「聖女」のためにできること
その日、王城の夜会に集まった貴族たちは、青春の一ページを見せられていた。
十九歳の第二王子リュンネルと、十七歳の婚約者フィオリナ、フィオリナの異母妹にして聖女であるシラフィナの青春。
聖女シラフィナはリュンネル王子の腕に自分の腕を絡めてフィオリナを見ている。
フィオリナが幼い頃に生みの母を失い、父であるシュルス侯爵の元・妾にして現妻、つまり後妻のアライスと折り合いが悪く、アライスの娘であるシラフィナが聖女の力を持っていることを不満に思っている、というのは、中流の貴族の間では知られた話である。
神殿術師見習いにしてシラフィナの側近であるロジーナ(十六歳)は「シラフィナ様への不敬を注意なさるのだろうな、殿下ったら素晴らしい御心がけだわ」と、思った。
ロジーナは神殿術師見習いで聖女シラフィナの下にいるのでリュンネル王子の行動に優しさを感じているが、実際のところ、周囲の貴族は「王もいらっしゃるところで」と呆れ、好意的には見ていない。残念なことにロジーナはそれに気付いていなかった。
「きみはシラフィナが聖女であることを不満に思ってシラフィナを不当に虐げていると聞く。その行動は王族の婚約者に相応しくない自覚はあるか。自覚があるならば、王の御前であるこの場で、シラフィナに心から謝罪したまえ」
十六歳のロジーナは「そうだそうだ」と小さく呟きながら、リュンネルとシラフィナを応援する。
周囲の大人たちが、リュンネルを見、それからフィオリナとシラフィナのドレスを見比べて怪訝な表情を浮かべていることには気付いていなかった。
ほとんどの夫人たちはフィオリナのドレスに見覚えがあった。
先ほどまでずっと、「フィオリナ嬢のドレスをご覧になった? わたくしが若い頃に流行だったデザインよ? 新しいドレスをお持ちではないのかしら」と心配したり、「あのドレスをフィオリナ嬢のお母さまが着ていらしたのを見たことがあると思うのですけれど」などと噂しては嘲笑の的にしたりなどしていたところだ。
十六歳で、神殿と学校しか知らないロジーナには分からない世界である。
「シラフィナを虐げる、わたくしが?」
小首を傾げたフィオリナを見て、シラフィナがリュンネルの背に隠れる。
「フィオリナはいつも、わたくしをあのように冷たい目で見てくるのです」
ふるふると小刻みに震えて見せるシラフィナを見て、フィオリナは首を振った。
「覚えがございませんわ。わたくしがシラフィナを虐げて、わたくしになんの利がありますの?」
フィオリナの言葉に、リュンネルがフィオリナの腕を掴んで引き寄せ、その頬を張り飛ばした。
「自分に力がないのが悔しいのだろう!」
腕を掴まれて体勢を崩し、そのうえ頬を張り飛ばされたフィオリナは床に倒れ伏した。
それはもう派手に、床に、ぱったりと。
体を腕で支えることもなく、床に、まるで横たわるように。
「シラフィナになにをしたか覚えがないほど、日々虐げていたんだな」
フィオリナは動かなかった。
足を踏み出してフィオリナを助け起こそうとした者やフィオリナの状態を確かめようとした者は、リュンネルに睨まれ、「聖女」シラフィナに「私が治癒するので姉に構わないでください」と、フィオリナの周りにピリピリ雷を放つような結界を張られて追い払われた。
仮にも親であるはずのシュルス侯爵も、娘の片方が、それもリュンネルの婚約者であるはずの娘が引きずり倒されたというのに心配することもなく動かない。同じ年頃の娘を持つ親たちは、そのシュルス侯爵に顔をしかめた。
中にはしたり顔の我が子が、同じ学校の生徒であるはずのフィオリナに向けている視線を見てそっと顔をしかめる親もいる。この場では叱れないが、といった様子で苦々しげに。
うつ伏せに倒れたまま動かないフィオリナを見て、リュンネルはさらに罵声を投げかけた。
「貴様のその歪んだ性根を入れ替える機会をやろうと言っているのだ、ありがたく思うがいい」
「お姉さま、懺悔してください。そうすれば、神様は罪を赦してくださいますわ」
フィオリナは動かない。
だがロジーナは、周囲の大人たちが静まり返ったのはこの意味不明な余興に白けているから、あるいは呆れているからなのだということには気付くことなく、リュンネルとシラフィナを見守っているのだと誤解し、そして聖女シラフィナに使える神殿の術師見習いとして、またシラフィナの信奉者として、フィオリナの前に進み出た。
ロジーナの名誉のために言っておくと、この場で、同じ学校に通い、リュンネルとシラフィナというふたりと親しくしている青少年たちは、ロジーナと同じく周囲がどう感じているのかということに気付かず正義感の高揚に身を任せて、それぞれ好き勝手な言葉でフィオリナを罵っている。
「失礼いたします」
国王夫妻は夜会に参加した隣国の賓客を相手に少し離れた上座側で歓談していたところ、侍従の耳打ちで事態を知り慌てた直後にロジーナの声が上がり、息子の暴挙を咎めるタイミングを逃した。
この夜会は国王夫妻が近隣数カ国との文化交流を目的に、特に若者たちの交流を促そうと企画した催事に合わせた立食の形式で、近隣諸国の大使や催事に参加した若者たちが招かれているもので、本来は良い具合に場が暖まったところで息子とその婚約者であるフィオリナと、またフィオリナの妹でもあり聖女でもあるシラフィナを紹介する予定であった。
だがしかし、場は、暖まる前に、冷え込んだ。
近隣諸国の大使や各国から派遣された文化人、それに聖女のお披露目のために呼ばれた各国の神官たちは、突発事故の報告を受けて真っ青になった国王夫妻を見てしまったが、すぐに表情を無にした夫妻を見て、無言を貫く。
ロジーナや同級生たちにはそんなこと関係なかった。
「フィオリナ様がシラフィナ様になにをなさったか、思い出していただけるように、神殿術師見習いとして術を展開します!」
