6-1 ソムィーズ邸にて
「ダンスパーティーで大男を振り回していたって噂になってるよ」
数日後、馬舎でクィルが言った。後ろでウィズが笑い、ローリアは馬のタルマにもたれて青い顔をしていた。
「どうして……」
ローリアはかすれ声を上げた。
「どうしてそういう話になるのっ!?」
「だから変な男に近づくのはやめろって言ったじゃないか」
クィルが言った。
「くまさんは変な男じゃないし、どっちかというと振り回されていたのは私よ!それも変な意味じゃなくて、私を持ち上げてくるくる回って遊んでいただけ」
「持ち上げた?」
クィルが嫌そうな顔をした。
「君に触ったの、そいつ」
「触ったっていうか……くまさんは大きいから」
「お嬢さん。そりゃまずいぜ」
ウィズが近づいてきて言った。
「俺も貴族の世界はよく知らないが、淑女にむやみに触れてはいけないことくらいはわかるぜ」
「そ、それはそうだけど」
「人前でそんなことしてたら、深い仲ですって言ってるようなものだよ」
クィルが言った。
「そ、そんなんじゃないわよ!」
ローリアは慌てて弁解した。
「あれはどっちかというと、子供が遊んでいるような感じだったし」
「ローリア、そいつにはしばらく会わないほうがいいよ」
クィルが真面目に言った。
「もしかしたら君と地位を狙ってるかも」
「そんなことないと思うけど……侯爵が、くまさんは貴族より金持ちだって言ってたし」
「とにかく、その男には会わないで」
クィルが言った。ローリアは口をつぐんだ。
「クィルは最近、馬の世話がうまくなりましたぜ」
ウィズが言った。話題を変えたかったのだろう。
「そうなの」
「乗る方もついでにね。今度一緒に乗馬して、丘の方に行ってみたらどうです?天気のいい時は空気が澄んでいて気持ちいいですよ」
「そうするわ」
ローリアは立ち上がった。
「おばあちゃんの畑を見てくる」
ローリアは庭を横切り、祖母リーマの畑に向かった。リーマは侯爵の了承を得て庭の隅っこに畑を作り、大好きなハーブを育てていた。最近は庭仕事が生きがいになっているようだった。
「ローリア、おいで」
リーマはローリアを見つけると手を振り、畑から何本か摘んで、手渡した。
「お茶にして飲むと心が落ち着くよ」
リーマが言った。
「最近勉強ばかりして、ろくに休んでないだろ」
「そんなことないわ。侯爵夫人には毎日お茶とお菓子をいただいているじゃない?とても贅沢だわ」
「贅沢と休息は違うんだよ。それに、あんたは一人になる時間がない。いつも先生か使用人が近くにいてね」
「それは、そうね」
ソムィーズ邸で『お嬢様』と呼ばれるようになってから気づいたのもそれだった。貴族の女性は、ひとりになる時間がない。意識して『一人にしてちょうだい』と言って使用人を下がらせないと、一人になれない。あまりに言い過ぎると今度は使用人が『私は必要ないんですか?』と言い出す。
「今日くらい一人でゆっくりしな」
リーマが大きな邸宅を見あげながら、
「アルマはどこに行ったんだい?見かけないけど」
と尋ねた。
「たぶん部屋にいると思うけど」
ローリアが言った。
「呼んでくる?」
「いや、いいよ」
リーマはハーブ畑を眺めながら言った。
「私はあの子が贅沢を覚えすぎないか心配だよ。あんたはしっかりしてるし、身の程をわきまえるってことを知ってるから安心だけど、アルマはどうも浮かれているようでね。こないだも『パーティーで偉い人と踊った』なんて自慢していたしね」
「あれはどちらかと言うと親切よ。深い意味はないわ」
「そうだといいんだけどね」
リーマはちょっとすねた顔をして、畑仕事に戻った。
ソムィーズ邸の中に入ると、ユーナが走ってきた。
「お手紙が届いてますよ。どこかのレディから」
「ありがとう。あ、おばあちゃんがハーブをくれたから、お茶にしたいんだけど……」
ローリアが言い終わらないうちに、ユーナはハーブの束をひったくるように受け取り、
「私が入れてきますから! お嬢様はお部屋にお戻りください」
と言って、走っていった。
知っているのだ。ローリアをほっとくと、自分でお茶を入れに厨房に行ってしまうことを。前にもそういうことがあって、ユーナは怖いメイド長に怒られたのだった。『お嬢様にお茶を取りに来させるとは何事か!』と。
