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六話 錬成

(実験の基本は条件を揃える事。……だけど冒険もしてみたくなるもの)


 カウンター裏へ戻ってきた私はコーヒー豆の並んだ棚を見ていた。

 飲んだ事あるのは一種類のみ。棚にはまだ五種類の豆がある。

 煎りの深さが違うものもあれば、よく見れば平豆や丸豆もある。元の持ち主はよっぽどこだわりがあるのだろう。


(端から順番にいくか)


 今まで飲んでいたやつの一つ隣の瓶を取る。濃い茶色をした中深煎りの豆。

 瓶を開けるとフルーツ的な酸味のある香りが広がる。

 コーヒーでいう酸味とは、コーヒーチェリーの酸味と同じである。


(いい香り。コーヴァの果実を見たことはないけど、前世と変わらずチェリー系の果実の形をしているんじゃないだろうか)


 豆を取り出し挽いていく。その途中目についたのが、私が作った? 台形ドリッパーだ。


(ペーパーさえあれば使えるのよね……。よし)


 豆を挽き終えてミルを置く。


「ユリウス様、さっそくお願いが」

「ああ、なんでも言ってくれ」

「私の魔法、錬成術を使用します。指南していただけると」

「錬成術か。私の分野ではないが支える分には問題ないだろう」


 その言葉を聞いて、目を閉じ、集中する。紙を出力なんて不思議なかんじだが、昨日の感覚的に出来るはず。

 紙、紙……。折り目があるくらいで特別な事はない、はず。

 目を開ける。


「また出来た……」

「特に私が出張る必要もなく、安定していたな。才能があるんじゃないか?」


 優しく微笑んでくれるユリウス様。私だけの力ではないが、褒められるとむず痒い。

 そうだ、と思い出し再び目を閉じ集中する。感覚を忘れていない今なら少し複雑なものも出来るはず。

 なによりユリウス様が見守って下さっている。恐れず挑戦するなら今だ。


「これで……どうだ……!」


 目を開けるとそこにはサーバーが出来ていた。ガラス製の容器にプラスチック製の取っ手。かつて使っていたものと同じだ。


 ドリッパーにサーバーが出来た。最低限これだけあればかつての味は再現出来る。


「これは?」

「はい。コーヒーサーバーといって、作ったコーヒーを一時的に入れておく容器です」

「ほう。コーヒー版のティーポットみたいなものか」


 その例えでいいのだろうかと逡巡したが、概ね似たものか。左様で、と言っておく。


 さて、準備が出来た。環境、道具も揃っている。やってみよう。

 サーバーにドリッパーをセット。フィルターをはめたら中に粉を入れる。ドリッパーを持ってトントンと叩くように粉を均していく。叩きすぎないように、やさしく。——そう、前世の記憶が手を導く。

 お湯の温度は高すぎてはだめ。別のケトルに注ぎ直して、適温に。

 やっと注湯にはいる。最初の一滴——。静かに、細く、全体に、粉と同量のお湯を。そうして蒸らしに入る。同時に立ち上るフルーツ感のある香り。少し心に余裕ができる。

 粉の反応を見る。激しい反応は無く、安定している。


(魔力の奔流にも似た……落ち着いた、でも確かな変化)


 お湯はすぐには抜けず全体に浸透していっている。蒸らしは30秒でいいだろう。

 30秒、感覚頼りだが、粉の表面がうっすら乾いたくらいで二投目を注ぐ。スケールが無いので総注湯量が見れないが、そこは感覚で何とかする。

 じきに一分だろうか。抽出量100gくらいだと仮定して、残り80gをスパッと落とす。少し早めに注いで総注湯量を220gくらいまで注ぐ。

 更に30秒でドリッパーをサーバーから外す。多分180gは落とせた。


(我ながらまあまあ、かな)


 落ちるのを待つ間に温めたカップに移す。自分用なので表面の気泡を取り除いたりはしない。お客様用なら綺麗に仕上げるが。

 ちらりとユリウス様の方をみる。凄く興味深そうに、少年のような目で見ていた。・・・・・・自分用と言わず二人分用意すれば良かったかも・・・・・・。でもこれの味も分からないし、立て続けに二杯出すのも人によってはよくないし・・・・・・。


「あの、自分用ですので・・・・・・」

「ああ、飲むんだろう?」

「気になる様でしたら後でいれますが・・・・・・」

「! い、いや大丈夫だ。まずは君の様子を観察してからにしよう」


 自分を省みたのか、少し恥ずかしそうに着席する。いつの間にか立っていたことすら気付いていないようだった。

 ・・・・・・改めて。


(いただきます)


 自分の淹れたコーヒーをいただく。まずは香りから。


(相変わらずフルーティー。でもモカの様な特徴的な香りでは無い。マイルドな感じだ)


 次に軽く口に含み、舌あたりと香りをチェックする。──それはスグに気が付いた。


(ゲイシャだ・・・・・・!)


 日本でも取り扱いが少なく、それ故高級品となっている品種、ゲイシャ。独特の酸味があり、香りは、ものによっては紅茶の様でもある。

 前の中米風な豆があり、今回はゲイシャときた。これが意味するところは・・・・・・。


(この世界にもコーヒーの品種という概念がある!)