ロジーナの宣言にシラフィナが「えっ?」と声をあげたが、リュンネルが頷く。
「許す!」
「展開します、『日記の扉』!」
日記。
それは人生を振り返る記録である。
そしてこの術は、人生の振り返りが終わるまでキャンセルもエスケープもスキップもできずにダイジェストで被術者の人生を見続けるしかないという記録映像であり、衆人環視のド真ん前で一人称視点の人生が大公開されるという「神殿裁判名物 地獄の10スキル」のひとつである。
ロジーナの掛け声と同時に、スキルが展開され、そして侯爵令嬢としてフィオリナが生まれたところから記録映像は始まった。
かくして、王宮の夜会はなぜか、侯爵令嬢の人生上映会となったのである。
この場に招かれていた近隣諸国の神官たちが、見習いが勝手に術を展開したことに顔をしかめたのを、シラフィナを預かる神殿の者たちとして参加した神官たちは見た。
シラフィナとロジーナを教育してきた神官の体感温度は、同僚からも冷ややかな目を向けられたことで歯の根が合わなくなりそうなところまで下がったが、人生上映会は止まらない。
フィオリナが三歳のところまで映像が過ぎたところで、大人の一部がバタバタと国王の侍従に何事かを告げて動き出した。
人生上映会の記録映像のなかで、三歳のフィオリナは聖女の力を使って遊んでいた。
そのしばらくあとまで映像が流れると、五歳のフィオリナは、父が母を溺死させるところを見ていた。泣き叫びながら母に近寄ろうとするフィオリナをアライスが抱き上げて止めていた。
シュルス侯爵が「やめろ!」と叫んでいたが、シュルス侯爵はその場で足止めの術をかけられて捕縛された。
毎年、フィオリナの母の命日にシュルス侯爵から「湖で溺れていく母親を黙って眺めていた悪魔のような娘なのです」とフィオリナについて聞かされてフィオリナを嫌悪していた母方の親族は、十年以上にも渡るシュルス侯爵とアライスの嘘を知って絶望の表情を浮かべ、それでもなお、これまで嫌悪していたフィオリナにどのような顔を向ければよいのかわからずに戸惑いながらフィオリナを見た。
フィオリナは動かなかった。
フィオリナの母が父に殺された翌日には、シュルス侯爵に連れられてアライスとシラフィナが侯爵家に入ってきた。
五歳のフィオリナは父に抱き上げられて、心臓を枷の術で縛られた。枷の鎖が、シラフィナの手首に結ばれて消える。
『あなたの力はシラフィナに貰うわ、恨むなら、あなたを聖女に産んだお母様を恨むのよ。この枷の術を手に入れるまでに二年もかかったのよ』
そう告げて笑うアライスの顔は愉悦に歪んでいた。
『わたくしたちのかわいいシラフィナ! これで今日からはあなたが聖女よ! 聖女の力を授かったと王宮と神殿に報告して審査に来てもらわなくちゃ!』
城の衛兵に捕まっているアライスがその「醜い自分」を見て叫ぶ。
「放してちょうだい! フィオリナ! やめなさい! フィオリナ! 食事を抜かれたくなかったら今すぐその記憶を否定しなさい!」
フィオリナの部屋はシラフィナのために取り上げられ、フィオリナは屋根裏の最下級メイドに与えられる部屋に押し込められた。
八歳のときにリュンネルとの婚約が決まると、フィオリナは王宮に召し出されるようになった。
王妃がフィオリナを見て言う。
『あなたはもう少し笑顔でいられないのかしら、それともわたくしとのお茶会が嫌いなのかしら』
フィオリナに冷たい目を向ける、とても「慈愛に満ちた王妃」には見えない自分の姿を見た王妃は、「わたくしは幼い子供になんということを」と小さく呟いた。
侯爵家で、最下級メイドの部屋で最低限の食事しか与えられないことに慣れてしまったフィオリナの小さな体は、王宮で振る舞われる食事の量を受け入れられずに吐いたり熱を出したりしていたが、医者が呼ばれることはなく、気付けと称して井戸水をかけられたうえ、シラフィナに頭を下げて、いやシラフィナの前で頭を抑えつけるように下げさせられて、治癒の施しを請わされた。
十二歳でフィオリナとシラフィナが学校に通うようになると、上級生のリュンネルがふたりを迎えたが、リュンネルはそのままシラフィナをエスコートしてどこかに行ってしまい、フィオリナはひとりで授業に向かうばかりだった。
『お母様がね、フィオリナに殿下は勿体ないって言うの。私もそう思うけれど、あなたはどう思う? ねえフィオリナ』
登校する車のなかでシラフィナがフィオリナを足蹴にして見下す。
『お父様にも無視されて、まるで孤児みたいね。孤児風情が王子の婚約者だなんんて、図々しいと思わないの? ひと言でいいわ、謝ってちょうだい、ごめんなさいと言ってみてちょうだいよ』
フィオリナの生みの母は、父に殺され、フィオリナは泣き叫びながらそれを見ていた。
その人生の記録はたった数分前にスキルで上映されたものだ。
理性的な大人たちは、フィオリナの母を殺した夫婦の娘である「聖女」が、フィオリナを虐げ、侮り、蔑み、孤児とまで言ったことに戦慄した。
家に戻れば、シラフィナの課題やシュルス侯爵が対応すべき書類の下調べなどがフィオリナに丸投げされて、できていなければ鞭打たれることも当たり前だった。
それでもフィオリナは生かされる。何度も命を落としそうになってはシラフィナの力による治癒を請わされるのだ。まるで拷問のように。
さらにはリュンネルからフィオリナに贈られたものは何一つないことも記録は映し出した。いやあるにはあるとしても、少なくとも、フィオリナの知るところにはなかったことが映し出された。
リュンネルが来るときフィオリナは「シラフィナのクローゼット」に通される。
『僕が贈る物は気に入らないのだって?』
リュンネルの表情はフィオリナを汚らわしい物でも見るかのように侮蔑に満ちていた。
学校では、フィオリナがシラフィナを虐げているという噂が回り、フィオリナの目を通して見る学友たちの表情も、皆一様に底意地の悪い目付きでフィオリナを見ていた。
