1.夕暮れゼリーはオレンジ味・上巻
短期連載になります。
読みにくいところなど多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
「人類とは常に進化し続ける生き物だ」
静かな図書室に響く、まるでどこかの学者や教授が口にしそうな言葉。私は目の前に立ちはだかる巨大な本棚を睨みつけながら、高らかにそう言ってみせた。
現在この室内にいるのは自分だけだからか、やけに声の音量が大きいような気もしたがそんなことお構いなし。
明らかにサイズが合っていないことが丸見えなベージュ色のセーター。その下に眠る腕を組むと、当然のごとくダラリとセーターの袖が項垂れた。
真剣な表情で私は本棚へ話しかけ続ける。
「進化し続けてこそ、人類はここまで生きてこられた。火に始まり、水の使い方、家電製品ーー今の暮らしを支える大部分を占めているのは、これまでの人類がしてきた進化という名の努力だ。だからこそ、今を生きる私たちがすべきことはただひとつ。その進化をやめないことだ。やめるということはすなわち、進化するのを諦めてしまうこと。それは今の今まで人類の進化のために努力し続けてくれた人たちに申し訳ないのではないだろうか? だから私はここで宣言しよう。私は決して進化するのをやめない、そして何事にも諦めないことをここで誓おうじゃないか」
「なので」そう付け足してから私は右腕を上げて、ビシッと本棚を指さしたーーつもりなのだが、やはりセーターの袖がダラリと垂れる。
「なのでーー私は決して、自分の身長が平均以下であることとかその場でジャンプしてもさして見える景色が変わらないこととか声が少し幼いこととか……ん? 声は関係ないかな、うん。とにかくそういう自分の弱点を理解している上で、君の一番高い三段目の棚に入っている本を取ってみせる!!」
もしもこの本棚に感情を表せる何かしらの手段があったのなら、今ごろ顔を引きつらせていただろう。なにしろ、早速背伸びし始めた私の右手は目当ての本どころか、置かれている棚にすら届いていなかったのだ。
懸命に手を伸ばすが、その小さな手は宙を斬るばかり。
「んぬぬーッ!! ちょっと本棚さん! 今だけ小さくなるとか出来ないの!?」
しかし本棚は「嬢ちゃん、無茶言うなよ……」とでも言うように、一向として小さくなる気配を見せない。
あと少しで背骨が折れるんじゃないか、ついにそう思い始めたーー刹那、
「これ?」
「ッ!?」
視界の端から突然現れた灰色の腕。誰だ、私の進化という名の努力をあまりにもアッサリと成し遂げたやつは! 尊敬半分、恨み半分という割合で横を見る。いつの間にいたのか、そこには灰色のカーディガンを着た少年がおり、棚から取った本をまじまじと眺めている。初めて見る顔だった。せめて何年生なのかを見定めるため、足元の上履きを見たが自分と同じ青色だ。どうやら同学年らしい。
「あ、えっと、ありがとう」
お礼を言って本を貰おうとする。しかし、少年の方はというとなぜか渡してくれる気配が一向にないので、私は仕方なくもう一度口を開いた。
「……あの、取ってくれたのはありがたいんだけど、それ私が借りたくて」
「面白い?」
「え?」
「この本、面白い?」
そう言って少年は本の表紙を私に見せた。藍色の背景に飾られた銀色の文字が目に入り、戸惑いながらも頷く。「まぁ……」
「私は好き」
「ふぅーん」
そこで一度会話が途切れる。まだ返してくれそうにないようだ。もういっそ強行手段に出ようかと考えていると、ふいに少年は私を一瞥しニヤリと笑った。
「ねぇ、アンタ図書委員?」
「一応そうだけど……というか、早く本を返して」
「本好き?」
「嫌いだったら委員会なんてやらないし、さっさと本返して」
「じゃあなんか俺に面白い本、紹介してよ」
「はぁ!? 何勝手なこと言って……だいたい本くらい自分で探せば」
「さっき言ってたデカイ独り言、面白かったから録音したんだけど」
「ぜひ紹介させてください」
私が早口でそう言うやいなや、少年は嬉しそうに「やった」と笑い、私の頭に本を乗せた。ようやく返して貰ったはずなのに、悲しいやら情けないやらで自嘲気味な笑みを浮かべる。
しかし次の瞬間、
「俺、芹沢っていうの。アンタは? 小さいから、チビ?」
「チ……ッ!?」
何かが最高潮に達したような音が脳内で弾けた。私は右足をダンッと一回踏むと、少年を睨みつけながら叫ぶ。
「小さくない!! 私の名前はーー」
決して広くはない図書室に響き渡る大声。
いつの間にか窓の外は、オレンジ味のゼリーに包み込まれたような景色が広がっていた。