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第一章 襟に夕暮れ ①  

 開け放たれた窓を包み込むように、白いカーテンが大きく膨らむ。その隙間から差し込む柔らかな春の日差しが、南雲由梨先生の横顔を淡く照らしていた。

 俺の視線に気付き、南雲先生が小首を傾げる。いつもかけている丸眼鏡はけっこう度がきついらしく、大きな二重の瞳が今にも飛び出してきそうなくらい拡大されて映っている。

 保健室の中は、消毒液のにおいがいたるところに染みついていた。窓から廊下へと吹き抜ける風の中に、乾いた土と青葉のにおいを感じる。俺はそれらをまとめて肺いっぱいに吸い込むと、ずっと胸を焦がしていた思いと一緒に吐き出した。


「俺、南雲先生のことが好きです!」


 南雲先生の目が、さらに大きく見開かれた。ぶわっと風が強く吹き込んで、先生の癖のある長い茶髪をさらっていく。

 俺は音を立てて唾を飲み込み、じっと返事を待った。

 遠くで聞こえていた女子たちのはしゃぎ声が近付いてきて、離れていって、聞こえなくなる。それを待っていたかのように、南雲先生は息を吐いた。回転椅子が、キイ……と高い音を立てる。


「あのね、山際くん。気持ちはとてもありがたいんだけど――」

「俺、何年でも待てます! 五年でも十年でも!」

「いや、そうじゃなくて――」

「あ、でも先生がそんなに待てないですよね? じゃあ三年だけ! 俺が十八になったらどうですか?」

「うん、山際くん。とにかく落ち着いて。離れて椅子座って?」


 勢いあまって迫っていた俺はハッとして、すごすごと椅子に座り直した。南雲先生は微笑みを絶やすことなく、風に乱された髪を耳にかける。


「山際くん。先週も言ったし、なんなら君が一年生の時からずっと言ってるけど、私は君とお付き合いはできないよ。私は保健室の先生で、君は中学生。理由はそれだけで十分でしょ?」

「先生、今は多様性の時代ですよ。男が男を好きになっても問題ないのに、中学生が教師に恋することの何がいけないんですか?」

「私が同意してないからだよ。いくら多様性の時代でも、双方の合意がなきゃ恋愛は成立しないの」


 毎度のごとく、南雲先生は小さな子供に言い聞かせるような優しい口調で言った。

 でも、俺だってただ勢いに任せて告白したわけじゃない。南雲先生を説得するための策はすでに練ってある。


「例えばですけど、お互いの感情を足して100になったら恋愛が成立するとして」

「はあ……」

「先生が0だとしても、俺が100なら、もうそれはハッピーエンドなのでは⁉」


 俺の頭の中で大瀧詠一の『幸せな結末』が流れ出す。歌詞のどこを切り取っても、俺のことを歌っているとしか思えない。

 いつの間にかまた立ち上がっていた俺を、南雲先生が眩しそうに見上げる。

 これは、もしや勝ったのでは?


「山際くん。聞こえてなかったと思うけど、予鈴鳴ったからそろそろ教室戻ってね。三時間目の授業に遅れちゃうよ」

「あれ、えーっと……返事は?」

「そうだなぁ。別に私、ハッピーエンドは求めてないかな?」


 南雲先生は小さく肩をすくめて無邪気に笑う。その姿があまりにも可愛らしかったから、俺はもうそれだけで十分満足した。


「それじゃあ、昼休みにまた来ます」


 俺が保健室から出ようとした時、ちょうど制服姿の女子生徒が入ってきた。青白い顔をして、腹に手を当てている。相当ひどい下痢なのだろう。

 後ろ手に扉を閉め、自分のクラスへと向かう。昇降口から覗く景色は、ついこの前まで満開の桜で彩られていたのに、今ではもう瑞々しい青葉ばかりが主役を飾っていた。


「あれ、三組だっけ? 四組だっけ?」


 自分のクラスがハッキリと思い出せないけど、まあどうせ行けばすぐ分かる。俺は本鈴を聞きながら、誰もいない廊下を悠々と歩いた。


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