ロジーナも、そのひとりだった。
聖女であるシラフィナに従い、シラフィナを虐げる者であるフィオリナを、憎々しげに、そして蔑むように、見つめていた。
ロジーナは、自分の醜く歪んだ表情を見た。フィオリナの目に映る「敵意と悪意に満ちたロジーナ」を、だ。
「ひどい……私は聖職者になるはずなのに、そのように敬われて当然のはずなのに、フィオリナ様は、私をあんなに底意地の悪そうな人間として見ていたのね……私は、ただ、悪人が嫌いなだけよ……それなのにあんな風に見られていたなんて……ひどいわ、フィオリナ様」
ロジーナは神殿の術師見習いとして、神々の慈悲と奇跡に奉仕する高潔な人間のつもりでいた。フィオリナの目に映った自分は高潔な人間どころか、聖女の力を奪う盗人の仲間だった。
そしてロジーナは「自分を高潔な人間のタマゴとして見てくれてはいなかったフィオリナ」に落胆した。
「小娘! これを止めなさい! 止めなさいったら! 聞こえないの!?」
アライスが叫んでも、ロジーナのスキルは止まらない。
止められないからこその「神殿裁判名物、地獄の10スキル」のひとつに数えられるのだ。
フィオリナの人生は孤独を映し続けた。
手を差し伸べようとする者も信じられず、フィオリナは神官長と向き合う。
『あなた様には、幸せになる権利と義務がります』
神官長の諭すような言葉を聞いて、フィオリナは答えた。
『ならば私は、母のもとに行きたいです』
神官長は首を振った。
『シラフィナ嬢の力はあなたの力です。あなた様には、力を取り戻し、幸せになる権利があります。あなた様が幸せを知れば天上の神々はあなた様の親族としてそれを祝福し、この国に幸福をもたらすことでしょう』
『要りませんわ』
『あなた様が幸せを知るだけで、この国の誰もが幸せになる道が開けるのです。幸せになりたいとは思いませんか』
『……人は、自分が幸せであることを確認するために、わたくしを見下します。わたくしに比べれば自分は幸せだと、自分の居場所を確認しているのでしょう』
『そのような幸せは、いつか脆く崩れ去るものです。あなたが知る世界はまだ学校ぐらいでしょう、その世界から出た者は、いつか、他者を見下して幸福を感じた時間を思い出して後悔することになるでしょう』
『幸せを知ろうとは思いません。きっと、その後に知ることになるのは絶望でしょうから』
『あなた様は、人々の幸せを手放すのですか? あなた様が望むなら、我々は、あなた様の真なる父、天上の神々の許しを以て、あなた様をお助けできるのです』
『幸せとはなんでしょうか』
『力を取り戻して、その幸せを、知ろうとなさいませ』
『……やめておきます』
『あなた様の幸せのためであれば、この世界を滅ぼすこともできると申し上げたら、取り戻そうと思われますか?』
『いいえ』
フィオリナは神官長に向けて答えた。
『終わりとは救いですもの。他者を見下して得た幸福をいつか後悔するというのであれば、このままその後悔のときまで生きてもらえばよいのです。だからわたくしは、何もしません』
『この国の民が、あなた様の民であるとしてもですか?』
神官長は食い下がる。
『この国の民は王の臣です。この国を統べるのは王です』
神官長はフィオリナに向かって頭を下げた。
『あなた様の魂に安寧がありますように』
屋敷でも、学校でも、王宮でも、誰もがフィオリナを蔑んでいた。
フィオリナの小さな世界は、すべてが悪意に満ちていた。
そしてフィオリナは「諦め」を、フィオリナを取り巻く小さな世界への復讐にした。
『勝手に死のうとしてんじゃないわよ! あんたが死んだらシラフィナが力を失うでしょうが!』
アライスの罵声が飛び、シラフィナが呼ばれてフィオリナに治癒をかける。
『謝ってよ、迷惑したのよ。ごめんなさいぐらい言ってくれないかしら』
今日の記録まできて、夜会で、フィオリナはリュンネルに腕を掴まれ引きずられて頬を張り飛ばされ、倒れ伏した。
フィオリナの記録が消えたところで、シラフィナはさっとフィオリナに自分の手を向ける。
「起きて! 起きてよ! 起きてちょうだいフィオリナ!」
シラフィナはフィオリナに向けた手が治癒の力を出さないことに愕然とし、それからフィオリナの体を引きずり起こして頬を叩いた。
「嫌味たらしく倒れてるんじゃないわよ! 起きなさい! 起きなさいよ!」
リュンネルはシラフィナのその様子にドン引きした。
フィオリナはシラフィナや両親によって、部屋を奪われ、食事を奪われ、鞭打たれ、水をかけられ、蔑まれていた。リュンネルが贈ったはずのドレスや宝飾品もフィオリナの手には何ひとつ渡されていなかった。
リュンネルが贈った物はすべてフィオリナに合うわけもない物なのだが、それでも、そもそも手に渡っていないということは、リュンネルがシラフィナから聞かされ続けていた「気に入らない」というフィオリナの感想が存在しないということにリュンネルは気付いた。
「シラフィナ、きみはフィオリナに虐げられていたと言っていたね」
シラフィナはのろのろと顔を上げてリュンネルを見て、「え……ええ」と頷いた。
「あの……殿下、これは……いまのは……」
「いい、取り繕う必要はないよ、神殿術師のスキルを疑うわけじゃないけど、今ので、ロジーナが展開した記録は、きっと現実だったのだなとわかった」
リュンネルはこれまでフィオリナに向けていた侮蔑の視線をシラフィナに向ける。
シラフィナは目に涙を浮かべて、いかにも自分が被害者であるかのような絶望の表情でフィオリナを振り返った。
「……フィオリナ! ……フィオリナ、あんたのせいで私がこんな目に遭ってるのよ……! 起きなさいよ! なんで……なんでなんでなんで力が使えないのよ!」
「失礼」
王宮の医師がフィオリナに触れて首を振った。
フィオリナに差し伸べられる助けの手を排除するシラフィナの結界は、もう消えていた。
