第十二話 逃避行
宿の裏口から、蓮とクララは身を低くして路地に出た。
朝の市が始まったばかりで、通りにはパンを焼く香ばしい匂いと、人々のざわめきが混じっている。だがその一角――正面玄関には、重々しい銀の鎧を身につけた教会騎士団が数人、馬を止めていた。
蓮は視線だけでそれを確認し、小さく舌打ちする。
「……本気で潰しに来やがったな」
「レン様、こっちです!」
クララが先に動いた。荷物の少なさが功を奏し、走ると意外に速い。
彼女の背を追うように、蓮も長い脚で静かに歩を進めた。
数分後、町外れの小川に出る。
「この先、街道から外れた獣道があります。馬車じゃ通れないけど、徒歩なら行けるって、古地図で……」
「その“古地図”ってのはいつの話だ?」
「だいたい、百年前……?」
「おい」
蓮はため息をつきながらも、川を渡る前に足を止めた。
立ち止まると、すぐさま周囲を見回し、視線と耳で危険を探る。異世界でも、そうした習慣だけは染み付いていた。
「水と食料、あと……銃。弾はあと五発か。……ちっ、少ねぇな」
「……それって……武器ですか……!武器を持つ危ない受け……!萌える!」
「この状況で萌えるな」
クララは資料ノートを読み返しながら、真剣な顔で付け足した。
「それに、騎士団が動くってことは……教会の中でも強硬派が指揮を握ってるはずです。 つまりこれは、“聖女の座を空白にしたくない勢力”が暴走している可能性が高いです」
「それがどう繋がる」
「つまり、私が“死んだ”ことにすれば、全てが丸く収まる。次の聖女を立てやすくなる」
「……だから、お前を消しにきたってワケか」
「ええ。たぶん、私の生存は公にはできない」
「なら――本格的に、身を隠すしかねぇな」
「はい。クレーディア峡谷の村は、小さいけれど、巡礼地でもあって、表向きの監視は薄いです。そこにしばらく身を寄せましょう」
蓮は目を細めて、クララを見た。
「お前、ほんとに“元・聖女”か?やたら頼りになるじゃねぇか」
「“元・聖女”っていうより、“現・腐女子”ですから。妄想力だけはあります!」
「やっぱお前、役に立たねぇな」
二人は笑った――ほんの一瞬、逃避行の緊張を忘れて。
――クラリッサ・ミルディナ。
その名は、いまだ“聖女”として、神の名のもとに指名手配されている。
そして、彼女と共にある“白い服の男”の存在もまた、教会にとって新たな火種となりつつあった――。




