30. 襲撃は突然に
ちょっと不穏さが増してきました
「……エリクシーラ様?」
ミルキィベルに睨まれて、エリクシーラはハッとする。
「あっ、いけない! すみません、『ヒロイン』はダメでしたわね」
慌てたようにエリクシーラは紅茶を一口飲み、その揺れた水面を見つめる。
「前のお勉強会で言われてましたのに、どうしてもいつの間にか戻っちゃいます……」
そうして、『前の勉強会』で連想したのか、ふと、
「あら、そういえば、殿下がたは今日いらっしゃらないのかしら」
と口にした。
「……王太子殿下と第三王子殿下は、なにか王家で問題が起こったらしく会議中だ」
公爵が答え、シルヴァが驚いて目を丸くする。
「えっ、父上行かなくていいんですか?」
「今日は休むと伝えてあったから良いんだ、むしろ結界を強化して城から出るなと言われている」
「それって……」
言いかけて、公爵の目配せで言葉を止める。
「大丈夫だ、ここは王宮から護衛騎士や警備兵が配備されている」
囁く公爵に、双子は立てかけてあった剣をそっと手元に引き寄せる。剣がカチャリと音を立てた。
その時、リアムが簡単な後片付けを済ませ、戻って来た。腕の中にはファーヴァがすっぽりと収まっている。
静かに戻ってきたリアムは場の雰囲気に一瞬目を丸くして、
「あれっ、なんですか? 深刻な感じですか?」
と小声でアレイズに聞く。
「はい、警戒をしてください」
とアレイズが囁き返し、リアムは軽く眉根を寄せたあと、小さく頷いてファーヴァを下ろす。
ファーヴァは、リアムにお肉か何かを貰ったらしく、満足げに口もとをペロペロしていたが、下ろされてすぐミルキィベルの膝の上に飛び乗って、にゃーん、とご飯もらったよ報告をする。
「あっ、ファーヴァちゃん、美味しー美味しーしてきたんですか、良かったですねー」
舌なめずりをしているファーヴァをニコニコ眺めながら、ミルキィベルが話しかける。にゃあん、とファーヴァが答え、場の雰囲気がふっと緩む。
思わず全員がふぅ、とため息をついた。
* * *
「……まあいい、続きを話せ」
重い雰囲気が払拭され、公爵が仕切り直すように言う。
「新しく追加されたのは、神官長ルートかな?」
シルヴァがエリクシーラに話を促す。
「はい、神官長ルートは、先ほどの王太子ルートにも関わるのですが、陰謀がありまして、神官長が教皇となろうとして魔王と契約し、この王国を乗っ取る計画を立てるお話です」
「無茶苦茶だな……」
公爵が顔をしかめる。
「教皇ということは、国王の上に立とうとしているということ?」
「そうですね、王権を上回る皇権が欲しいということですね」
シルヴァの問にエリクシーラが答える。
「……あの仕事嫌いの神官長が?」
「研究以外興味のない神官長が?」
「いや、でも好奇心を刺激されれば何でもする方だから、そこを上手く魔族につつかれたらわからんぞ」
ザワザワしている公爵家を気にせず、エリクシーラは話を続ける。
「それで、ミルキィベル様が聖女候補として神殿に入り、神官長様と親密度を上げて、改心させるストーリーですね。
……そしてわたくしは断罪されます」
「なぜだ!」
「なんで!?」
公爵家と共にミルキィベルが声を上げる。
「エリクシーラ様が断罪される要素なんてないじゃないですか! もう、なんなんですかこの一連のお話は! エリクシーラ様を排除するためのストーリーなんですか!!」
ミルキィベルのそのセリフに、皆がハッとする。
「……エリクシーラを排除する、それはクレイ公爵家を排除することだ」
「クレイ公爵家が排除されればこの国の結界は消える」
「つまり……?」
ゾッとした顔で公爵家の男たちが顔を見交わす。
「ニャッ? ニャッ?」
なぜかファーヴァまで不安げに鳴きだした。
「……王宮へ行ってくる」
パッと公爵が立ち上がり、温室の出口へ向かおうとする。
「私は神殿に行ってきます」
レオンも立ち上がる。
「ミルキィベルちゃん、エリィ、みんなが帰ってくるまで僕と一緒に本館の奥の方の部屋に籠もろう」
