四話 魔術師、マーリン
マーリン。
その名を聞いた瞬間、胸の奥がぴたりと凪いで、そしてすぐにざわざわと波立ちはじめた。
あまりにも有名な名――伝説の魔術師。ローブ着て長いひげをなびかせてる超有名魔術師。絵本で見た、物語で読んだ、遠い異国の幻想。
まさか、そんな名前を名乗る人が目の前に現れるなんて。冗談……なの?
でも、あの瞳を見ていると、笑えない。白銀の髪に静かな瞳――幻想的で、どこか現実味がない。まるで、本当に物語から抜け出してきたみたいで。
「ん……。親しみやすいかと思ってこの名前を名乗ったんだけど、逆効果だったかな?」
私はそっと眉を寄せながら、視線をテーブルに落とす。
「……ちょっとだけ、びっくりしました。あまりにも、有名な名前だったから」
正直にそう告げてから、ほんの少し口元をゆるめる。
「でも……助けていただいたことには、感謝しています。本当に、ありがとうございます」
顔を上げ、まっすぐに彼を見る。その瞳の奥に、何があるのか探るように。
「ただ……やっぱり、その名前にはいろいろと……思うところもあって」
そこまで言って、言葉を濁した。
あからさまな疑いを向けるわけじゃないけれど、簡単に信じてしまうほど、私はまだ甘くない。
「……う~ん」
幻想の男・マーリンは眉を指で揉むような仕草をしながら何かをかんがえているようだった。私の警戒心が思ったように解けなかったのがイマイチだったのか。
と、彼が急に立ち上がる。
「私と会えた縁だ。二つ、好きな願いを叶えてあげよう」
「・・・・・・。?」
二つ願いを叶える? 素敵な響きだ。魔法使いらしい。でも、それより──。
(もっと胡散臭くなったな・・・・・・)
「・・・・・・おかしいな。ここは目をキラキラとさせて魔法に心躍らせるところだと思ったんだけど」
「ええと、いきなりでしたし。なおのこと怪しいかなって」
「ええ〜、そっかぁ。うーん」
また眉に指をやって考えるポーズ。怪しい。
怪しい、が。彼が彼なりにコミュニケーションを取ろうと努力しているのだろう、とは感じ取れた。
少しは、こちらからも歩み寄るべきかもしれない。
「あの・・・・・・」
「うん? 二つの願いを三つに、ってのはなしだよ」
「いやその前に。二つってキリが悪いというか。普通三つとかじゃないのかなって」
「ああ、それはね」
魔法使いマーリンは"らしく"どこからか身の丈ほどある大杖を取り出した。年季の入った木製で、装飾に赤い布とそれを留める綺麗な宝石たち。
その杖先が静かに私の胸を指す。
「一つは君を助けた、だよ。正確に答えるには魔力適正を与えた、かな」
「・・・・・・といいますと」
「今までは魔法の使い方が何ひとつ分からなかったと思うけど、これからは勉強すれば簡単な魔法くらいなら使えるようになった、って事」
そんな感じは少しもしないが・・・・・・。でも、魔力の暴走を魔法を使えるようにして、で対応するというのは何となく分かる。ダムが溢れないようにたまに放流する、みたいな。
「・・・・・・それで一つ分なんだ。ケチですね」
「命一つ分だと思ってむしろ感謝して欲しいな」
まあ実際そうなのだろうが、意識の無い人を助けて勝手に勘定にいれるってちょっとひどくないだろうか。
「それにね……」
その一瞬の後、さっきまで微笑んでいたはずのその目が、今は底の見えない深い闇を湛えていた――まるで、優しい魔法使いの仮面をようやく素顔に戻したかのように。
心臓がひとつ、胸の奥で跳ねた――自分の命が、相手の杖先に掴まれているような、そんな危うさが肌を撫でていく。
