祖神降臨
「────オーレリ、ア」
微かに震える声で、彼女の名を呼んだデュカリアスは暫く現実逃避していたい気分だった。
愛した女性が人どころか───母だなんて。
母である天空の姫巫女に、恋情を抱くことは禁忌とされている。
祖神である天帝と大魔王はまだいい方であるが、子どもが母に恋をするなど、もっての他である。
本来ならば遠い存在のはず───だが、彼女は今大地を鎮めに、子どもたちの様子を見に───この世界にやって来たのだろう。
「……サーレル」
デュカリアスと同じように、茫然とその場に突っ立っているジースセント王国国王に、彼女───姫巫女がそっと声をかけた。
優しく、思いやりに溢れた柔らかな声音で。
「私はあなたの想いを受けとることはできません。
……なにしろこの立場。それが一番の理由だったから私はあなたから逃げました」
そう言った。
デュカリアスはサーレルバードが、苦しげにその端正な顔を歪めたのが分かった。
☆
やっと名前を呼んでくれた、と思ったらその内容は一年ほど前のことの真実で。
そして、改めて突きつけられる真実に、心の中の想いが騒ぎ出す。
暴れだしそうになる想いを、何とか押さえつけた。
「それが、答えか」
「……ええ」
「────分かった」
静かに頷いた彼女に、サーレルバードはほろ苦く笑った。
まだ、気持ちの整理はついていない。
けれど、彼女の笑顔を見ることができたのだから、それでよしとする。
そんなことを思っていると、彼女が手に持つ錫杖をシャン、と鳴らして。
ふわ……と微笑んだ。
「……!」
ジースセント王国側の騎士たちが、魔術師たちが息を飲んでその微笑みにみとれた。
───優しい、慈愛に満ちた微笑みを。
よかったのか悪かったのか、彼女の微笑みはあちら側には見えていない。
従って、みな訝しげにこちらを見ていた。
そのことにほんの少し優越感に浸ったサーレルバードは、ハッと周りを見渡す。
「……なっ、は……?」
死んでいったはずの騎士たちが、半透明の姿で笑いながらこちらを見ていたのだ。
────どうやらあちら側でも同じらしい、ざわめきがこちらまで聞こえてくる。
「……亡くなっていった人々の、魂よ。冥府に行ってもお礼が言いたい……と言ってきたから喚んだわ」
静かな声で、彼女がそう言った。
魂たちが、自由にお礼を伝えてくる。
ある者は知人に抱きつき、ある者は敬礼をし───。
戦場とはとても思えないほど、穏やかな光景だった。
けれど。
「───そろそろ戻りなさい」
無情にも、彼女が告げた言葉にみなが寂しげな表情を浮かべる。
もちろん、それは生者たちも例外ではなかった。
☆
穏やかな時間ほど、すぐに通りすぎる。
それを今、痛感した。
「デュカリアス」
「……オーレリア」
こちらを振り返った彼女が、デュカリアスの名を呼んだ。
───優しい、微笑みを湛えて。
「……正体を明かしてしまったからには、私は戻らなければなりません。あなた方には、本当にお世話になりました」
そうだ。
正体を明かした姫巫女は、必ずこの世界から去らねばならない。
───そう言う決まりがあるのだ。
今、最もなくていい決まりごとがこれだった。
「騎士さんたち、私を今まで守ってくれてありがとう。お陰で心地よく過ごすことができました」
その言葉を聞いた騎士たちが泣きそうな顔をした……が、かろうじて堪えていた。
「……デュカリアス、他の王妃候補の方々に伝言をお願いしても宜しいかしら?」
「……ああ」
「私はとても幸せな時を過ごすことができました。あなたたちも、お幸せにお過ごしください……と」
「分かった」
最初で最後の彼女の願いを、必ず伝えるとそう頷いた。
それを見た彼女が安心したように微笑んだ。
「そろそろ迎えが来ますわ……」
姫巫女がそう言って、空を見上げ。
───パチン、と指を鳴らした。
溢れ出す光。
暫くして、視界が開けると……。
「────迎えに来た」
天帝が、そこにいた。
「……さすがルシアス。反応早いわね」
「当たり前だ。……行くぞ」
「ええ」
そう会話したあと、茫然自失の人間たちに向かって、天空の姫巫女は囁いた。
「───お幸せに」
と。
そして、数多の騎士の魂たちを連れて────笑って天に昇っていった。
人々が見送る中─────、
穏やかに。