第二章 アップルパイは恋の味 ⑤
「え、佐野ちゃんと柳さんがいたんですか? うわー、気まずそう」
放課後、逃げ回っている飯泉を捕まえるため学校中を彷徨っていたら、三階の廊下で雨宮とばったり遭遇した。事の経緯を話すと、雨宮は目を爛々と輝かせ、何やら楽しそうな顔をした。
「なんで? なんかあんの?」
「二人とも、鷹野先輩の彼女ですよ」
「まじかよ」
俺はさっき目にした、よそよそしい距離感で座る二人を思い浮かべた。鷹野のやつ、本当に見境がないんだな。
「まあ、もう別れてるかもしれないけど」
雨宮は換気のため開けられていた窓枠に両腕を置き、ノスタルジックな色合いに落ち着いていく外の景色を眺めていた。校舎の周りをランニングしている運動部の掛け声が聞こえてくる。
「じゃあやっぱりあの二人のどっちかが犯人だな」
「根拠はあるんですか?」
「まずさ、保健室に置きっぱなしになってたアップルパイを全部食べるって、普通に変だろ? 誰が持ってきたものかも分からないのに」
「まあ、たしかに」
「犯人は嫌がらせでそうしたんじゃないかと思う」
「南雲先生をそこまで嫌う人なんています?」
「バカ、そんなやついるわけないだろ。いたら俺がぶっ殺してやる」
雨宮が呆れた顔で、「じゃあ誰に対する嫌がらせですか?」と半ば投げやりに訊いてきた。
「MDを取りに保健室に戻った後、俺たちは誰を真っ先に疑った?」
「あ、鷹野先輩……?」
俺は確信を持って頷く。
「たぶん、あいつがやったと見せかけようとしたんだろう」
「たしかに恨みは相当買ってるだろうけど……でも、それならその二人以外の可能性も十分あるんじゃないですか?」
「鷹野が今付き合ってるやつって他にもいるのか?」
「いや、私が知る限りでは、今はその二人だけのはずです。だけど元カノがやったのかもしれないし、もしくは鷹野先輩に嫉妬した男子とか……」
「ありえなくはないけど、そもそもなんで犯人は鷹野が保健室で寝てることを知ってたか、だ」
雨宮は腕を組んでしばらく考え込んだ。その間に、俺も頭の中で思考をまとめる。
「たまたま見かけて後を付けたということは?」
「そうだとしても、鷹野がベッドで寝るとまでは予想できないだろ」
「じゃあ、犯人は最初から嫌がらせ目的で保健室に入ったってことですか?」
「しかも、鷹野が保健室で一人寝ていることを知った上で、な。そんなの、本人から聞かない限り知りようがない」
「そっか。鷹野先輩がどっちかの彼女にメッセージを送ったんですね」
「たぶん。もともと鷹野の奔放な性格にうんざりしていた彼女は、憂さ晴らしに南雲先生の貴重な手作りアップルパイを食べやがったんだ。それで、ちゃんと鷹野が犯人にされたかどうか確認するために、授業を抜け出して保健室に行ったんだろう」
「……それはどうでしょう」
俺が名推理を披露して気持ち良くなっていたところに、雨宮が水を差す。俺はちょっとムッとしながら「なんだよ?」と訊ねた。
「そんな憎しみ100%じゃないと思います。たとえ犯人の目論見通り、鷹野先輩が濡れ衣を着せられて怒られたとしても、鷹野先輩自身は犯人が誰か分かるわけじゃないですか? 本当にただの嫌がらせなら、誰がやったのか分からないようにもっと上手くやると思うんですよ」
「そんなの、ただ衝動的にやっただけだろ?」
「それはそうでしょうけど、だから後々不安になって、保健室に行ったんじゃないですか?」
「不安って何が?」
雨宮はちらりとこちらを一瞥してから、壁に背を預けて天井を仰いだ。どこかの教室から、低い金管楽器の音が響いている。
「鷹野先輩が責められてしまうこととか、自分が鷹野先輩から嫌われてしまうかもしれないこととか」
その心理は、俺には到底理解できなかった。そんな風に不安に思うくらいなら、初めからやらなきゃいいのに。
「そういうもんなの?」
「そういうもんなんです」
したり顔で答える雨宮は、ムカつくけど少し頼もしく思えた。
「でも、どっちが犯人なんですかね? 他に何か手がかりがあればいいんですけど」
「そうだなぁ」
俺たちはそのまま廊下の壁にもたれかかって、しばらくぼんやりと考えていた。たまに前を通りがかる生徒が訝しげにこちらを見てきたが、俺だけじゃなく雨宮も気にしてないみたいだった。
「そもそも二人は、どんな理由で保健室にいたんでしょうか?」
「えーっと、佐野は腹にカイロを当ててたな。柳の方はなんかずっと鼻かんでた」
「それだと、どっちも仮病の可能性はありますよね」
「たしかに、下痢も鼻風邪も誤魔化しようがあるもんな」
なぜか雨宮は、信じられないとでも言いたげな目を向けてくる。意味分からん。
俺は雨宮のしつこい視線を無視して、再度二人の様子を思い出した。
窓際に置かれたソファの、正面から見て左側に佐野が座っていた。豪快に足を組んでふんぞり返っていたから、とても病人とは思えなかった。その点、柳はソファの右側ギリギリに浅く座っていて、色白なせいもあるかもしれないけど、体調が悪そうに見えなくもなかった。
佐野はソファの肘掛けに右手で頬杖をつき、左手でカイロを押さえていた。柳はただずっと鼻をかんでは、足元に置かれたアルミ製の蓋付きゴミ箱にティッシュを捨てていた。
「あ」
無意識に発した声は、ところどころ西日に染め上げられた廊下に大きく響いた。
「どうかしたんですか?」
「雨宮、保健室行くぞ」
俺が走り出すと、後ろから「ちょっともう、待ってください!」という声と、後を付いてくる小さな足音が聞こえた。