37. 神官長の本領発揮
なかなか重い話が緩和しない……
「公爵が毒を受けて意識不明!?」
「はい、王宮の騎士に襲われて傷つけられまして、どうやら刃に毒が塗ってあったようで……」
「公爵はどこですか!」
ファーヴニルの話をするために城に駆けつけた神官長は、状況を聞いて急いで公爵の下へと案内させる。
「私が来ました! 解毒をしますからどいてください!」
「神官長猊下! なぜここに……、いえ、いいところへ! お願いします!」
王宮から呼ばれた治癒術師がすぐに場を神官長に譲る。
「毒が……、見たこともない毒で、私では解毒できず……、どうか、どうか神官長猊下……!」
治癒術師の懇願に、神官長はコクリと頷く。
毒が回るのを恐れて、なるべく動かさないよう床に寝かされたままの公爵の手を取って、神官長はその手を額に当てる。
ぱぁ……っと公爵が光に包まれたと思うと、その光がすうっと消える。
「くっ……」
ひと声唸ると、神官長は再び公爵の手を額に当てる。今度もまた、光ったと思うとすぐに消えた。
「完全に解毒は出来ません……」
額に玉の汗を浮かべ、神官長はそっと公爵の手を下ろした。
「猊下……! お願いです……!」
シルヴァが跪いてすがるように祈る。胸に当てて結ばれたその手に神官長は自分の手を重ね、ニコっと笑う。
「……ですが命に別状がないところまでは解毒しました。あとは公爵閣下の回復力でなんとかなるでしょう」
「猊下……!!」
わっ、と場が沸き、シルヴァとレオンは安堵に力が抜け、床にへたっと腰を下ろした。
「……神官長……」
公爵がうっすらと目を開ける。
「気が付きましたか! 大丈夫ですか公爵、気分は悪くないですか? 痛いところは?」
「……エリクシーラを隠しているのはお前だな」
「お礼より先にそっちの話ですか!? 私、命の恩人ですよ!?」
その言葉を遮るように、ガン! と音を立てて尖った結界が神官長の肩を掠めて床に刺さる。
「ひぃっ!」
「エリクシーラを返せ」
「返します返します、そもそもその話をしに来たんですよ! っていうか安静にしてください! 無駄に結界撃たないで!」
「なら……、いい……」
ふぅ、と公爵は目を閉じる。
レオンが騎士に命じて、公爵をベッドまで運ばせた。
* * *
翌日の夜明け前。
公爵は、やっと目を覚ました。
徹夜で看病していた双子と神官長は、ほっと胸を撫で下ろした。
「国境の結界は私とシルヴァで分担してキープしておきますので、父上は一旦結界を解いて、ゆっくり休んでください」
ベッドサイドでレオンが言う。
「……まだお前たちに任せられるか」
「いやいや! 死にかけたんだよ父上! 無理しないで!」
「死んでいない」
「そうだけどさ!」
「私のおかげですよ」
神官長が口を挟む。
神官長は双子と反対側のベッドサイドで、公爵の手を取り容体を観察している。
公爵にじろりと睨まれて、軽く肩をすくめた。
「王太子殿下はどうした?」
「側近がすぐに連れ帰ってました、毒の血が散っている場所に居続けさせるわけにはいかないと」
「正しいな」
「王宮に隔離されているこの城の騎士や使用人がバタバタと意識を失ったらしいです。どうやら一気に洗脳が解かれたようです。アレイズはその混乱の隙に逃げだしたとか」
「そうか。……アレイズとミルキィベルはどうしている」
「ああ……」
レオンとシルヴァが目を合わせる。
「……ふたり、別々に、窓のない奥の部屋に閉じ込めてあります。部屋の内外に騎士数人を配置し、見張らせております」
「父上の容態いかんによって処罰が変わりますので」
「うむ……」
公爵は困ったように眉根を寄せる。
「……公爵のお命を助けたお礼に、ここへそのおふたりを呼んでいただくわけには行きませんか?」
再び神官長が口を挟んだ。
「私がいれば洗脳に対応できますから」