自分で入れたかったのになあ……。
ローリアはがっかりしながら部屋に戻った。あの様子だと、今『一人にして』と言ったらユーナは不満に思うだろう。好きにさせるしかない。
「人を使うって、難しいわ」
ローリアはつぶやきながら廊下を歩いていた。すると、
キーッキッキッキー。
変な音が聞こえてきた。
「な、何?」
ローリアは慌ててまわりを見回した。
キーッキキッキッキッキッキー。
変なリズムでこすれるような音がする。
「何なの!?」
おそるおそる音の方向を探っていると、それはなんとアルマの部屋で、ドアの前でパーシーがうつろな顔で立っていた。中から『もっと優しく!』という男性の声も聞こえる。
「パーシー」
ローリアは心配になって尋ねた。
「アルマは何をしているの?この音は何?」
「アルマお嬢様は突然『バイオリンを習いたい』と言い出したのです」
パーシーが暗い声で答えた。
「侯爵まで『それはいい。バイオリンが得意な知り合いがいるから呼んでくる』とおっしゃって、ついさっき、レッスンが始まったところなのです」
キーッキキッキッキッキッキー。
すさまじい音がした。ローリアは思わず耳をふさいだ。
「一緒にハーブティーを飲もうと思っていたのだけど」
「今は邪魔しないほうがいいですよ」
パーシーが言った。ローリアは仕方なく一人で部屋に戻ることにした。
アルマったら。私には何も話してくれなかったのに、いきなりバイオリンだなんて、何を考えているの?
前はなんでも話す仲だったのに。
ローリアはそれを不満に思いながら部屋に戻った。
机の上に、金の装飾が入ったきれいな封筒があった。レディ・アマンダ・ルビンシャーから、お茶会の招待状が届いていた。アルマが『招待されるとステータスになる』とか言っていた、あれだ。
「行かなきゃダメよね」
ローリアはため息をついた。
「そんなことしてる場合じゃないけど……知り合いも増やさなきゃいけないし」
本当は、お茶会でおしゃべりしている暇があったら勉強したかった。ダンスパーティーでよその家の後継者(みんな男の子!)に会って、やはり、なめられていると感じたからだ。
あの人たちに認められるには、実力をつけるしかない。
ローリアは本棚から、苦手なドゥロソ語の教科書をを取り出した。
「お嬢様!ティータイムにお勉強はダメです!」
お茶を運んできたユーナが叫んだ。
「ただでさえ朝から勉強しっぱなしなんですから。侯爵も心配されていますよ。部屋からなかなか出てこないって」
「でも、私は勉強しなきゃいけないのよ」
ローリアが言った。
「他の男の子たちに負けられないの」
「もう! そんなんだからおばあさまがハーブを用意したんですよ! 『少し休みなさい』って。ささ、これを飲んでゆっくりしてください! こっちはしばらく預かります」
ユーナはドゥロソ語の教科書を手に取ると、ローリアを軽くにらんで、出ていってしまった。
「えっ! ちょっと! 待ってよ!」
ローリアは慌てたが。ユーナがいなくなったので少し安心した。もしかしたら、一人になりたいことを察してくれたのかもしれない。
ハーブの香りがする。懐かしい香り。
ローリアは亡くなった両親のことを思い出していた。父は女神の集会所で教師をしていて、母は子供を育てながら、メイドが足りなくなった家の手伝いをしていた。めったに肉を食べられないくらい貧しかったけど、平和だった。
伝染病が、全てを奪ってしまった。
両親も、近所の人も、多くが死んだ。
もしかしたら、あの時も、お金持ちが買える薬があれば、みんな助かったのかしら。
ローリアはそう考えてやるせない気持ちになった。
涙が出てきたので手の甲でぬぐって、お茶を飲んだ。ツンとする。きっとミントが入っている。
「みんなを幸せにできる当主になりたいわ」
ローリアはつぶやいた。いつか、侯爵が自分とアルマを助けてくれたように、誰かを助けられる人になりたい。
「そのためにも、やっぱり勉強しなきゃ……ユーナ! 私の教科書を返しなさい! ユーナったら!」
ローリアは叫びながら部屋を飛び出した。




