらしい。「ごめんね。でもできるだけ参加できるようにするから」と変に期待を持たせる言葉で閉めた。

「え、えっと、じゃあさ、飯一緒に食べない? そろそろ昼飯時だしさー。ねっ」

「ええ、喜んで。この後仕事だから、夕方までここで時間潰さなきゃいけないし」

「アイドルの裏事情とか聞かせてよー」

「あんまり面白くないわよ?」

「ほうほう。キラキラ舞台の裏は薄暗いわけですな?」

「やめてよ……変にイメージ悪くするの……」

 喜多山の誘いに乗った哀川。その後は哀川をテレビで見てテンションが上がっただとかそろそろ部活の合宿があるから憂鬱だとか、他愛もない話を始めた。滝本は必死に自分が球技大会で活躍した話をアピールしていたがあまり効果はなさそうだった。クラス委員、喜多山と滝本は弁当持参のため、各々バックを持ち寄っていた。しかし自炊から縁遠い哀川は猫なで声で、しかし迫力のある声で、

「ねえ、彩葉くん。あたしメロンパンが食べたいの。あとはブラック珈琲」

「……自分で買いにいけ」

「食・べ・た・い・の」

 僕の意志が弱く、さらに言えば傍若無人の彼女を説き伏せるのが面倒という理由で渋々了承をした僕は哀川にお金を握らされることもなく、おつかいの使命を果たすべく教室の外へ。

「わ、私も、ご飯ないから……」

「じゃあ、一緒に行くか」

 僕と同じく食事を用意していなかった音無が合流し、二人で近くのコンビニへ向かうことになった。学食で用意しようかとも考えたが、今は夏休み。教員の大半も学校に来ていないというのに、自称十八歳の食堂マダム方がいるはずがない。ということで選択肢から消えた。

 歩いてしばらくは無言を貫いていたが、しばらくして音無が小さく「今日はパンにしようかな……」と行ったことから彼女の熱い最近のコンビニスイーツの話題になった。彼女語っている横で、甘い物は好きだが楽しみと取っておくあまり大抵誰かに食べられるために最近嫌いになりつつある僕は、「そういえば」と話題転換する。

「今回の台本の世界ってどんなイメージなんだ?」

「え?」

 どこのコンビニのモンブランについてクーリムの甘さについて語っていた音無は唐突の話題に停止する。そこまで過剰に反応するとは。

「いや、他人でもイメージを共有した方がいいと思ったんだけど」

「……うんっ!」

 音無が意気揚々と彼女の描く世界について語り、僕はそれをただ聞いていた。相槌も打たず、彼女の心地よい語りに耳を傾け、眼帯の奥の闇に想像を広げる。

それはきっと彼女の描く世界とは違う。けれども僕が描いたものでもなかった。ただの想像でしかないのにそこには確かな色がある。厚みがある。薄っペラでない、確かな存在感を持った世界。懐かしい。かつて絵を楽しんで描いていた時のような感覚に陥る。自分が音無の世界を描く姿を夢想し、それができた時の快楽を思っただけでどうにかなりそうになる。

 奇妙な衝動が僕の中で渦巻いていると、僕と音無の間に一人の影が割って入った。途端に眼帯の闇の世界は霧散する。

 突然肩を並んできたその姿に音無は首を傾げる。

「あい、かわさん……?」

「なんだよ、疲れてたんじゃないのか?」

「気が変わったのよ。彩葉くんにやっぱり悪いと思って。――ね、音無さん」

「え。あ、……う、うん」

 音無は話を遮られ、控えめに口を尖らせた。しかし哀川を押しのけてまで話す気はないらしく黙り込んでしまった。

 音無を見ていながら見ていない、哀川の笑顔。それが今度は僕の方へ向く。瞳の奥を覗き込まれる。腹の底を、探られる。

 何を隠してるの。――何を。

 どうして楽しそうなの。――何が。

 僕は感情のこもっていない目で返すばかりで、決して彼女の訴えた視線に応えることはなかった。僕としては彼女が何を聞きたいのか分からない。大方昨日はぐらかしたことが気に食わないのだろうけど、それにしてもそんな視線を向けられる覚えはない。

 その後、三人で並んでコンビニへ向かい、各々食事を購入。音無が弁当組への手見上げにファミリーパックの菓子を買ってその味が好評だったこと以上に特筆することはなかった。

 強いて言えば、買い物の際、終始僕ら三人の間に会話はなかった。なんだこれ。

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