シルヴァがミルキィベルに手を伸ばす。
その時、突然ファーヴァが、キラッと目を光らせ、ニャーッ! と叫んでテーブルに飛び乗った。
「どっ、どうしたのファーヴァちゃん」
ミルキィベルがオロオロとファーヴァを宥めようとする。
次の瞬間、王宮からの転移装置の駆動音が響き、一拍の後、悲鳴が響き渡る。次いで、大勢が駆け回る音、使用人たちの悲鳴などの騒ぎが聞こえてきた。
「なんだ!?」
アレイズとリアムが剣に手をかけ、公爵は東屋を駆け下り、遊歩道に立つ。
レオンとシルヴァはミルキィベルとエリクシーラの後ろに立ち、周囲を警戒する。
その時、
「入れて! 命令だ!」
第三王子のシェインの声が遠くから響いてきた。
全員を東屋に残し、公爵だけが入り口に向かうと、遊歩道のカーブの先から、走ってくるシェインが姿を現した。
「殿下、何事ですか」
「……よかった、公爵! 行方不明だった小兄様が突然騎士団を連れて王宮に乱入してきて、転送装置でここへ!」
「……なんと?」
「小兄様は領地に向かう途中で行方不明になってた。同行していた騎士団ごと。
それについて各所と連絡を取り合いながら会議をしていたんだけど、そこに当の本人が突然乗り込んできて……」
シェインが焦りながら説明する。
「……たぶん、各所との連絡のために起動していた転移装置をどこかで無理やり乗っ取って、王宮まで転移してきたんだと思う。そして、王宮が混乱した隙にまた転移装置でここへ……。
ボクは魔獣の首輪の気配をたどってここまで来たんだ、小兄様は首輪のことを知らないからまだここに気づいていないと思う! ミルキィベル嬢とエリクシーラ様を逃がして!」
言い終わるか終わらないうちに、温室の入り口から大きい音がする。
驚いて振り向いたシェインの胸を、火の矢が貫いた。
「邪魔だ、どけ」
魔法の火の矢を放ったポーズのまま、カルル第二王子は勝ち誇ったように笑う。
「ちぃ……に……さま……なぜ……、ここ……」
「私は味方が多いんだ。この城の中にも手引きしてくれる使用人は山ほどいる。ここでの動向は手に取るように分かっているぞ」
「に……さま……、誰に……利用され……、ほんと、愚か……」
カルルに向き合って、シェインは嘲笑おうとする。その口から、ゴボッと血が吐き出された。
「シルヴァ!」
「はい!」
奥の植え込みの影、東屋の中で状況が見えていない一同だが、騒ぎは聞こえてきていた。公爵に名を呼ばれてすぐシルヴァが駆けつけ、シェインの傷を見るなりその傷口に保護結界を貼る。
公爵が前に出てカルルを牽制している後ろで、シルヴァはシェインの内部の傷を絹糸結界で探り、縫い止め、なんとか出血だけは止める。
保護結界は外から体内への空気の流入を止めつつ中から外へ空気を逃し、シェインが喘ぐたびに少しずつ呼吸を改善する。
だが、火の矢で焼かれ血で塞がれた部分は機能しない。僅かに楽になったとは言え、シェインは依然危険な状態のままだった。
「弟君を害するとは、どのようなおつもりですか」
公爵が渋い顔で言う。
「私の前にいるのが悪い、そいつが治しているから良いだろう」
ふん、と顎でシルヴァを指す。
「いや、僕に出来るのはここまでです。肺が傷ついてますから、このままでは危ないですよ」
シルヴァがシェインから目を上げてカルルを正面から見る。
「王族の身内殺し……、重罪になりますよ、かまいませんか、殿下?」
カルルは、ちっ、と舌打ちする。
「かまわんわけがあるか! 助けろ!」
「では神官を呼んでください」
「許さん」
「なにを……」
そこでカルルが、にやりと笑う。
「治癒魔法ならミルキィベルが居るだろう」
「殿下……!!」
シルヴァが驚愕に顔を歪ませる。
「あんなに彼女を苦しめておいて、まだ執着しているのですか……!」
「うるさいっ!! 聞いたぞ、あの断罪劇は、お前たちがミルキィベルを脅して無理やり言わせていたんだと! ここでも下女以下の酷い扱いを受けているとな!
