第九話 お仕事
――翌朝、まだ空が白む頃。
宿屋「ねこしっぽ亭」の厨房には、不穏な空気が漂っていた。
「……クララ、お前さっき何を入れた?」
「えっ?味に深みを出すために、何かのスパイスをいっぱい……」
「何かって……てかいっぱいって何だよ、量で言え」
「感覚で!」
「アバウトすぎるだろ」
鍋の中では、朝食用のスープが怪しく泡立っている。
嗅ぎなれないツンとした香りが立ち込め、さっきから厨房に出入りしていた猫が三匹とも逃げた。
「てめぇは魔女か……」
「魔女って言われるの、ちょっと嬉しいですね……!」
「褒めてねぇんだよ!」
結局、クララの“創作スープ”は却下され、厨房の仕事は蓮が全面的に担うこととなった。
「……うわ、レン様の包丁さばき、かっこいい……」
「飯の下ごしらえで感動すんな。お前がやらかすから代わりにやってんだろうが」
まな板の上で淡々と野菜を刻み、黙々とスープを仕上げていく蓮。
料理なんざとんとしたことがねぇが、こんなん猿でもできらぁ。
その横でクララは、皿を運びながら「ウェイター攻め×シェフ受け」なる謎の妄想に耽っていた。
「……レン様……もしもシェフの制服着てたら……多分、私、夢の世界から帰ってこれない……」
「元々現実にいねぇよ、お前」
その頃、客間では――
「あ、あの……その、お冷やを……」
「おう」
蓮が無表情でグラスを置くだけで、若い旅人の客がビクッと肩を震わせた。
「ひっ……い、いや別に悪いことしてません……ッ!」
「知ってるよ」
「す、すいませんでしたあああ!!」
若者は何もしていないのに勘違いして帰っていった。
その後も、蓮が配膳すると「料理は美味しいけど空気が殺気立ってる」「人生の清算を求められる気がする」などの意味不明なクレームが続出し、結局クララがホール専任、蓮が厨房専任に配置された。
夜――
二人はようやく賄いを済ませ、自室に戻った。
「……つ、疲れました……でも、なんか……充実感ありますね……!」
「そうか?俺はこの世界で“調理担当”にされるとは思ってなかった」
「レン様、包丁さばきが完全に“ゴクドウの料理人”って感じで素敵でした!」
「どんなジャンルだそれ……」
クララは布団の上で資料ノートを取り出し、今日一日の“尊い”瞬間を記録し始める。
「“白いお衣装に薄く付いた小麦粉”の破壊力……最高でした。これは……“厨房に舞い降りた堕天使”って感じです……」
「黙れ。そして寝ろ」
「えっ、もう寝ちゃうんですか!?じゃあ寝顔を観察しても……」
「やめろ」
こうして――
トラブルまみれだった初めての宿場町滞在は、
なんとか乗り切ることができたのだった。
だが、この町での騒動は、これで終わりではなかった。