「先ほど倒れたときに頭を打ったか……弱っていたところに過剰な衝撃があったのでしょう。もう、心の臓が止まっています」
誰もが悟った。
フィオリナが死んで、フィオリナから奪っていた力が断たれたことで、シラフィナの聖女の力はなくなったのだ。
「なにが神殿術師見習いよ、この役立たず!」
ロジーナはすべてが終わってなにも考えられない状態で座り込んでいたが、つかつかと足音も高らかに近づいてきたシラフィナの怒声にのろのろと顔を上げたところで、顔を蹴られた。
(痛い)
ロジーナは、シラフィナがこの暴力に慣れていることを思い知った。
暴力とは、慣れていなければ暴力の使い方がわからず躊躇い、あるいは力の加減ができず、その力を揮った自分に驚き、さもなければ恐怖するものだ。だがシラフィナは、そのどれでもなかった。
「……私は聖女様がフィオリナ様にイジメられていると信じていたから、聖女様のために術を展開しただけです……だから……」
ロジーナは「だから自分は悪くない」と言いかけて迷った。
性格の悪い聖女だとしても、自分は神殿の術師見習いとしてシラフィナに仕える神官見習いであり、その点で、後ろ暗いことはなかったはずだ。
「……フィオリナ様がどんなひどい方なのかを、知らないといけない人々に、知ってもらうためにやったことです」
シラフィナの悪意を向けられて、それでもロジーナは言った。
「フィオリナ様の罪を、見てほしかったんです」
だがその結果、見せ付けられた記録はロジーナが意図しないものだった。
ロジーナにとって受け入れ難かったのは、フィオリナが自分を「聖なる者の見習い」として慈悲に満ちた優しい同級生として見てくれていなかったことであり、シラフィナのことはもうどうでもよい。
フィオリナを助けなかったひどい人間として見られていたこと、フィオリナからそうみられていたこと、自分が高潔な子供ではないことを、この場にいる大人たちに見られてしまった。そのことがロジーナには気に入らない。
誰もが後味の悪い思いを抱くこの夜会はまだ終わらない。
国王は王妃が冷たくなりつつあるフィオリナの体を抱き寄せたのを見た。
「わたくしは気付かねばならなかったことに気付かなかったのね。あなたはまだ子供だったのに。気付けなかったわたくしを許してちょうだい」
王宮医がちらりと王妃を見て顔をしかめたが、宮仕えである。言葉にはなにも出さなかった。
その王宮医の様子には気付かず妻と息子を眺め、それから国王は息子に声をかける。
「リュンネル、婚約者である令嬢に手をあげて、あまつさえその命を奪ったことは、人としてあってはならぬことだ。王子であっても……王子であるからこそ、法で裁かれねばならない」
「父上、私はシラフィナと侯爵らに騙されていたのです」
「だがおまえはこれまでに一度でも、フィオリナを見て、シラフィナと侯爵の言葉を疑ったことはあるのか? 自分の目で見てフィオリナ嬢のことを知り、自分の言葉でフィオリナ嬢と語りあい、自分の姿勢でフィオリナ嬢に歩み寄ろうとしたのか?」
リュンネルは、フィオリナの目に映っていた自分を思い出す。
王子と呼ばれる立場にあって求められている理想から、遠くかけ離れた王子の姿。
鏡で見る自分は、慈悲深く清潔感があり、王子に相応しい威厳と自信のある男で、フィオリナも当然に自分を慕い、そして自分と近しく聖女の力をも持っているシラフィナを妬み、それゆえに、シラフィナを虐げているのだと思っていた。
だが、フィオリナから見た自分は、どう見ても、近づきたくない男だった。
婚約者とは名ばかりで、シラフィナがリュンネルを見ていることにニヤけ、底意地の悪い笑顔を浮かべているシラフィナに甘い顔を見せる、ゾッとするような男だった。
いつもシラフィナや取り巻きを従えて校内を歩いては、フィオリナを目に留めるたびに顔をしかめ、虐げる側の者特有のおぞましい笑みを含んだ下卑た笑顔で貶めていた。
婚約は、フィオリナの母が亡くなる前に前国王である祖父とフィオリナの母方祖父が決めたものだった。その生まれながらに決められた婚約者であるフィオリナよりも、聖女である異母妹のシラフィナを好むリュンネルを慕うフィオリナのことを、聖女の力までも持っているシラフィナに嫉妬している性根の醜い女だと思っていた。
だから、フィオリナを視界に入れるのが苦痛だった。
見るのも苦痛で顔を逸らすから、フィオリナがどのような女か思い出せず、シラフィナを思い出して贈り物を選んでいた。そしてそれを承知でシュルス侯爵もアライスも、リュンネルからの贈り物をフィオリナには与えず、シラフィナの物として受け取っていた。
リュンネルから贈られた物をフィオリナに見せ付けて、シラフィナは高笑いしていた。
フィオリナは、そのシラフィナにも贈り物にも何ひとつ感情を向けなかった。
だがそれはリュンネルの気を惹こうとしないフィオリナの怠慢、怠惰から生まれた待遇のはずだとリュンネルには感じられた。
そして、苦し紛れに言った。
「私に苦痛を訴えてこなかったのはフィオリナです」
王は王として、父として、長い溜息を吐いた。
この場にいる誰もが、フィオリナの目を通して、その周囲を取り巻く醜悪な大人たちを、子供たちを、リュンネルとシラフィナを、そして学校の少年少女たちを見た。見たうえで、自分がフィオリナであったとしてリュンネルに、あるいは自分たちに、我が身の不遇を訴えようと思うかと訊かれたら首を振るだろうとしか思えなかった。
フィオリナを嘲り、侮った者たちのいくらかは、これから自分たちがその醜悪さゆえに白眼視されることになることを覚悟した。
「シュルス侯爵および聖女シラフィナとその母アライスについては、神殿で裁くことを望みます」
神殿の神官長が前に進み出る。