胸を張って言う神官長に、シルヴァが冷たい目を向ける。
「……ミルキィベルちゃんの洗脳を見過ごしてませんでした?」
「あっ……」
「たぶんこの城の主な使用人も洗脳されていたと思うが」
「あー……」
「騎士たちもねぇ……」
「あーはいはいはい、すみません、本当に気が付きませんでした、他に気にすることがあって!」
「他に気にすること?」
公爵が不審げに神官長を見る。
「ファーヴァが悪巧みをしている痕跡があちこちにあってですね、そっちを意識して、見つけるたびにこっそり浄化して歩いてたんです」
「ファーヴァが!? 悪巧み?」
レオンとシルヴァは驚いたが、公爵はさもありなんという顔をする。
「ええ。心が安定していると洗脳がかけにくいようで、この城のあちこちに、悪感情を誘発するような淀みが作られていたんです。『なんとなくイライラする』『なんか不愉快』程度のものですけどね。積み重なれば人間関係がギスギスしてきます。
それらをせっせと消したので、これでもこの城の洗脳は随分マシになってるはずなんですよ」
「なるほど……」
「ファーヴァは悪竜です。……そして、ファーヴァを王都に連れ込んだのは、リアムです」
これには、公爵すら一緒に驚いた。
* * *
ふたりと話をしたいならまず先に洗脳をなんとかしろ、と言われ、神官長は自らミルキィベルたちの元に足を運ぶ。
「私、偉いんですけどねぇ……」
などとブツブツ言いながらも、神官長は素直にシルヴァに付いてきた。
監禁されていた部屋から近くの応接室に連れてこられ、怯えていたミルキィベルとアレイズは、不意に訪れた神官長に、青ざめて身を固くした。
「違います違います、死刑前の懺悔を聞きに来たわけじゃありません」
誤解の内容をすぐに察して、慌てて神官長はバタバタと手を振る。
次いで、公爵の命に別状はない、と、まず伝えられ、ミルキィベルとアレイズは胸を撫で下ろした。
「それで、洗脳状態を確認させて欲しいのですが」
「あ、はい」
「メガネを外してもよろしいですか、レディ」
大げさな調子で丁寧に礼をした神官長に、ミルキィベルが大慌てで何度も頷く。
「だっ、大丈夫ですよ、あの、ほんとに気持ち悪くなんかありませんので!」
その慌てぶりに、あっはっは、と笑い声で答えた神官長は、グラスコードをしゃらりと鳴らしてメガネを外す。
そして、両手でミルキィベルの頬を挟んで、ぐっと顔を近づける。
「ひゃあ」
ミルキィベルが変な声を上げるのと、アレイズがふたりの間に割って入ろうとするのが同時だった。
だが、その動きは部屋を警備していた騎士に止められる。
「ん? どうしました?」
きょとんと自分を見た神官長に、アレイズは一瞬言葉を詰まらせたが、それでもちらっとミルキィベルを見ながら苦情を言う。
「ちっ……、近すぎです神官長猊下……」
「ああ! これは失礼、嫁入り前の妹さんが心配ですか」
「い……、妹では……」
「すみません、心の細部に至るまで洗脳の痕跡を消さねばなりませんので、少々我慢していただけると助かります。
……どうもこの洗脳は上手くてね、植え付けられた洗脳と自分の意思が、寄り添うように絡み合って少しずつ歪められているんです。よーく見ないと分かりにくいんですよ、すみませんね」
「……っ、すみませんでした、どうぞお続けください」
アレイズが身体の力を抜き、騎士に従って後ろに下がる。神官長は、真っ赤になって震えているミルキィベルに苦笑しながら、改めてその目を覗き込んだ。
「ミルキィベル殿はもうほぼ洗脳は解けてますね。スイートベリー家の危機回避能力は研究の余地がありますねえ。……さて。洗脳の残り滓も消しておきましたよ。魔法もこれで元通り使えるはずです」
「本当ですか! 良かったぁ、ファーヴァちゃんがいなくても魔法が使えるんだ……。ありがとうございます!」
