2-3 侯爵夫人のテーブルマナー
昼食の時間、ユーナに案内されて食事のための部屋に行くと、侯爵夫人が待っていた。
「これ、あげるわ」
侯爵夫人が、青地に金の装飾がついたノートと、赤みがかった木目の万年筆を差し出した。
「これから学ぶことを書き留めておきなさい」
「ありがとうございます!」
ローリアは、今まで見たことがないくらいきれいなノートと万年筆に見とれた。でも、こういう筆記具は使ったことがなかった。村では羽根ペンだったから。
「今日は、食事をしながらテーブルマナーを教えるわね」
「はい」
「まず、椅子に座って」
「はい」
「スカートは座る前になおしなさい。座ってからなおすのは良くないわ」
「はい」
「背もたれにはもたれず、背筋をのばしてね。背もたれにもたれて反り返っていると、偉そうに見えてしまうから」
「は、はい」
ローリアは慌てて姿勢を正した。なんだかとても緊張する。
テーブルには、真ん中に赤い縁の大きな皿、その上にナプキン、左にフォーク3本、右にナイフとスプーン、奥に小皿とバターナイフが置いてあった。
「左から、前菜用フォーク、魚用フォーク、肉用フォーク」
侯爵夫人がいきなり説明を始めた。
「右側が左から肉用ナイフ、フィッシュスプーン──」
「ま、待ってください!」
ローリアは慌ててノートを開いた。
「メモしますっ」
しかし、万年筆に慣れていなかったので、文字がうまく書けなかった。焦って線が曲がり、顔が真っ赤になる。
「先に万年筆の使い方を教えるべきだったかしら」
侯爵夫人がなんとなくつぶやいた。悪気はなかったのだろうが、ローリアはとてもみじめな気分になった。
「慌てなくていいわよ」
「すみませんっ」
「あと、謝る必要もないわ。最初はわからないことがあって当然よ」
「は、はい」
「もう一度説明するわ」
侯爵夫人が一番左のフォークを手で示した。
「前菜用フォーク、魚用フォーク、肉用フォーク」
「はい」
「右手側は左から肉用ナイフ、フィッシュスプーン、スープスプーン、前菜用ナイフ」
「はいっ」
ローリアは時間をかけて、なんとかノートに書き留めた。
「料理によって使うフォークが違うんですか?」
「そうよ。まあ、パトリックみたいに、気にせずに何でも同じフォークやスプーンですくっちゃう人もいるけど……」
侯爵夫人が気まずい顔をした。
「あなたは真似しないでね」
「は、はい」
侯爵ってもしかしてすごく変な人なのかしら。
ローリアは一瞬思ったが。使用人がサラダを運んできたのでまた姿勢を正した。緑色の野菜数種類と、白い何かが乗っている。
「珍しいのよ。今日は魚が入っているの。ここは内陸だから、魚が入ることはあまりないんだけど」
「そうですか」
「フォークの使い方なんだけど、この場合、魚だけフォークに刺してはいけないの。もちろん、野菜だけ刺すのもだめよ」
「そ、そうなんですか?」
ローリアは驚いた。そんな決まりは聞いたことがない。
「だからって、両方刺してもいけないわ」
侯爵夫人がそう言ったので、ローリアはますます困ってしまった。
「まず全体を軽く混ぜてソースをからめ、皿の奥側に寄せて手前を開ける。それから、この料理の場合、魚を手前に広げる」
侯爵夫人が実際にやりながら説明した。ローリアは必死でそれを見つめた。
「魚の上に野菜を置いて、巻いてからフォークを刺すのよ」
侯爵夫人は、信じられないくらいスムーズな手つきで魚と野菜を一体化し、フォークで刺した。それから口に運んだ。
「フォークは口に対して縦に運んで。横にすると野蛮に見えてしまうから」
「は、はい」
ローリアはすっかり怖くなっていた。細かすぎる。
「あなたもやってみて」
「は、はい」
ローリアはフォークを取ろうとして──床に落としてしまった!
「ヒィッ」
喉の奥から変な声を上げてしまった。近くにいた使用人がフォークを拾い、すぐに新しいものに交換した。
「すみません……」
「だから、謝らなくていいのよ」
侯爵夫人は楽しそうに笑っていた。
「こないだ王妃様とお話したんだけど、あの方も最初フォークの使い方がわからなくて、ジャガイモを遠くに飛ばしたことがあるそうよ」
「そうなんですか?」
「外国で育った方だからマナーを知らなかったのよ」
侯爵夫人が言った。
「ただ、晩餐会ではマナーに厳しい人がたくさんいて、揚げ足を取ってくるから、それまでに身につけておいてほしいの」
「わかりました……」
そう答えたものの、ローリアは既に自信をなくしていた。
「大丈夫よ。食べ方がわからない料理は、『これはどうやって食べるんですか?』って聞けばいいの。それは全然恥ずかしいことじゃないわ。最近は創作料理も増えてきてるから、見ただけでは何なのかわからないこともあるから」
「そうですか……」
「もう!元気を出しなさい!」
侯爵夫人がローリアの肩を軽く叩いた。
使用人がスープを運んできた。
「スープをすすってはいけないことは知っているわね?」
「それは、さすがに」
それから、侯爵夫人は「スプーンのスープを吸ってはいけない」「肉を切るときは刃先を立てるように」「パンをそのまま丸かじりしてはいけない」「ワイングラスはこう持って」「お茶のカップに手を添えてはだめ。『このお茶、ぬるい』という意味になってしまうから」とか、とにかく細かい食事の仕方を、根気よくローリアに伝授した。
食事が終わる頃には、ローリアは疲れ切っていた。せっかく食べたことのない立派な料理が出てきたのに、味をまったく覚えていなかった。