「フィオリナ様の力は、単なる聖女の力ではなく万物を統べる王の力にも匹敵するもの。それを奪う術は禁術であり、簡単に手に入れることができる物ではございません。それゆえに出元を探し、禁術をシュルス侯爵に売り渡した者には厳罰が与えられなければなりません」
国王と王妃の目が見開かれ、神官長に向けられた。
「万物を統べる王?」
「さようにございます。シラフィナ嬢は、この力をフィオリナ嬢の拷問に使ったようですが、本来の力の持ち主であるフィオリナ嬢が幸せを学ぶことができさえすれば、その命が尽きるまで国中の豊作を約束できるものでございました」
この神官長の言葉を聞いた貴族たちは、フィオリナから母を奪い、力を奪い、私利私欲のために妾腹の娘を聖女に仕立て上げたシュルス侯爵たちの利己心を罵った。
「フィオリナ嬢に与えられた試練は、その身に降りかかる悪意に抗う意思を持つことでありましたので、手出しはならぬと神々より仰せつかっており、神殿は動けずにおりました」
抗う意思を持つことが、神々からフィオリナに与えられた課題であるという神官長の言葉を聞いて、大人たちはフィオリナの人生を見たうえで思う。
たった五歳で実母を殺され、力を奪われ、尊厳を奪われ続けて味方もいなかった子供に手を差し伸べなかった神々や神殿は、残酷すぎる気がする。
その気配を察したのか、神官長は、気まずそうに咳払いする。
「ロジーナ」
「はい」
神官長に名を呼ばれてロジーナはのろのろと顔を上げた。
「おまえにも試練があったのだが、おまえは失敗したのだよ」
ロジーナには意味がわからなかった。
「……どういうことですか?」
「神殿術師の見習いとして、おまえは貴賤と善悪の偏見を棄ててフィオリナ嬢の支えとなれるかどうか、神々に試される者であった。だがおまえは、一度たりともフィオリナ嬢に寄り添うことはなかった」
ロジーナは神官長を見つめる。
「そんなこと、誰も言ってくれなかったじゃないですか。言ってくだされば、私はフィオリナ様をお助けしたのに」
国外からの賓客を迎えるという名目で催された夜会に、神官長の挨拶周り付き添いとして参加した年輩の神官が呆れる。
「フィオリナ嬢を助けるのが神様からおまえに与えられた試練だ、と、フィオリナ嬢を嫌っているおまえに言うのかね? シラフィナ嬢にくっついて、シラフィナ嬢の聖女という立場を笠に着てフィオリナ嬢に害意を持っているおまえに言ったとしたら、どうなったかな」
別の神官が言う。
「神殿では、貴賤も善悪も問わず、偏見を持たず、人に向き合いなさいと教えているはずだ」
「私はいつだって、そうしてきました」
「ではなぜそのなかにフィオリナ嬢は含まれていないのだね」
「だってシラフィナ様がフィオリナ様にイジメられているとおっしゃっていたので……」
「それでフィオリナ様のことを『聖女様の敵』と決めたのだね」
「敵かどうかを決めるのはおまえなのか? ロジーナ」
「聖女様が、敵だとおっしゃるのだから敵でしょう」
この場に招かれていた神官たちはロジーナの言い分に呆れた。
「おまえはハトを見ても、聖女が『あれはカラスだ』と言えば、嗜めることもせずに『カラスだ』と頷くわけだ」
「そんなわけないじゃないですか!」
苛立つロジーナの言葉は乱れる。
「そんなわけがあると思われるようなことをしたんだよ、おまえは。シラフィナ嬢がフィオリナ嬢を敵だと言うから敵だと認めた、ハトであるはずのフィオリナ嬢を、聖女という立場であるシラフィナ嬢が敵だカラスだと言ったから、カラスだと同調した。神殿術師見習いとして、フィオリナ嬢を偏見なく見ることもできたはずだが、偏見を捨てようとはせず、あまつさえ、今日はこの場で、シラフィナ嬢のために『日記の扉』を展開した」
神官長も神官たちもロジーナを庇ってくれない。
ロジーナに理解できたのは、それだけだった。
「フィオリナ様がいい人だなんて、誰も教えてくれなかったじゃない」
だが神官たちは、ロジーナに、貴賤を問わず、善悪を問わず、と教えてきた。それでもロジーナがフィオリナについて、シラフィナを信じ、神官たちの注意する「貴賤や善悪を問わぬこと」にフィオリナも含まれているということに気付かず、そしてフィオリナを敵と決めて知ろうとしなかった、それだけのことだと言った。
ロジーナにとって「シラフィナがそう言うから」という理由さえあれば誰であろうと敵であった。フィオリナのことを知ろうとすること、敵と決めた相手のことを知ろうとすることですら、敵に絆されかねないという「悪」だった。
神官たちにロジーナを任せ、神官長は国王に体を向ける。
「シュルス侯爵、アライスならびに息女シラフィナについては、神に、裁きを委ねたく存じます」
国王はじっと考え、それから重々しく頷く。
「どのように裁かれても、神の思し召しということか」
「さようでございます」
神官長は国王を見つめてひとつ提案を聞かせた。
「神々がどのような存在か、この場におられる皆様にはこれからお見せいたしましょう」
神官長が頷いて水晶の杖をブンと振ると、フィオリナの記憶が上映された空間に、黒髪の男女が姿を現した。
なにをしているのか、ふたりは神官長には気付かず、男が手にしている本を見ている。
「五王女殿下、ラジュ様にご挨拶申し上げます」
神官長の声に、女が顔を上げた。
『わたくし?』
「ウルバジアの神官長として、謹んでご挨拶申し上げます」
『ウルバジア……』
女の戸惑いを言葉から聞いてとったのか、男が顔を上げる。
『西鋼大陸の北部にある小国』
男に言われて女は納得したように頷き、それから神官長に目を向けた。
『そのウルバジアの神官長が、わたくしになんのご用?』
「ラジュ様の分身たるべく人に生まれたフィオリナと申す娘が命を落としましたので、その裁きを求めます」
神官長は「日記の扉」を男女の前に展開し、一通りフィオリナについての説明をしてから改めてラジュを見上げる。
「力を奪う術についてはどこから入ったものかわかりませんが、これが顛末でございます」