喜ぶミルキィベルに軽く頷いてから、神官長はアレイズを振り返り、首を傾げる。
「アレイズ殿は……、うーん、今は混乱しているようなので、少し気持ちが落ち着いてからのほうが良いでしょう。少し気持ちをほぐして、まずは眠ってください」
「待ってください、私は、死罪に値する罪人です、どうか公爵閣下自ら断罪を」
「そこが混乱してると言ってるんですよ、どれがあなたの意思でどれが洗脳か、感情の動きが激しすぎて選り分けられません。いいから寝てください」
「しかし……」
躊躇うアレイズに、ミルキィベルが手を取って言う。
「……いいから寝てください、アレイズ様。どんな処罰が下ろうとも、私も一緒にいますから……!」
「ダメだよミルキィ! 君はオレのことなんか忘れて幸せになって……!」
「そんな事言わないでください!」
「でもミルキィ、これは死罪でもおかしくない罪なんだ……」
「いやです、アレイズ様……!」
「……なんですこれ?」
「なんだか、洗脳が解けたら実はふたりは恋人同士だった、みたいな話です」
「あー……、ファーヴァがそんなようなこと言ってましたね……、恋心を家族愛にすり替えたとかなんとか……」
「なるほど……」
「ないものをあるようにするのは難しいみたいです、あるものを別のものに少しずらすのがコツだって言ってましたよ、まったく面倒なことです」
「なるほどねえ……」
「本来の洗脳は、このアレイズ君や、先日の第二王子殿下のように、意志に反して異常な行動をとるようにするのが一般的なんですが。ファーヴァはそのあたり使い分けが上手いですねぇ」
神官長とシルヴァがコソコソと話している間にも、愁嘆場は続いている。
「ミルキィ、君の幸せのためなんだ」
「イヤです、アレイズ様が死んだら、わたしも死にます! でもわたしは死にたくないので、死なないでくださいアレイズ様!」
「ミルキィ……! でもオレは責任を……」
「はいはい、きりがないから寝てください」
パチン、と神官長が指を鳴らすと、ガクリとアレイズが崩れ落ちる。
「うわあアレイズ様!」
咄嗟に支えようとしたミルキィベルを巻き込んで、ふたりで床に倒れ込む。
「……シルヴァ様助けてぇ……」
「……はいはい」
アレイズに押し潰されて手だけパタパタさせたミルキィベルを、呆れたように笑いながらシルヴァが引っ張り出した。
* * *
「スイートベリー伯爵令嬢、まずは感謝を。私が毒に倒れたあとの対処は助かった」
「い……、いえ、うちの領地は豊かな分害獣や害虫も多くて……、毒ヘビや毒魔獣も出ますので……、習慣で、つい……、出しゃばってすみませんでした……」
公爵の寝ているベッドの傍ら、青ざめた顔でミルキィベルは頭を下げた。
両脇にはクレイ家騎士が付き、ミルキィベルの前で槍の柄を交差させている。
そんなに警戒しなくても、洗脳は解いたよ、危険はないよと神官長が何度言っても、騎士たちは頑として槍を引かなかった。
「いや問題はない、緊急時の対応を無礼に問うことはない」
「ありがとうございます……、あの……、公爵閣下、その傷について、大変申し訳ありませんでした、アレイズ・グリーングラス騎士に代わって謝罪申し上げます。……しょ……、処罰をするのならば、彼を招き入れるようお願いしたわたしも同罪です。どうか、わたしも同列に罰してくださいませ」
「うむ……」
震えながらもきっぱりと言うミルキィベルに、公爵は少し考え、枕に頭を乗せたまま軽く頷く。
「王宮騎士として王宮で処罰が決まるだろうから、何とも言えぬが……、できるだけ軽い処罰で済むよう王に進言しよう」
「あっ……、ありがとうございます!」
ミルキィベルは深々と頭を下げ、しばらくその頭を上げることはなかった。
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