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4.夕暮れゼリーはオレンジ味・中巻

「おーい、小ちゃい子ー」


 あれから少年、芹沢はよく図書室を訪れるようになった。

 訪れると言っても、なぜか自分の委員当番である金曜日の放課後しか来ない上に、私が到着するより先に彼は図書室にいるのだ。訪問というよりも、待ち伏せされているような気がしてならない。

 そんな芹沢くんは今日も今日とて図書室におり、本棚から私が向かうカウンターへと近づいてきた。灰色のカーディガンから覗くその右手には、先週オススメした文庫本がある。もう読んでしまったのか、かなりページ数はあったはずなのに。

 芹沢くんは本を読むスピードが早い。一般的には普通なのかもしれないけど私にしてはかなり早い方だ。

 毎週一冊、私がオススメする本を借りては、次の週には返却する。それがお決まりみたいになっていて、私はこれを密かに『芹沢サイクル』と呼んでいる。


「主人公に恋心を寄せる幼馴染み、俺すげぇ好きだな。もうあの一途な片思いに胸打たれた」


 ニコニコしながらそう言う。借りると必ず私に感想を報告するのもお決まりだ。最初こそ、ちゃんと読んでくれているのか心配だったが、たくさん感想を言ってくれるのでその心配はすぐに消えた。


「私もその子好き! でも……」

「ん?」

「芹沢くんがそういうこと言うと、何かチャラく聞こえる」

「え!? そ、そう?」

「というか、男子が恋愛ものの本読んでる時点でもう……ねぇ?」

「ねぇって何!? 男子だって恋愛小説くらい読むよ! ……多分!」

「自信はないんだ」


 芹沢くんは意外とツッコミ気質のようで、私は彼とこういうコントのような会話をするのが好きだ。

 膨れっ面で私から顔を背ける。どうやら機嫌を損ねてしまったみたいだ。私は脳内に『芹沢くん:恋愛小説好き』とメモしてから、受け取った本の返却を済ませ、カウンターを出る。

 今日も図書室は私と芹沢くんの二人きりだ。他には誰もいない。


「ごめんね、ちょっと珍しいなぁって思ったから」


 本棚へ歩きながら私が謝ると、背後から得意げな声。


「仕方ないなぁ、俺は優男だから許してあげるよ」


 最近気づいたのだが芹沢くんにはナルシストっぽいところがあるらしい。そのことと本の趣味以外、彼のことはあまり知らないが、聞いていて面白いので良しとする。

 思わずクスリと笑う私だが、すぐにその笑みを黒く滲ませた。


「ところで芹沢くん。まさかと思うけど、私の名前忘れた訳じゃないよね?」

「……急にどうした」

「入ってきたときに『小ちゃい子』って呼んでたから」

「気のせいじゃない?」

「爽やかに笑ってもダメだからね」


 申し訳なさそうに私から目線を外す。どうやら本当に忘れてしまったらしい。本の内容は覚えているのに、なぜ人の名前は覚えられないのだろう。

 余程の本好きなのか、あるいはただの馬鹿か。

 ……まぁ、恐らく後者だろうな。芹沢くんには失礼だが。

 溜め息を吐いてから呟いた。


「次にチビとか小ちゃい子って言ったら図書室出入り禁止にするから。何度も言ってるけど私の名前は」

「あ! この本面白そう!」

「人の話聞いてよ!!」


 私の叫びも虚しく、芹沢くんは本棚から一冊の本を取り出す。パラパラとめくったり、冒頭部分を読んだりーーキラキラと瞳を輝かせるその姿に、自分の胸が少し高鳴った。

 あまりにも楽しそうなので、私は口を開く。


「……芹沢くんって、すごく本が好きなんだね」


 彼の本を捲っていた指先が止まる。刹那、さっきまでの楽しげな表情をフッと消したかと思えば、小さな声で言葉を零した。


「……ただの暇潰しだよ」


 それをうまく聞き取れなかった私は首を傾げたのだが、本を差し出してきた芹沢くんの表情は、いつも私が見ていたものと同じに戻っていた。

 面食らう私に彼は二カッと笑いかける。


「これ借りる! 委員さん、お願いします」

「え? あぁ、うん。分かった」


 ちょっと待ってね、と声をかけたのち私はカウンターへ駆け出す。いつもなら後ろから追いかけてくる芹沢くんの足音がすぐに耳に入るのだが、今日はその代わりに苦しそうな咳き込みが聞こえた。