ラジュと呼ばれた女はしばらく思案の素振りを見せ、それから隣の男を振り返った。
『術の出所は十中八九、ベラキアだろうな』
『厄介だことね』
フィオリナの人生を一通り見せられた男は、片手に持っていた本に目を戻していた。
『禁術を使った者たちの裁きを求められておりますけれど、陛下ならいかがなさいます?』
『フィオリナという娘を分身に持つ者としてそれを決めねばならないのはあなただよ、ラジュ殿』
『困ります、わたくし人間に興味ないもの』
ラジュが言えば、陛下と呼ばれた男が大きく息を吐く。
『ヴェスタブールは地の神が魂を放牧している大陸なのだから、地の眷属がどうするかを決めるのが道理だ。それにフィオリナという娘はあなたの分身なのだろう?』
陛下とやらに諭されたがラジュは首を振った。
『わたくしたち、豊作にしたり飢饉にしたりということはいたしますけれど、人を裁けと頼まれたところで、罪人を裁く制度を持ちませんの。わたくしたちが司るのは命ですもの。あなた家畜を裁く法をお持ちになる? なりませんでしょう? そういうことです。それに罰せよと訴えてくるなら、まずその命をいただきたいの。あなたは天の神として人を裁く法をお持ちのはずですから、お願いできませんか?』
ラジュに言われて、陛下とやらは手に持っていた本を横に置いて神官長に目を向けた。
『……ラジュ殿から委任されたということで、私の裁きでよいかな?』
『裁きの委任、承りました』
神官長の同意を確認して、陛下とやらは頷く。
『シュルス侯爵とアライスには、まず人ひとりを私利私欲のために殺害した罪がある。その親族を欺き罪を隠匿した点は悪質と判断する。娘を虐げたのも、もうひとりの娘に聖女なのだという嘘を吹き込んで育てたのも、親としての彼らの罪になるだろう。ウルバジアにもこれらの罪を裁く法があるだろうから、ウルバジアの王は必ずこれを適切に裁くように』
ラジュは陛下とやらを眺め、陛下とやらはその視線を受けてラジュを見た。
『……化け物に育つ素養のある子供を間違いなく化け物に育てあげる才能を持つ親というのはいるのだよ』
『とんでもない弟様がいらした陛下がおっしゃると説得力がありますわね。わたくし、陛下の弟様に一度殺されましたものね』
ラジュに嫌味を言われた「陛下」は神官長に目を向ける。
『神殿にも、『聖女』という制度で化け物を増長させた責任がある。これは神官を統率しきれなかった神官長の責任を問いたいが、神官長に弁明があれば聞く』
男に言われ、神官長は頭を下げる。
「水の皇帝に申し上げます。神殿では若い神官らの学びにおいて、まず貴賤と善悪を問わぬように教えております、それゆえロジーナにも自ら気付くことができるよう言い聞かせてまいりました」
『ロジーナについては見習いであることを考慮し、賤民や罪人と接する場において然るべき指導を受ける機会を以て更生することを期待する』
「承知いたしました」
ロジーナは、神官長の後ろに這い出して水の皇帝と呼ばれた「陛下」を見上げた。
「あの! 神様! 私は聖女様に忠誠を尽くすために頑張ったんです!」
ロジーナの言葉を聞き、陛下とやらはロジーナに目を向けた。
やった、私の言葉を受け入れてくれたに違いない、とロジーナは期待したが、その期待は砕かれる。
『娘、そなたにとって忠誠とはなにか』
「聖女様が望むようにあるべく頑張ることです!」
『そなたの忠誠は、かわいそうだが誤った形だ。誤った形の忠誠は、容易におのれの主を堕落させ、さらなる過ちに陥れる。世界には完全なる正解の形をした忠誠は存在しないが、完全に誤った形をした忠誠というものは存在する。いまのそなたの忠誠は、完全に誤った形をしている。それを正す必要がある』
誤った忠誠。
ロジーナはカッとした。
「神様までそんなことおっしゃるのですか! 私は頑張っているのに! ちゃんと……ちゃんと見てください!」
『忠誠を尽くそうとしたことは認める。忠誠の在り方を見直しなさい』
ロジーナは神官長から視線で指示を受けた神官たちによって「陛下」の前から退場させられた。
『さて、王子の教育については、言うまでもなくまず王と王妃による教育者の選択が誤っていた。王子の躾役である人間はなぜ王子が婚約者を放置することを許したのか、あるいは王子が躾役を欺いていたのかが聞きたい』
陛下と呼ばれる男はラジュを振り返った。
『それでよろしいかな? ラジュ殿』
『為政者に虐げられてきたわたくしに、為政者として人を裁く力量はございませんの。陛下にお任せする方が確かです。その代わり陛下が道を誤ったときは、わたくしが責任を持って、弟と一緒に、陛下がなにより愛しておられるこの世界とあなたの民を根絶やしにして差し上げます』
『なるほど、それが私への最大の天罰になることをラジュ殿はご承知でおられる』
『陛下は民のためなら命懸けでお父上を嗜める方ですもの。わたくしや弟はあなたの民を苦しめることであなたを追い詰める。それは地位なき者を慈しむあなたのような方にとっては罰として覿面でしょうけれど、地位なき者たちを踏みつけ蔑むことを良しとする者たちにはなんの天罰にもなりませんの。フィオリナを蔑んだ者たちは狭量で自分の矜持にしか興味がないのですから、不作にして民が苦しみますよと見せたところで、自分たちが見栄を張るために民からの年貢取り立てを厳しくして圧政でさらに民を苦しめ、自分たちは少ない年貢の犠牲者なのだとでも訴えるに決まっています』
ラジュに言われた「陛下」は頭を押さえた。
ウルバジアの国王も頭を抱えた。
フィオリナが死んだこの場で、我が国にそのような貴族はいないと訴えることはできない。
シュルス侯爵という存在が、妻を殺し娘を異端の術で縛り、愛人とその娘を優遇して贅沢三昧を許していたのだ。さらに次男はその詐欺師と共にフィオリナの存在を足蹴にしていた。
『ラジュ殿、そうした者たちはそもそも為政者に向かない』
