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1話


 ルバート王国でも五指に数えられる名門、フォルシェンド公爵家。

 その屋敷の奥、分厚い扉の向こうでは、今まさに新たな命が生まれようとしていた。


 だが──

 その出産は、決して穏やかなものではなかった。


「……っ、まだか!? どうなっている!!」


 外に控えていた公爵、クローヴィス・フォルシェンドが声を荒げる。

 その隣では、ひとりの少年が不安げな表情を浮かべていた。


 まだ年端もいかぬ令息、グラーヴェ・フォルシェンド。

 彼はきつく拳を握りしめ、震える手でクローヴィスの服の裾をぎゅっと掴んでいた。


「……父上……。母上は、大丈夫なのですか……?」


 潤んだ瞳で見上げたその問いかけに、クローヴィスは一瞬、返す言葉を失った。

 その逞しき背に、わずかな揺らぎが走る。


「……無事に……生まれてくれるとも……」


 震えを押し殺すように呟く父と、ただ信じようとする息子。


 その時、中から鋭い産婆の叫びが響いた。


「っ……生まれました! ですが……!」


 数瞬の沈黙。続くはずの産声は、どこにもなかった。


「……泣いていません! 息を──息をしていないかも……っ!」


 産婆の叫びに、母であるオリヴィア公爵夫人は、青ざめた顔のまま赤子を奪い取るように抱き上げた。


「……ねぇ、ねぇ……お願い……お願いだから……!」


「目を開けて……私の声、聞こえるでしょう……?」


「シオン……シオン!!」


 震える手で必死に揺らす母の声に、扉の外にいたクローヴィスとグラーヴェが慌てて駆け込む。

 赤子は、小さな胸を上下させることなく、ただ静かに眠るように横たわっていた。


 父の目に怒りと焦燥が混ざる。


「……医師は!? 何をしている!?」


 だが、誰もが──ただただ、赤子の息を待つしかできなかった。


 その瞬間──


 シャラン……


 やわらかく、けれど確かに空気を震わせる鈴の音が、部屋中に響きわたる。

 その音は、やがて壁を超え、屋敷を超え、空を超えて、国中の空に鳴り響いた。


 この瞬間、王宮にいる王も、街の片隅で働く商人も、農場の少女も──

 誰もが一様に足を止め、天から降るかのような鈴の音を聞いたのだ。


 そして、部屋に戻ろう。


 赤子の全身に白い光が、波紋のように広がる。

 まるで神の祝福のように、優しく、けれど絶対的な力をもって。


 その光が消えると同時に、赤子はわずかに息を吸い──


「……っ、……ぁ……」


 かすかな声を上げた。


 その目が、静かに開かれる。


 現れた瞳は、まるで陽の光を宿したような、鮮やかな金色。

 だがそれはほんの刹那。瞬くうちに、深く澄んだ黒へと変わる。


 その神秘的な光景に、室内の者は皆、言葉を失った。


 やがて、赤子の呼吸は安定し、小さな体は母の腕の中で静かに眠りへと戻っていった。

 医師が脈を確かめ、深く息を吐く。


「……どうやら、落ち着いたようです。ひとまず、ご安心を」


 部屋の空気がふっと緩み、安堵の声と共に、フォルシェンド家の者たちは赤子の誕生を祝い合った。


 しかし──


 それから五年もの間、その赤子が再び目を覚ますことはなかった。










 ──ああ、懐かしい。

 これは、世界の“息吹”じゃ。


 柔らかな風、湿り気を帯びた空気。

 意識の果てに浮かぶそれらは、まるで夢の泡のように、すぐに消えていく。


 我は、今どこに在るのか。

 光が揺れる。揺りかごのような波に、魂がなだめられる。


 その時──


 シャラン……

 涼やかな鈴の音が、我の中枢を震わせた。


 我は目を開けた。

 世界が、差し込む光の中に在った。


 光を、風を、そしてこの地に満ちる命の律動を感じた。

 そのすべてが、知らぬはずのものなのに、何故かとても懐かしい。

 生きるとは、かくも美しきものか……と、我は思った。


 だが──まだ、少し力の制御が難しい。

 この器では、神の力があふれすぎておる。

 制御がかなうまで……ほんのひと眠り、させてもらおう。


(……すぐに、また会える。しばし、待たれよ……)


 そう思ったのが、我がこの世に生まれて最初に抱いた感情であった。


 

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