「——私だって、ただの優しい魔法使いではないんだよ?」
その目と声に、さっきまで灯っていた胸のあたたかさが消えた。
(……わかってる。そんなわけ、ないよね)
助けてくれて、食事まで用意してくれて、それでも——この人の奥底には、なにか得体の知れないものが潜んでいる。
その言葉が放たれた瞬間、空気がぴたりと凍りついた気がした。部屋の温度は変わっていないはずなのに、喉がひゅっとすぼまり、呼吸が浅くなる。
「二つしか願いが叶わないのは意味がある。まず一つ目は『失敗』するからだ。これは当たり前の事で恥ずべき事じゃない。普通の事。そして熟考し導き出した二つ目は『後悔』する。これも普通の事で誰もがたどる道。でも――後悔は、しんどいよ?」
(やっぱり、ただの人じゃない……)
理屈じゃない。声も、視線も、笑みさえも——すべてが怖い。
背中に氷の棘が突き立つような感覚。足元から這い上がってくるような不安。今すぐ立ち上がって逃げ出したいのに、身体が固まって動けない。
(でも……私は、この人に……助けられた)
逃げることも、信じることもできないまま、ただ向き合うしかなかった。
目を逸らせば、きっと二度と戻れなくなるような、そんな気がした。
(だから、逃げてはいけない……!)
きゅっと、体に緊張感を持たせる。ここは異世界で、目の前にいるのはたまたま日本語が通じるだけの異世界人なんだ、と。
「私の願い、は――」
考えろ。例え一つ目が『失敗』だと言われても、次につながるいい失敗があるはず。それを考え尽くすには、時間があまりに少ないけれど。
「……、コーヒーの器具を呼び出せる、みたいな。そんな魔法が欲しい、です」
「ほうほう。物体の召喚魔法ね。でもそれだとこの世界に無いものは呼び出せないよ」
「えっ……、じゃぁ、ええと……」
「コーヒーの器具が欲しいわけだ。——それじゃあこういうのはどうかな」
マーリンの杖先が光る。淡く、優しく光った後、光の水滴の様なものが現れて、何の抵抗もなく私の胸の中へ消えてへ行った。
「君に与えたのは――錬成術。想像を形にする力。もう使えるよ。試してみるかい?」
「あの、本当に何も分からないままなんですけど」
「とりあえずそのまま椅子に座って。テーブルの上に”欲しいものを想像するんだ”。出来るだけ具体的に。——あっ、最初だから簡単なもので、小さいものがいい」
そういうアドバイスを元に、思いついたのはドリッパー。
小さいし、構造も単純。仕事でなんども使ったからイメージの強さも申し分ない。
……なんとなく、目をつぶって。テーブルに両手をかざし、集中する。
「おお、いいね。ぽいぽい」
すごく適当なヤジが聞こえるが、これでいいってことなんだろう。そのまま集中する。
こういう何もない所に物を作りだすというのは、私の中では3Dプリンターみたいなのが浮かぶ。
構造物の下から順に、そういうものを練り上げていく感覚。
土台。カップやサーバーに引っかけるための円い縁。
その中央に三つの穴。そこへ流れるように五十度の角度をもった壁、その壁には流れやすく、下から出てくるガスの逃げ道をつくるよう凹凸を作る。
最後に取り扱いやすくするために取っ手をつけて――。
(これでいいはず……!)
ゆっくり目を開ける。テーブルの上にはドリッパーがぽつんと置かれていた。
「これを、私が?」
「そうだよ。手に取ってごらん。想像通りかな?」
言われた通り手に取る。それは紛れもなくかつて使っていたドリッパーで、驚くことに陶器で出来ていた。そこまで考えたつもりはなかったが無意識に素材を指定していたのかもしれない。
(私が……魔法で……?)