『人を蔑む王子のもとでのさばるのはそういう者たちです。フィオリナを見る学友たちの視線をご覧になりましたでしょう? 例えばですよ、リュンネルという王子が要職を得ますでしょ? 彼はフィオリナを蔑み、シラフィナを重んじておりましたわね』
『……そうだな』
『彼らの側近はリュンネルとシラフィナの好みで固められるでしょうから、横行するのは聖女の力に頼った横暴と圧政、奢侈、差別でしょうね』
『そうなるか』
『弟君の領地をご覧なさいませ。横暴と圧政、奢侈、差別で飢えた挙句、ほかの王子たちの領地から糧食や宝物を奪うために、木の根でさえも掘って食べるような兵士たちを集めて、ないものはほかの領地から奪えばよい、あちらには肥沃な大地と飽きるほどの食がある、それを我々が支配すればよいと焚き付けて、あなた様やほかの王子たちに返り討ちにされたのですよ』
『……そうだな』
『自覚があるかないかは知りませんけれど、リュンネルという王子はこれだけを見ると横暴になる素養のある王子です。こうした者に、わたくしや弟が天罰として十年や二十年の不作を約束したところでなんになります? あるいは差別された民を一斉蜂起させたとして、あの王子に自分の振る舞いが悪かったと反省するような余地があると思われまして?』
リュンネルはゾッとした。
神官長が神々として呼びかけた男女は、リュンネルのことをフィオリナの目を通した姿でしか知らない。これは不公平ではないか。
「神官長」
リュンネルは神官長に声をかける。
「神々に弁明したい」
「お伝えします」
神官長は薄く笑った。
「……ロジーナと違い、神々に直接弁明の希望を訴えなかったことは王子として節度ある態度であると、評価していただけるものと信じております」
大人たちにとって、神官長の言葉はリュンネルへの慰めではなく、神々への「評価してやれ」という要望であることは明白である。
ラジュと「陛下」も苦笑して神官長を見た。
『ウルバジア第二王子リュンネル』
長椅子に腰掛けて鷹揚に声をかける男神の、その言葉のかけ方ひとつに圧を感じ、リュンネルは反感を抱いた。
王子として生まれ、母には愛され、リュンネルの上に君臨するものは父王と兄である第一王子だけだった。リュンネルは頭を下げることをせず、神々を正面から見て訴える。
「私は、フィオリナから意地の悪い婚約者だと思われていたことを残念に思います。ウルバジアの王子として、私は聖女であったシラフィナと共に善き王子であろうと努力してきました。フィオリナのよき婚約者であろうともしましたが、フィオリナは婚約者としての努力をすることなく、私にはなにも相談してくれませんでした。このフィオリナの死は、フィオリナが私を頼らなかった結果です」
リュンネルの訴えを聞いて、男神が神官長に視線を向ける。
『私はまだ、発言を許すと言っていない』
神官長はその視線を受けて「そこはご慈悲を」と苦笑いした。
『ウルバジア第二王子リュンネル、そなたを裁くのは私ではなく、そなたの父祖でありウルバジアの王である者が定めた法だ。私はシュルス侯爵、アライス、シラフィナについては人の法で裁くことのできない罪があったという神官長の訴えを聞き、人には裁けぬ罪だけを裁く』
男神はウルバジア国王に目を向ける。
『人の王として、親として、どのように裁くかを問う』
ウルバジア王は問われたことについて、我が子であるリュンネルを見て、それから右手を胸にあてて深々と男神に頭を下げ、リュンネルは目を見開いた。
「父上! 王が頭を下げるなんて!」
「人の王が神より上であるはずはない。聖女が神々の力を使うことに慣れ過ぎて、おまえたちが神々を使役しているとでも思ったか」
リュンネルは愕然とする。
「そのようなことはありません……」
「ならば神々のことは人を創る者として敬うことが出来るはずだが、なぜそれができない」
「それは……」
どのような場であっても、それが例えば隣国との戦場であっても、聖女が治癒を施せば死人ですら生き返ると信じていた。それが神々の領域にある力であろうと、シラフィナがいれば自分の名声を得るために使えるものだと思っていた。
「我が国では、人を死なせた者はその悪意を以て刑を量ります。フィオリナの母を死なせたシュルス侯爵とアライスは、明確な殺意で計画的に人を殺した罪を以て裁きます。リュンネルについては婚約者への暴力による事故として明確にフィオリナ嬢を殺す意思はなかったものとして裁くことになります」
男神はウルバジア王の説明に『なるほど』と返す。
『然るべく』
「然るべくいたします」
『そこの息子についてはいかがする』
「自らの権力を顧みず、おのれの婚約者を蔑ろにして死に至らしめた罪は、過失とはいえ、許され難く、王族として上に立つには相応しくない者に育ててしまったこと残念に思います」
『ここはそなたの、親としての感想を聞く場ではない』
「……直轄領にて手に職を付け、地に足を付けて民のひとりとして生かすことを、お赦しいただきたく存じます」
「父上! 父上は王ではないのですか! 赦免を求めるなど……」
『陛下は、あの子供たちをお助けになるかしら?』
語気も強く訴えるラジュの横槍を聞いて、陛下と呼ばれる男がひらひらと手を振ってラジュの言葉を止める。
『ラジュ殿、その王子を反省できない子供にしてしまったことには親と躾役の罪というものもある。また人には人の法があるからこそ、あなたは私に裁きを委ねたのだろうが』
『わたくし本音を申せば助けたくありませんの。あの者たちの魂を取り上げて虫からやり直しさせたいぐらいよ。それをあなた様は天罰もなしに人の法で裁かれるだけでよしとしようとなさったの』
男神はラジュの言い分に肩をすくめた。
『ならば私に委ねず虫に生まれ変わらせるという天罰で良いではないか。それよりもだな、ラジュ殿、私があの国について気に入らんのは、為政者とは民の生活を預かる者であるという意識の希薄さであり、それを育てない者たちについて』
