床の下に埋めた
男は、去年。恋人を殺して、自宅の床の下に埋めた。
見かけばかりは良い女であったが、その実、とんだ浮気者で、最後には男から金を巻き上げるだけ巻き上げ、あまつさえ捨てようとした悪女であった。
いつか床下のことがばれるのではないかと、彼女を埋めたその日から、男は怯えて暮らしていた。
それからほどなくして、男の部屋の隣に誰かが引っ越してきた。ひとしきり隣でドタバタと荷解きをする音が聞こえたかと思うと、男の部屋のインターフォンが鳴った。男がドアを開けると、ボロボロのコートを着た無精髭がニヤニヤと笑みを浮かべて立っていた。
「いや、騒がしくてすいませんね。これからお隣同士よろしくお願いします。ああ、これ引っ越しそばです」
無精髭は片足を玄関までずいっと入れると、男を押しのける勢いで紙袋を手渡した。そのぎょろぎょろとした瞳が何かを詮索しているようで男は気分が悪かった。
「お一人でお住まいで?」
「……ええ、まぁ、あまり見ないでください」
「失礼。いや、申し訳ない」
それでも退かない無精髭に、突き飛ばしてでもやろうかと。男が考えていると、パタパタと下履きで廊下を駆ける音がした。
「あなた。いつまで立ち話しているのよ?まだ荷を解くのが終わってないのよ」
「ああ、すまない。妻です……せっかちな奴でして」
無精髭は足を退き、ぽりぽりと頭を掻く。ドア閉める好機であったが、男にはそれができないでいた。無精髭の妻に目を奪われていたからだ。
心臓の鼓動の速さと、背中を濡らす冷や汗以外に、男の時間は止まっていた。
たった今、妻と紹介されたその女は。
自分が殺した女と瓜二つであったからだ。
無精髭の妻は、男を視界にとらえるとニッコリと微笑んだ。その左手に結婚指輪が光っている。
「初めまして、これからどうぞよろしくお願いします」
男は会釈だけして急いで扉を閉めた。
玄関でへたり込み、やっと息をする。
薄いドアを隔てて「へんなひとね」「そういうことをいうんじゃない」などと言う夫婦の会話が聞こえる。それもすぐに遠ざかり、バタンとすぐ隣のドアも閉まった。
男は這うようにして、女が埋まっている床下の上まで移動する。
ー他人だ。他人の空似である。そうでなければならない。この下にアイツは埋まっている。そのはずだ。
床に頬をつけ、男は息を整えた。
それから男の疑心暗鬼の日々が続いた。
隣人の妻は、自分の殺した女によく似ていた。目鼻立ちはもちろん体型や声までも、どこもかしこもそっくりなのだ。薄い壁から彼女の声が聞こえるたびに、男の心臓は跳ね上がった。
男は彼女について幾度となく考えた。自分が女を殺したのは幻で、隣人の妻はあの女ではないかと。自分は殺人犯なんかではなく善良なままなのではないかと。
男は彼女を見かけるたびに分からなくなっていった。自分が殺した女は、いつでも華美に着飾って、ギラギラとした目の女であった。しかし、彼女は質素で地味、柔和な表情を浮かべる人妻だ。彼女とは違う。やはり他人の空似なのだろうか。自分は女を殺した悪人なのだろうか。様々な考えが浮かんでは消えを繰り返した。
そしてついに考える事が嫌になった男は、床下を掘り返してみる事にした。深夜遅くに、男はせっせと土を掘り、ブルーシートの上に掬った土を乗せていった。
その作業は数時間に及んだ。埋めた時よりもずっと時間がかかり、焦燥感だけが男を支配していった。
ーカツン。
スコップの先が何か固いものにあたる。男は息を切らせたまま、その部分の土を丁寧に丁寧に払いのけていく。
そこにあったのは薄汚れた頭蓋骨だった。
男は息を整えるとそっとそれを抱きしめた。
「よかった。よかった……やっぱりお前はここにいたんだな……。お前は俺だけのものだ……お前は、俺の妻だ……。あんなやつの妻なんかじゃない……俺のだ。ずっとずっと……」
男の部屋のドアが乱暴に開く。
数人の警察官が怒号とともに、部屋に雪崩れ込んでくる。それでも男は見向きもせず、ただひたすらに髑髏を愛おしそうに撫でていた。
※
「それにしてもこんな古典的な手が通じるとはな……」
無精髭を撫でながら、探偵は感嘆のため息を吐いた。
「あの男が殺したことは分かってましたから」
「じゃあ、なんでこんな回りくどいことを?そのまま警察に突き出せばよかったじゃないか」
「アイツは姉さんを独占したかったの。きっと、捕まっても姉さんの埋まってる場所は吐かなかったと思うんですよ。そしたら姉さんはずっと土の中」
女は左手の薬指から指輪を外すと、橋から川に向かってそれを投げた。ぽちゃりと音がして、一瞬だけ水面が不規則に揺らいだ。
「だから、お姉さんに瓜二つの君が、奴の目の前に現れる事で、動揺を誘った。狙い通り、疑心暗鬼に陥った奴は死体を掘り起こして自滅。お姉さんを見つけてあげられてよかったな」
「そうね。まさか、床下に埋めてるとは思わなかったけど……。探偵さんの演技もなかなかでしたよ。それがなかったら厳しかったかも……だからこそ。はい、これ約束のお代です」
女は探偵に茶封筒を手渡した。いそいそと中身を確認した探偵は驚いたように彼女と茶封筒を見比べる。
「死体が見つからないと、保険金ってすぐに降りないのよ」
口止め料も入ってる。そう言って姉そっくりに女は笑って見せた。
おわり