 もし私に尻尾があったならすごく振っているだろう。内心の興奮が抑えきれない。

 コーヒーは場所によって、品種によって、方法によって、千差万別の味わいがある。それの探求と、お客様の好みに合わせた味に仕上げる。それこそバリスタの本懐。

 この世界でも目指せる。私が夢見たバリスタの姿に。


「・・・・・・そんなに美味なのか?」

「ええ! とっても!」


 答えてからハッとする。なんて子供みたいな事を、と。


「ああ、いい笑顔だ」

「えっ?」

「私が初めて訪ねた時も、今日出会ってからも、君はどこか緊張した顔をしていた。それに比べれば、今の顔の方がとてもいい」


 言葉の意味がじわじわと胸に染み込んでくる。思わず目を伏せた。

 照れくささに、指先でカップの縁をなぞってみるけれど、鼓動の早さは誤魔化せない。


「……嬉しいです。ユリウス様に、そんな風に言ってもらえるなんて」


 声が少しだけ震えてしまったのは、気づかれただろうか。けれど彼は、そのまま穏やかに微笑んでいた。


「緊張が解けたのは、きっとここが君にとって“安心できる場所”になったからだろうな」


 “安心できる場所”。

 それは、どこか遠い夢のような響きだった。前の世界では、そんな風に思える場所なんて……結局最後まで、なかった気がする。


「……はい。たぶん、そうだと思います」


 少しだけ俯いて、けれど心からの本音を返す。

 するとカウンター越しに伸ばされた手が、ぽん、と私の頭に触れた。


「えっ……」


 優しく、撫でるでもなく、ただそこに置かれるような掌。

 重たくはない。けれど、何よりもあたたかかった。


「これからは、ここが君の居場所になる。……いや、もう、なっているのかもしれないな」


 ――心臓が跳ねた。

 まるで、春先の小鳥のように。落ち着きかけた心がまた、新たな色を帯びていく。


 ユリウス様はすぐに手を離して、何事もなかったように席へ戻った。けれど、私の心はまだそこに、そっと置かれたままだった。


(……この店で、コーヒーを淹れながら、もっと“今”を重ねていけたらいいな)


 穏やかな心で自分と向き合っていた。そこへ――。


「自分では気づかないものだよな。私がそうだった」

「?」

「リノさんの魔力ですよ。今は、一級魔術師にも引けを取らない魔力量です」


 その一級魔術師というのがどれほどのものか分からないが、たぶんすごいのだろう。そして私はそんなすごい魔力がある、らしい。


「苦しくはないか? 眩暈がしたりとかは?」

「……いいえ、特には。飲んだコーヒーの温かさが胸に残っているようで」

「そうか。だが不調があればすぐに言うんだぞ。そのために私が見ているのだから」

「あ、ありがとうございます」


 まるで……じゃない。本物の騎士に、見守られているんだ。少しの恥ずかしさがよぎったが、次の勇気の一歩を踏み出すように声をかける。


「あのユリウス様。見守りついでに、質問とお願いが」

「なんだろう」

「魔力がたくさんある。ということは複雑な魔法も扱えたり、とはなりませんか?」

「ん……なにをするかにもよるが、あまり複雑なのは前提の知識が無ければ危険だ。さすがに止めさせてもらうが」

「これを機に作っておきたいコーヒー道具があるのです。……いけませんか?」


 ユリウス様は眉をひそめ、顎に手をおいた。一瞬深く考えたのちに答えた。


「危険そうだと判断したら止める。それでいいか?」

「……! はい!」


 ありがたい言葉に、胸がそっと弾む。——よし、ひとつずつ、作っていこう。


 …………。

 約二時間が経過。


「これが……出来れば……!」


 最後の一つ、それに取り掛かっていた。……が――。


「! いけない!」


 不意に力が抜けた足。倒れそうになるところをユリウス様が抱きかかえてくれた。失いかけた意識が一瞬で戻ってくる。整った顔立ち、でも鎧の下にある確かに鍛えられた筋肉によってがっしりと支えられていた。


「最後は魔力の消費がとても激しかった。何をつくろうとしていたんだ?」


 正直に彼に言っても理解されないだろうが、それでも嘘はつきたくなかったので正直に話す。


「……エスプレッソマシン」

「えす……それは、なんだ?」

「コーヒーの楽しみ方の一つで、ある意味、コーヒーの究極」

「コーヒーの、究極……」


 それを聞いたユリウス様が息を飲むのが分かった。究極、はだいぶ誇張した言い方だがある意味では間違っていないだろう。

 だが作れなかった。構造が複雑なものは流石に負担が大きいようだ。


「今日はもう、十分に魔法を使った。無理はやめておこう」

「はい……」


 悔しいがここまでのようだ。心に小さな焦りが生まれる。それは、今はどうしようもないものなのだが、それでも生まれるのだ。


「私もそろそろ戻らねばならない。いいか、今日はもう魔法をつかうんじゃないぞ」

「は、はい!」


 言葉に棘はないが、念を押されてしまった。今日は大人しくしていよう。

 ユリウス様はなんども振り返りながらも店を出て行った。そこまで心配されていたら裏切れない。今日はおとなしく眠るとしよう。


     *     *     *

 帰路。ユリウスは考える。


(コーヒーの究極。一体どんなものなんだ)

 

 そしてコーヒーという世界の深さ。その面白さを彼女から学んでいるのだと。

 腰の剣に手をやる。


(……この剣を手放すとき。次の人生を選ぶのなら、私は――)


―――――――――――――――――

お読みいただいてありがとうございます。

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