三話 第二の来訪者
「ううん……」
体が熱い・・・・・・。風邪っぽい・・・・・・。やっぱり水をそのまま飲んだのがダメだったか・・・・・・。だとするとしばらくはこの苦しみを抱えていかなければならない・・・・・・。辛い・・・・・・。
と、なるかと思いきや。
(なんとも、ない?)
ぼやけた思考がまとまっていく。今の私は瞼を閉じ、ベッドのような柔らかい床と、布団の様な暖かなふわふわにつつまれている。
ゆっくりと目をあける。
磨き抜かれた木の梁が、優雅な曲線を描いて頭上に伸びている。陽の光は、窓辺にかけられたレースのカーテン越しに、ふんわりとした柔らかな光として差し込んでいた。その光は淡く揺れる緑の葉影を映し出し、まるで森の精霊たちが踊っているかのようだ。
(ここは……二階?)
身を起こして辺りを見回すと、窓際にはアンティーク調の小さなテーブルと椅子が二脚。どこか古風でありながらも愛らしさを感じさせるデザインで、脚には繊細な彫刻が施されている。テーブルの上には小さな花瓶が置かれ、そこには名前も知らない紫色の可憐な花が一輪。
ベッドに触れると、ふかふかとした感触が指先に伝わってくる。厚みのある羽毛布団と繊細な刺繍が施されたリネンは、どこか懐かしさと温もりを感じさせた。枕元には編み目の細かなレースで覆われた小さなランプ。点灯していないが、そのまるで星のような光を放つガラスの細工が美しい。
(こんなに素敵な場所、私がいたあのギルド宿舎とは大違い……)
さらに視線を巡らせると、壁際には木製の書棚があり、整然と並んだ本たちが静かに佇んでいる。タイトルは見えないが、革張りの背表紙が古き良き時代を彷彿とさせた。棚の一角には、ほこり一つない銀のティーセットが鎮座しており、光を反射してほのかに輝いている。
(手入れが行き届いている。ついさっきまで誰かがいたかのよう)
優しい温もりに名残惜しさを抱えながらベッドから降りる。やや残るまどろみと一緒に二階を見て回りたいところだが――。
――カタン。
一階から微かな音がした。
(……誰か、いる?)
胸の奥が小さくきゅっと縮こまる。けれど、それと同時に、心のどこかが申し訳なさでじんわりと温かくなる。誰かが……きっと私をこのベッドに運んでくれたのだ。熱に倒れた私を、見捨てずに。
(もしかして……ユリウス様?)
確かめるように、階段の方へとそっと歩み寄る。床板が軋まないように気をつけながら、手すりにそっと手を添えた。木の手すりはしっとりと冷たく、どこか懐かしい家の匂いがする。
階段の下から差し込む、柔らかな陽の光。その中に、影がひとつ揺れている。
(……行かなきゃ)
不安と、感謝と、少しの勇気を抱いて。私は小さく息を吸い込み、ゆっくりと階段を降り始めた。
(まず何から言えばいいのか)
多分その人は倒れた私を二階まで連れて行き、ベッドへ寝かせてくれた。であれば感謝を告げるのは当然だ。……しかし。
ユリウス様。
彼がそうしてくれたのだとして、彼には、なんと声をかければいいのだろう。
感謝はある。でも最初のお客さんで、お金まで貰って。あげく助けてもらって。
階段は数少ない。じきに顔を合わせることになる。第一声は、ええと……。
(もう! 顔が熱い!)
思わず頬を両手で押さえてしまう。こんな反応、誰かに見られていたら恥ずかしすぎる。
(ダメダメ、落ち着かなきゃ……!)
心臓の鼓動を手のひらで感じながら、そっと目を閉じて深呼吸する。
心を落ち着けて。極めて、極めて冷静に一階に降り立つ。気配はキッチンの方からした。
「……え?」
「~~♪」
そこにいたのは見たこともない人だった。絹だろうか、美しい輝きを持つ白い服装。その身なりは騎士や冒険者とは違う、かといって普通の人かと言われたらそれは断じて違う。私の頭を振り絞って言うなれば……魔法使い?
本当に銀のようなきれいな髪も相まって、どこか幻想的な雰囲気を持つ彼? はエプロンをつけてフライパンと楽しそうに向かい合っていた。
「——おや」
その男がこちらを向く。その視線はなんてことない普通のもののはずだが、なぜか背中にぞっとする感覚を覚えた。
「……っ」
一階にいるのがユリウス様だとは限らなかったはずだ。それに、だとしてもこの人が私を助けてくれたのは事実だろう。だからまず、感謝を告げなければならない、のだが。
何故か、体がすんなりいう事をきかなかった。
「もう少し、どこか腰かけて待っててよ。朝ご飯を作っているんだ」
優しい声だった。今は、多分ベーコンか何かを焼いてるのだろう。香ばしい匂いと心地よい油跳ねの音がする。
私はただ、黙って席に着いた。
ユリウス様ではなかった。……当然か。なにか忘れ物でもしなければすぐに戻ってくるようなことはない。
なら、と思いつくのは――
(ここの店主。本来の持ち主)
……と思うのだが。だとしたら違和感が一つある。
「お待たせ。ベーコンと卵のサンドウィッチだけど、食べられないとかあった?」
「いえ……。いただきます」
出てきたのはしっかりと焼かれたベーコンとその油を吸わせたスクランブルエッグが挟まっただけのシンプルなサンドウィッチだ。用意しておいてもらって難癖つけるのもなんだが、出来ればパンの部分もトーストしてほしかった。
(はむ……。カリカリベーコンだ)
そして少し強めにコショウの味付けがされており、喉に刺激がくる。となると、飲みたくなるものだ。
もし。この相手がここの店主なのだとしたら、食事に合うコーヒーも用意するはずだ。私ならそうするからだ。
(これに合わせるならマンデリンかなぁ)
なんて、考えながら。
「ごちそうさまでした」
「はい。お粗末様でした」
サンドイッチを食べきった。ギルドにいたころの食事も味の薄かったのを思えば、久しぶりにまともな食事をした気がする。
しっかり火の通った食事は、私の胸をしっかりと温めてくれた気がした。
一息ついた頃に話を切り出す。
「あの」
「ああ。昨日、ここで倒れていた君を助けたのは私で間違いないよ」
すらすらと答える不思議な男。助けた……。ということは私は悪い状態だった?
「魔法適正のない君が魔力増強効果のある”コーヴァ”を口にしたことでちょっとした暴走状態になっていたんだ。死なないまでも、苦しかっただろうね」
そういえば、ユリウス様も口にしていたような。魔力がどうの、って。
ユリウス様も同じように苦しまれている可能性が――。
「魔法がある程度使える人間には、疲労回復くらいにしか感じないんじゃないかな。誰かの心配をしているようなら大丈夫だと思うよ」
……またしても心を読むように先に話してくる。そろそろハッキリさせておくべき事を聞いておくべきなんじゃないだろうか。
私は、喉の奥に小さな棘のようなものを感じながら、意を決して口を開いた。
「……あなたは、何者なんですか?」
「私? 私は……、そうだなぁ……」
何やら考えを巡らせる仕草をしながら――いや。
あれは”嘘をつく動作だ”。
「私は――マーリン。通りすがりの魔法使いさ」
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