「……。その目を見るに、大成功、かな?」
「はい! 出来ました!」
思わず声が弾んでしまう。こんな風に、嬉しさで心が跳ねたのはいつぶりだろう。
その出来栄えもさることながら、なによりも――この世界で”魔法”が使えたということが嬉しかった。やっとこの世界の住人として、生きていけるような気がして。
「よかったよかった。——じゃあ二つ目の願いはどうしようか?」
と、言われ、一瞬だけ頭が真っ白になる。達成感で頭がいっぱいですぐに切り替えられなかった。
「えと、ちょっとだけ待ってもらっても……」
「ダーメ」
「コーヒー淹れますんで……」
「ダメだよ」
優しくニコニコと答えるが、その在り方は借金取りのようだった。
(なんでこの人、こんな時だけやたら子供っぽいの……!)
どうしよう。もう一つ魔法……だめだ思いつかない。
たくさんのお金とか。いや使い道が分からないんだった。
商売繁盛……は違う。私がやりたいのは商売じゃない。
「決まった?」
「ええと……」
待ってくれてはいる。でも確実にここで決めなければならない。そんな圧を感じる。
無難、万能。そんなものがいいのかもしれない。例えば、そう――。
「——健康な肉体、とか」
「ほう。悪くないんじゃないかな」
何事も体が資本というし、健康で丈夫な肉体があればこの先もやっていけるはず。
「それじゃ――はい。これで病気にも耐性をもった健康そのものの体になったはずだよ」
小さな魔法の光がふっと収まったとき、マーリンが軽く手を払うと、壁の前に大きな姿見が現れた。
「さあ。新しい君に、挨拶をしてみたら?」
からかうような笑みの裏に、どこか真剣な色が混じっている。
私は恐る恐る、鏡の前に立った。
そこに映っていたのは——見慣れたはずの、でも確かに“知らない自分”だった。
目元のくすみは消え、髪はつややかにまとまり、肌にはうっすらとした血色が差していた。
派手に美人になったわけじゃない。モデルのような顔立ちでもない。
でも、鏡の中の私には、忘れかけていた“元気な自分”が重なって見えた。大げさに聞こえるかもしれないが”若返った”様な感じがする。
頬にそっと触れる。
たったそれだけのことで、涙がつっとこぼれ落ちた。
「……なんで、こんなことで……」
うまく言葉が出てこない。
さっきまで、あんなに張り詰めていた心が、ふっとゆるんだ。
じんわりと胸の奥があたたかくなっていく。
長いこと忘れていた。
自分をちゃんと“きれいだ”と思えたことなんて、もう、どれくらい前だったろう。
「ありがとう……」
呟く声は、自分でも驚くほどかすれていたけれど、マーリンには届いたらしい。
彼はただ黙って、小さくうなずいた。
「それから――ちょっと失礼——これも。ただのおまけだよ」
彼は前髪を止めるヘアピンのようなものを差してくれた。それにももちろん宝石のような赤い輝きがあった。
それは私には部不相応なはずなのに、”今”の私には似合っている様で。
「受け取れません、こんなに……」
「ただのオマケだから。気にしないで」
マーリンは振り返って歩き出す。その先は出口だ。
「あの! もう行かれるのですか?」
「ああ。もともとただの流れ者、って話だったし、そろそろお暇しないとね」
そういって入口に手を掛ける。
「それじゃあね。また会えるかは分からないけど、君の道行に幸運があることを願っているよ」
そして、ふわりと。幻想の夢から覚めるように、静けさから日常に戻る様に。ゆっくりと、現実が帰ってきた。でも――。
「……」
鏡の前に立つ。そこにいたちょっと新しくなった私。
また新しい日々が幕をあけるのだと。すこし楽しくなった。
* * *
マーリンは店を出て、道沿いに歩いていた。
そこへすれ違う一人の騎士。
「おや。あのコーヒー屋はずいぶんと人気なようだ」
「……? 貴様、何を……」
「はは。独り言だよ」
そういって二人はすれ違っていった。
(あの気配、ただ者ではない。何者だ……?)
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