 振り向くと、口元に手を当てながら立つ芹沢くんがおり、私の視線に気がついてから弱々しい笑みを浮かべる。


「風邪かな。最近は厄介な病気が増えてるからさ」


 そう言う彼に私は「お大事にね」と返してから、急いで本の貸し出しを行った。

 翌週も芹沢くんは図書室に来ていたが、少し体調が悪そうだった。すぐに帰るよう言っても「一冊借りるだけだから」の一点張りで、その日も先週借りた分を返して、また一冊借りていった。

 その翌週も、また次の翌週も、金曜日の放課後になると必ず芹沢くんは現れた。しかし、体調の方はといえばあまり良い兆しは見えず、むしろ日に日に顔色は悪くなっていった。病院に行くよう言っても彼は首を振るばかりで、私は芹沢くんが心配だったが、それでも毎週欠かさず来てくれるのはとても嬉しかった。

 好きだったのだ、彼が。

 二人で本を選ぶことも、他愛ない会話をすることも、くだらないことで笑い合うことも、そのときに見せる嬉しそうな笑顔も。会えない日は寂しくて胸が苦しくなるくらい、私は芹沢くんが好きだった。

 不謹慎だと思いながらも、金曜日の放課後が待ち遠しくて仕方なかった。

 だからーー罰が当たったのかもしれない。

 ある日、いつものように本を選んでいた芹沢くんは、その場に崩れ落ちた。

 激しい咳を繰り返す芹沢くんを前に、私は何か途轍もない恐怖を感じ、ただただ声をかけ続けることしか出来なかった。背中をさすりながら必死に、震える声で私は彼の名前を呼び続けた。

 ようやく思考が冷静になり始めたころ、私はひとつの方法を思いつく。


「ッ! そうだ、先生……誰か呼んでこなきゃ」


 しかし、立ち上がりかけた私の手首を掴んだのは、他ならぬ芹沢くんだった。咳は治まったのか、荒い呼吸を繰り返している。

 病人とは思えないくらい強い力で手首を掴まれて驚く私に、芹沢くんは息も絶え絶えに告げた。


「……ばなくて、いい」

「え……?」

「先生、呼ばなくていい……平気、だから」


 その声にいつもの元気はなかった。どこが平気なのよ、全然そんなことないじゃないーー。

 だから私も負けじと語気を強めて言い返したのだが、


「ダメ! 近くにいる先生呼んでくるから、芹沢くんはここで待」

「呼ばなくていいから!!」


 聞いたこともない大声が耳を貫いたと思いきや、掴まれていた手首をグッと引かれた。バランスを崩した私はそのまま芹沢くんへ倒れ込む。驚いて口を開くより先に、柔らかい焦げ茶色の髪が首元に当たった。

 背中に回された手は幼い子のように、私のセーターを掴んで離さない。


「……呼ばなくていいから、ここにいて」


 鼓膜を震わせるこの声は本当に芹沢くんのものなのだろうか。そう疑ってしまうほどか細く、あまりにも弱々しい。


「そばにいて、志賀さん。お願い、行かないで」


 私の名前を呼びながら同じような台詞を繰り返す。

 まるで駄々をこねる小さい子だ。いつも私を小さいと馬鹿にしていた彼が、今はこんなにも姿が、声が、まとうオーラが儚い。その事実が胸を苦しめる。

 震える手を恐る恐る芹沢くんの背に回す。なだめるようにさすっていたら、微かな嗚咽と「志賀さん、ごめんね」という言葉が耳に響いたので、首を横に振った。

 何が辛くて、どうして悲しいのか、私には分からない。でも今は大好きなあなたのそばにいよう。

 どこにも行かないでと泣くあなたの隣に私はいるから。

 だから、だからーー。





 翌週、芹沢くんは図書室に来なかった。

 次の週も、その次の週も現れなかった。図書室の扉を開けたときに出迎えてくれた声も、本棚の合間に見えた灰色のカーディガンも、放課後の夕暮れに反射する笑顔も。

 すべてが終わってしまった物語のように、再び始まることは二度となかった。

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