第七話 煙草
教会の裏門から出されたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
蓮とクララは、街外れの坂道を下っていた。
持ち物は最低限の荷物と、クララが抱きしめて手放さない「資料ノート」
聖教会からの退去命令は即時だったが、不思議と名残惜しさはなかった。
クララは青空を見上げながら、やたら晴れやかな顔で言った。
「はあ〜〜〜〜〜、爽やかな破滅って感じですね……!」
「なんだその感想は」
「いえ、すっごく爽快で……!“聖女の仮面”を脱いだ瞬間に世界がカラフルに見えるんです!」
「今までの世界はモノクロだったみたいに言うなよ……」
そう言いつつも、蓮は一歩歩くごとに、どこか落ち着かない様子だった。
やがて坂の途中、ふっと足を止めて、スーツの内ポケットを探る。
「……チッ、謎の世界だろうが禁煙なんざ無理な話だったな」
手に取ったのは、銀のケースに入った紙巻き煙草。
ライターで火をつけると、白い煙が静かに風に溶けた。
蓮は口元にくわえながら、深く煙を吸い込んで、肺に染み渡らせるように吐いた。
「あ〜〜……落ち着く……」
クララはその様子を見て、わずかに目を丸くした。
「それって……は、葉巻……?あ、いや、別に責めませんけど、ちょっと意外で……!」
「そりゃそうだろ。“聖女様”の前でヤニ吸う奴なんざ、教会にはいねぇよな」
「ヤニって何だろ……でも……いいですね、煙と一緒に悩みも吐き出してる感じがして……」
「ポエマーか、お前は」
クララはノートを抱きしめて、ふと顔を赤らめる。
「ちょっと待ってください……レン様が葉巻を吸ってる姿、なんか……すごく……
“やさぐれ感MAXの儚げ受け”じゃないですか……!」
「また始まった……」
「いや、これもう新ジャンルですよ。命の火を燃やすように葉巻を吸う受け、って概念……尊すぎてどうしよう……!」
「概念で興奮すんなや。……あと“受け”ってまさかヤられる方の話じゃねぇだろうな」
クララの瞳が遠くを見つめている。もう現実にいない。
蓮はもう一度タバコの煙を吐きながら、深くため息をついた。
「……で、これからどうするんだ?」
クララは首を傾げた。
「どうって……ついていきますよ?レン様に!」
「いや、そういう意味じゃなくてな。
今のお前は、“聖女”じゃない。ただの一人の女だ。それでも一緒にいくってなら、それなりに腹括らねぇと」
クララは、珍しく真面目な表情になった。
金糸の髪が風に揺れる。
「わたし、もう“聖女”って呼ばれなくてもいいんです。レン様みたいに、自分の言葉で生きていきたい。……だから、どこへでもついていきます」
その顔はどこか晴れやかで、けれど少し寂しげでもあった。
「……まあ、いいさ。ひとまず行き先は決めねぇと、野垂れ死ぬだけだ」
蓮は火の消えた煙草を足元で踏み消すと、静かにクララを見た。
彼女はというと、まださっきの一服シーンの余韻で脳内パレードが止まらないようだった。
「ね、ねえレン様……今の葉巻の吸い方、もっと具体的に教えてくれませんか?
目を伏せた角度とか、指の添え方とか、吸い込むときの胸の上下とか……あっ、今の表現エロくないですからね!?学術的観点です!!」
「はいはい」
蓮はうんざりしたように肩をすくめた。
「……お前、そればっかだな」
「仕方ないじゃないですか!こんな最高の“存在”がいきなり目の前に現れたら、誰だって萌えます!」
「さっきも言ったが、俺……女だぜ?」
ぴたりとクララの言葉が止まった。
森の風が一瞬止んだような静けさ。
そして――
「……それがどうかしました?」
「いや、あのな……お前、ずっと“攻め受け”とか言ってたろ。理解したくねぇが、男のどっちがヤるかヤられるかの話だろ?性別の概念どうなってんだよ」
「わたしの中では、攻め受けに肉体の性別は関係ありません。
大事なのは“魂”の属性なんです……!」
「魂の属性ってなんだよ、怖ぇよ……」
クララは、どこか誇らしげに胸を張った。
「むしろ、レン様が女性だと知って、私の中で“新しい扉”が……ガチャッて音立てて開いた気がします!」
「音がしたのか……」
「はい。しかも鉄製のやつでした。重厚なやつ……!!」
蓮は頭を押さえた。
この謎の世界で、自分より逞しい人間がいたとは。別の意味でカルチャーショックだった。
「お前、マジでそのうち教会燃やされるぞ」
「もう追放されてますから!平気です!」
「そういう問題じゃねぇよ」
蓮は深く溜め息をついた。
だけど――心の奥でほんの少しだけ、肩の力が抜けていた。
“女だ”と打ち明けても、まるで気にも留めず、自分のペースで好き勝手に語ってくる相手。
こんな人間、今まで出会ったことがなかった。
「……まあ、楽でいいけどな。お前と一緒だと」
「えっ……な、なんですか急に!?フラグですか!?今の発言、壁ドン展開フラグですか!?」
「そういうんじゃねぇよ。てか、壁ドンって何だ。キレて壁叩くやつか」
クララが勝手に頬を染めてテンパっているのをよそに、蓮は再び歩き出した。
その背中を見つめながら、クララは胸の内で叫んでいた。
――なんて人なんだろう……ッ!性別の壁すら軽く乗り越えてくる攻めに見せかけた受けの女性……ッッ!
この日、クララの新しいジャンル『攻め風受け(実際は女)』が脳内タグに追加された。




