冬の花火
花火は、空気が澄んでいる冬の夜空に打ち上げると、夏よりも美しい。
コロナ禍で、自治体が一般庶民を鼓舞するためという理由で、季節外れの花火を打ち上げた。花火で元気が出る人はいるのだろうかと、私は懐疑的だが、マイナスなことではないと思う。
残業を終えた後、職場の駐車場で、ポーカーフェイスな同僚の傍らで、冬の花火を見届けた。彼は風変わりな人。私と同い歳の男性で、筋金入りのお喋り屋だ。ところが無口な私と二人だけになると、私の寡黙が伝染するのか、彼まで無口になる。最初、嫌われているのかなと思ったが、案外悲観しなくてもいいみたいだ。彼の側にいる際に幾度か、自信がもてる場面に遭遇した。彼は誰かとマシンガントークを繰り広げた後、私にぼそっと「疲れた」と、不機嫌そうにつぶやくのだ。なかなか複雑な人である。
花火が打ち上がっている間も、私たちは黙ったままだった。休憩時間に時折交わす、仕事の愚痴も政治家の悪口も芸能人の噂話も、何も語らなかった。それで良かった。気まずいという感覚はなかった。喋らなくても構わない。彼と私の間の、そんな気楽な空気が好きだ。
口火を切ったのは私だった。何気なく社交辞令のような質問をした。
「お子さんもやっぱ花火は好きなの?」
ところが彼の返答は、予想に反した。珍しく言葉を探り選び、自信なさげに気まずそうに答えた。
「実は子どもと観に行ったことはないな」
なぜ彼がその時、素直に胸の内の負の部分を語ったのか、今でも皆目分からない。彼は不思議な人類である。マイホームを建て、小学生の子どもが二人もいる彼の、意外な一面が垣間見えた。実は円満家庭ではないのか。隠し事を抱えているのか。思っていた以上に、人間臭い人なのか。それ以上、根掘り葉掘り踏み込むことは、私はしなかった。元々引っ込み思案な性格ゆえなのかもしれない。
次は彼から話しかけてきた。
「そういや、客からビールもらったんだけど、いる?あとで渡そっか?」
私は嘘をつかなかった彼がいじらしかった。とっさに信用し、こちらも本当の自分をさらけ出すことにした。日頃世話になり、楽しい思い出を与えてくれるだけでなく、自分の恥ずかしい部分をせっかく正直に打ち明けてくれたのだ。こちらも正直に言わないと、生真面目かもしれないが、失礼なような気がした。
「実はお酒飲めないの」
「え?下戸なの?」
「いや、薬飲んでるから」
ポーカーフェイスの彼でも、さすがに声のトーンが幾分高くなった。
「どっか悪いの?」
「実は心療内科行ってて。嫌なことたくさんあって。それで参って」
彼はしばらく黙した後、身体の芯から絞り出すように告白してくれた。
「実は仕事辞めるんだ。そんで、遠くに行くんだ。知り合いが一人もいないとこに。色んなこと隠して生きてくの、しんどくなって」
身体がかすかに震え、衝撃に打ちひしがれる私に、ちらちら眼を合わせながら、自分なりに考え出した、生き抜く知恵を教えてくれた。
「俺も、厳密には障害者。極端な考えかもしれんけど、世の中の人みんな障害者だと思う。世界中の色んな精神病の症状を、一つももってない人なんていないよ」
たまらなく熱い思いがあふれた。そして私たちは、再び沈黙した。眼に浮かんだ涙で、花火が揺れた。
一カ月後、彼は本当に退職した。行き先を知る者は皆無だ。冬の花火の下で、言いづらいことをあえて言ってくれたんだ。彼の孤独さを漂わせた後ろ姿を見送った後、心の中の温かい彼が、花火のように飛び散った。