第十一話 ネズミ退治
夜が、ようやく明けた。
ねこしっぽ亭の裏通りに朝靄が流れ込む。鳥の声が遠くから聞こえてきた頃、クララはゆっくりと目を覚ました。
「あぁ……良い朝……おはようございます、レンさ――」
寝ぼけ眼で顔を上げたクララは、窓辺に座っていた蓮の顔色を見て、ぴたりと止まった。
「……寝てないんですか?」
「まぁな。寝ようとしたら、ネズミが出てきてな」
「えっ、ネズミ!?ど、どこにですか!?ベッドの中!?」
「もう追い出した」
「あぁ……ありがとうございますぅ……命の恩人ですぅ……!」
クララはクララで、勘違いしたまま感謝の眼差しを向けてくる。
(まぁ、ネズミみてぇな暗殺者って意味では間違ってねぇ)
蓮は肩をすくめて、ベッドの縁に腰を下ろす。
「早めにこの町、出た方がいいな」
「……え?」
「長居は無用だ。ネズミ共が蠢いてる。夜中、俺に“噛みつこうとした”やつがいた」
クララの顔から一気に血の気が引いた。
「……来たんですね、聖教会から」
「お前、心当たりあるのか」
「はい……。聖女は“神のお告げ”を受けるのが使命です。でも、わたしにはずっと何の声も届かなかった。だから、教会の中では“偽物”だってささやかれてました」
その声は、ひどく淡々としていた。
まるで感情を捨てたように。
「最初は、信じてもらえないだけで済んでたんです。でも“次の聖女のお告げ”も来ないまま時間が過ぎて……不安と怒りが広がって……」
「それで、全部お前のせいにしたってワケか。くだらねぇ話だな」
クララは小さく微笑んだ。
「でも……そんな世界から、今は解放されたんですよね。レン様が、守ってくれたから」
「……勝手に重くすんな」
そう言いながらも、蓮の声に刺々しさはなかった。
クララはベッドの縁に腰掛け、資料ノートを取り出してぺらぺらとページをめくりながら言った。
「じゃあ、どこに行きましょうか。あ、そうだ。地図によれば、この先に“クレーディア峡谷”って小さな村があるらしいですよ!」
「……なんでお前、そんな情報持ってんだよ」
「調べてたんです、もしも追放されたときのために。あと、“受けが絶望して辿り着く隠れ里”って設定を思いついて……」
「そっちかよ」
蓮は額を押さえた。疲労と、あまりにブレないクララの思考に。
けれど、そのとき――
階下から、誰かが階段を駆け上がる音がした。
「……?」
扉がノックされる。
「お客さまッ!今すぐ町を出たほうが……!!さっき宿の前に、教会の紋章をつけた騎士団が現れて……!」
蓮とクララは顔を見合わせた。
「……連中、まだ諦めちゃいねぇってことか」
「レン様……行きましょう。今度は、正面から逃げるんじゃなくて、自分の足で進むために!」
「“逃げる”には変わりねぇけどな」
それでも、蓮は立ち上がった。
クララは資料ノートを胸に抱きしめながら、力強くうなずいた。
その朝、蓮とクララは静かに“追われる側”となった。
それは、かつての“聖女”と“極道”による、異世界逃避行の始まりだった。