『ディジャン様、あなたが水の加護を持つ国々を司る陛下として、為政者として、ウルナントカ国に加護を与える者として、あの国はどうなさるの?』
『ラジュ殿、聞きなさい、あなたが神官長から問われたのは、シュルス侯爵とアライスとシラフィナがフィオリナから力を奪う術を使ったことについての処罰であり、私はその処罰をあなたから委任されたのだよ。人としてあの子供たちをどう裁くかではない』
陛下の名はディジャンであったらしい、と、誰もが思った。
そしてウルバジアという名を持つ自分たちの国が、水の陛下の加護を得ているということも、王をはじめ貴族たちの誰もが初めて知った。
リュンネルとシラフィナは自分たちが虫に変えられそうになっていることを理解していなかったが、ラジュはそのふたりを見ることなく立ち上がり、ディジャンの前に跪く。
『地から与える天罰として、シラフィナ、リュンネルのふたりについては彼らの命を奪わず、天が与える器を、彼らに相応しい物の怪に変じることを願います。その親には彼らを一生涯棄てることなく養育することを罰として求めます』
ディジャンはラジュの申し出に呆れつつ、長椅子から立ち上がって神官長を見た。
『その地の貴族や神官に与える罰として、地が彼らに与える輪廻転生で為政者としての素質を吟味し、過ちある者は次の生において為政者の階級に生まれることがないよう、軛が打たれるように地の長に申し入れるものとしよう』
ラジュを振り返り、ディジャンは言う。
『これを禁術の使用に関する裁きとして、天の神から地の神への要求とする』
ラジュはディジャンの申し出に頷く。
『然るべく、かの国の遍く魂に刻印を刻むことをお約束いたします』
その場にいた大人たちは、水の陛下と呼ばれる男ディジャンがいかに残酷な罰を地のラジュに要求したかを悟った。
ラジュは、フィオリナを虐げた中心であるシラフィナとその両親、そしてリュンネルとその両親という六名に対する罪を問い、天罰を下すことに決めたが、ディジャンは違うのだ。
この場にいる誰もが、それどころかこのウルバジアに生まれた誰もが、シラフィナとリュンネルを増長させたと判断し、ウルバジアに生まれたすべての人間を対象に、その身分に応じた格を問えと要求したのだ。
日記の扉に映し出された「フィオリナから見た世界」という記録のなかでフィオリナを助けなかった者たち、その子供たちを育てた家の者は、皆、死んだときに「己は貴族であるに足るのか」を問われることになるのだろう。そしてその答え次第で、来世は虫か獣か、運よく人間であったとしても奴隷や農民ということになりかねないのだ。
それはウルバジア王と妃も例外ではなかった。
リュンネルという王子を育ててしまった。
地位と名誉のある来世は約束されない。
ディジャンは長椅子に腰かけて長い溜息を吐いた。
『ウルバジア王、貴国において不本意に虐げられる民が見受けられるようであれば神官長に伝えてくれるとよい』
心から、ウルバジア王はディジャンに向けて頭を下げる。
「……あなた様の天罰は、国そのものへの罰なのでございますな」
ディジャンはウルバジア王を見つめた。
『人の王がいる国について、私には国より小さなものを見るつもりはない。人を裁く法で裁ける罪は人が人の手で裁くべきだ。それゆえ、私にはシュルス侯爵、アライス、シラフィナという三名だけを裁くことはできず、彼らに禁術を使うことを許してしまった国の罪を問う』
「承知いたしました」
『だが、禁術が人の手に渡る事態になったことは我々天上における管理の不行き届きでもある。これについて人の罪だけを問うことはない』
ウルバジアの王と貴族たちはハッとした。
なにかの救済措置があるかもしれない、と期待を抱いて。
だがディジャンが続けるより先に、シラフィナは手を挙げた。
「教えてください神様」
「そなた」
『構わん』
シラフィナの言葉を遮ろうとした神官長を止めて、ディジャンはシラフィナを見る。
『なにが知りたい』
「フィオリナの日記の扉で見せられたことは本当のことですか?」
『そうであろうな。嘘は混ざっていなかった』
「なら、フィオリナのお母さまを殺したのはお父様で、嫌がるフィオリナを邪魔したのは私のお母さまだったのですか?」
『そういうことだ』
ディジャンに肯定されてシラフィナがゆっくりと、フィオリナの横に膝をついた。
「フィオリナ聞いた? 私たちふたりとも、あの両親に泥棒と人殺しの娘にされたわ。私はおまけに詐欺師の娘で自分も泥棒で人殺しで詐欺師っていう罪もくっつくの」
ラジュがなにかを言おうとしたが、ディジャンに止められた。
シラフィナはフィオリナの手に自分の手を添える。
「ごめんなさい」
シラフィナの涙はフィオリナの手を濡らした。
「私あなたが嫌いだったわ。キラキラしたお姫様なのに泥棒の娘で人殺しだって聞いて、汚らわしいものだと思ったの。ひどいことをして、あなたを痛めつけて、あなたが痛みを知って、ゴメンナサイって言ったら、神殿で、神様に、フィオリナは心を入れ替えたからって言えると思ったの。お母さまが私は聖女なんだって言うから、聖女なら神様に伝えられると思ったの」
ラジュとディジャンはシラフィナとフィオリナを眺める。
「でも違ったわ。聖女はあなたで、あなたは泥棒の娘でもなければ人殺しでもなくて、謝らないといけないことなんてしてなかった。私が、あなたみたいなきれいなお姫様は、そういう人であってほしいと思ってたそのままの人だったの。よかった」
シラフィナはラジュを見上げた。
「神様、私、いつかフィオリナを守れますか?」
ラジュとディジャンは『蒼山碧海に龍は遊ぶ』の後半に登場するキャラクターですが、このお話しは単品でも成立するので、番外編ではなく、単品として投稿しています。




