二話
深まる夜。
この森へ来て感じた感覚は正解だったようで、動物の気配どころか虫の気配もない。
そんな夜。私のところにはとある試練がやってきていた……——。
「お腹すいた……」
ギルドから追放されてからここへ来て、初めてのお客さんであるユリウス様に一杯点てて……。それしかしていなかった。
そして後になって気づいた。ユリウス様が去ったあとのテーブルには、金属製の円いもの……。おそらくこの世界貨幣と思われるものがさりげなく置かれていた。
そもそも営業という体を成していないこんなところに、お金を落としていくなんて。受け取るわけにはいかない。
(思えば、自分でも味が分からないのに提供なんて、なんてこと……)
などと反省があったので……。
「飲むか、自分のを」
ギルドから追放された時に持たされたものに水と硬いパンがある。
この硬く、若干の香ばしさが感じられるパンには、あの時と同じ深煎りの豆が合うだろう。
というわけで淹れる準備をする。……が確かめたいことも色々ある。
ギルドで働いている時、炊事を手伝ったりもした。
そのときは気に留めなかったが、この世界の水は日本と同じように扱えるらしい。
この世界の水、というより蛇口の水はそのまま飲める可能性があるということ。
(お腹壊すかな……でも、ここに来てからは意外と丈夫だし、大丈夫……かな?)
ちょっとした恐怖はあったがそれよりも探求心が勝った。
シンクの蛇口を開け、少し水を出した後、カップに半分くらい水を入れ――。
(いざ――!)
ぐいっと。一気に口に含んだ。職業柄か、飲み物は口で転がしてしまう。
変な臭みや味はしない。それどころかむしろ……。
(軟水?)
水質は日本と似ているのかな、なんて思いながら飲み込んだ。
軟水であるならコーヒーとは相性がいい。このまま蛇口の水を使おうか。
そうして……。
(やっぱりなんでも揃ってる)
改めてシンク回りを見る。最低、いや丁度、十分な道具が揃っていた。
驚くべきは楕円形をしたつるっとした物体。濡らすとぬるぬるする。
(洗剤だ……!)
決して異世界の文明レベルを馬鹿にしているわけではないが、界面活性剤を作るのは難しかったりする。ギルドの炊事場に無かったことを思えばやはりここはすごいところなのかもしれない。
これでカップ等は洗える。すごくありがたい。
一方でコーヒー道具類。ネルなどは洗剤を使うと匂いが付いたりするので、こっちは水洗いのみ。
前に使ったコーヒー粉は三角コーナーの目の粗い布袋に移す。
(揃ってるって便利だなぁ……やっぱり前の人が使っていたんだろうけど)
なんて思いながら洗い物をしていたらすぐ終わった。
さて……。
(淹れますか)
可能な限り昨日と同じ手順で淹れる。同じ味を再現するためだ。
そのくらい、腕が覚えている。……なんて言えたらいいが、さすがに量りなしでは完璧にとはいかない。
(出来た……。ちょっと香りが立ってる、かも?)
温度が高かったか、ネルが一度使ってなじんだか。
前より質がいいものが出来上がったかもしれない。
だがそれはネルの強みでもある。使い込むと”味”が出てくる。
では……、コーヒーとパンが用意できたので――。
「い、いただきます」
パンをちぎって食べようとしたが、あまりにも硬すぎてびくともしなかったのでそのままかぶりつくことにした。
……。硬い。この硬さ、聞いたことでしかないが、西洋の戦時中の保存食としてのパンみたいなものではないだろうか。
なんとか齧れたのはいいがそのあとは口がパサつく。もそもそしていて、全然おいしくない。でも――。
(ここでコーヒーを一口!)
コーヒーを口へ含む。もそもそしたパンが口の中でほぐれる。その瞬間、香ばしい苦味が舌を撫で、鼻に抜ける芳香が心を落ち着ける。
——ふと、懐かしさが胸を満たした。
(ああ、やっぱりコーヒーは……)
焦げ茶色の液体が、長い時を超えて自分を慰めてくれるような気がした。
不思議な安堵感が、心の奥にじんわりと広がっていく。
……と、同時にコーヒーの味を確認する。
ダークチョコ。強めのアロマ。舌の中心にしっかりした苦み。舌奥に長い余韻の残るコク。
「——ふぅ」
甘い鼻抜け。やや舌奥にコク。全体的にまろやか、といった感じ。
(この甘さは独特なものがある。コスタリカあたりがこの味に近いかもしれない。だが深煎りであることを鑑みるとタンザニアでも似た味が出せるだろうか。中米あたりの特徴が出ている、ように思えた。でもこのコク感はケニア辺りの特徴も感じられる。しかしケニアと決めるには特徴的なフルーツ感がない。ケニアを深煎りにしたならもっと角が立つ苦みが出るはず。いや、元を考えればこの瓶に入っているのがシングルオリジンであるとも限らない。ブレンドされているならこの不可思議な味わいにも説明がつく。ブレンドしたとするなら中米にモカを合わせて焙煎は混ぜてから一緒に行った感じだろうか。欠点豆のない粒が揃った豆たちを見るに全て手作業でそろえられた可能性がある。もしそうならここの店主のコーヒー……じゃなくてコーヴァ? に対する情熱はすさまじいものだ。不思議な味わいではある。でも美味しいという型は外れていない、計算された味わいだ。あの騎士様が言っていた様に、コーヴァが未開拓な存在だと言うのにこれだけの完成度を出せる元店主とは一体──)
——ハッ!
……コーヒーが無くなってしまった。色々考えていたら、つい。
パンだけが残った。しかしこれだけ食べるのは正直苦痛……。
(二杯目を淹れれば良いのでは?)
なんて閃いてしまったので、早速準備に取り掛かる――。
「……?」
……なんだろう。体が、ちょっと熱っぽいような。
気のせいだろうと思うおう、そうしたが体の熱はどんどん上がっていく。
ついには床に伏すほどに。
(これ、まずい、かも……)
揺れる意識の中、大きな波に意識がさらわれ――。
そこで、私の意識は途絶えた。
* * *
一方、王国の騎士宿舎前……。
「おかえりなさい! ユリウス副団長! 今日は帰りが遅く……——」
「ああ。途中で雨に降られてな。雨宿りをしていた。……どうした?」
出迎えた部下は何かをぼーっと見ている様だった。
「副団長。差し支えなければ――なにがありました?」
「ん? これといって得には……、いや――」
ユリウスは空を見た。今は無い雨雲を思い出していた。
「不思議な茶館に立ち寄って、な。興味深いところだよ。今度いってみるといい」
「いえ、その、なんと申しますか。副団長——お気づきでは、ないのですか?」
「なんだ。何の話をしている?」
困惑するユリウスに対し、部下は宿舎内へ入る様に誘導。
その先にあったのは姿見。他の騎士たちも身なりを整えたりするのにつかうものだ。
そこに映るのは自分の姿……——。
「……これは」
鏡に映る自分の姿……の周りに立ち上る”魔力”の奔流。
それは本来自分が持ち得る魔力の二倍相当に見える。
「——まさか。あの茶館の飲み物が……!」
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