可哀想に、ミルキィベル、今助けてやるからな」
カルルは狂信的に目を光らせている。
「いったい誰が殿下にそんなことを……?」
「うるさい、うるさいっ! ミルキィベル! 助けに来たよ! 出ておいで! ………ほら、早く出てこないとシェインが死ぬよ……?」
カルルは、あはははは、と愉快そうに笑った。
* * *
「どうしちゃったの殿下……?」
植え込みの向こうから聴こえてくる声に、ミルキィベルは怯えたようにファーヴァを抱きしめた。
東屋の真ん中で立ち尽くすミルキィベルを支えるようにエリクシーラが寄り添う。
その左右に護衛騎士のふたりが立ち、周囲を警戒しながら剣を抜いた。
「いくらなんでも様子がおかしいな……、何が起こっているんだ」
レオンが不審げに、様子を窺おうと数歩前に出る。
その時、植え込みの向こうで、ガンガンガンガン! という音とともに、公爵の板状結界が展開されるのが見えた。
同時に、
「騎士が行くぞ!」
と公爵が叫ぶ。
その声に反応して、レオンが、エリクシーラとミルキィベルのそばまで飛び下がる。
同時に、公爵の結界をすり抜けた騎士や兵士が数人、東屋周辺に駆け込んできた。
「……お前たちはこの城の警備隊か。一体何事だ」
レオンが騎士たちに問う。
「カルル様のご命令です。ミルキィベル嬢を迎えに来ました」
「剣を向けてか? 物騒なお迎えだな」
言いながらレオンが、ミルキィベルとエリクシーラを覆うように結界を張る。
……と。
「ギニャァァァ!」
ファーヴァが苦しそうに鳴き叫ぶ。
「しまった、結界の反発か……!」
レオンの強い結界のせいで、エリクシーラの結界が圧し潰され、ファーヴァが死にそうになっている。
レオンは慌てて結界を解いた。
「ケッ、ケフッ」
「ファーヴァちゃん、ファーヴァちゃん、大丈夫ですか?」
咳き込むファーヴァをミルキィベルが必死に撫でる。
「くそ、厄介だな」
レオンは言いながら剣を抜き、周囲に目をやって、不快げに顔を顰める。
植え込みのせいで死角が多い、東屋の柱で剣が振りにくい、段差で移動が制限される……。
囲まれた段階でこの場所は詰んでいる。
「失敗したな……。結界なしでここは戦いにくすぎる。繊細な結界が張れるシルヴァを取られたのが痛いな……」
思わずレオンがぼやく。
「ああっ、すみません! ほら、ファーヴァちゃん、ひとりで逃げなさい! ここにいるとご迷惑なの!」
ミルキィベルがなんとかファーヴァを引き離そうとしているが、ファーヴァはミルキィベルのドレスに爪を立てて嫌がっている。
「ファーヴァちゃん!」
「ギニャーッ!」
「そのままでいいよミルキィ。バタバタしないで落ち着いて」
アレイズがいつもと違う凛とした声で諌める。
ミルキィベルはギュッとファーヴァを抱き直すと、わかりました、と小さく頷いて真剣な顔になる。その肩を抱くようにして、エリクシーラも覚悟を決めた顔になった。
「バラ園へ降りて広さだけでも確保しますか?」
剣を構えたままリアムがレオンに問う。
「いや、流石に階段側へは降りられない」
答えながら、レオンは東屋へ上がってこようとする兵士に、剣を振って牽制をする。
「お前たち! 私に剣を向けるか! 命が惜しくないのだな!」
レオンが一喝すると、兵士たちの動きが一瞬止まる。
その兵士たちの間を抜けて、騎士がひとり、 一歩前へ出た。
「閣下、王家の命令です、剣をお収めください」
「王家? 第二王子の暴走だろう」
「いいえ、王家の命です。閣下といえど逆らうことは許されません」
「お前はこの城の警備隊長だろう、なぜ第二王子の命を聞いている」
「閣下、王家の命令です……」
レオンが不審げに眉を上げる。
「……お前たちも様子がおかしいのか、何が起こっているんだ……」
植え込みの向こうからは公爵が戦っている音が聞こえる。
抑えきれず抜けてくる者がいるのだろう、じわじわと数を増やす兵士たちを見下ろして、レオンはぐっと歯を食いしばった。
ここまでお読みいただいてありがとうございます!
胸に貼ったのはチェストシールという気胸をなんとかする応急処置。魔法でパって穴塞いでも余計な空気抜けなきゃ肺膨らまなくて困るもんね(困るというレベルじゃない)。
とか医学的なふりをしてるだけ。そんなに血吐くか? とかは言わないお約束。イケメンのいい感じのシーン書きたいだけなので(可哀想な子……)。
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