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その少女の名とその目的とは?


(何よ何よ!何なのよーーッ!? )


右手の親指の爪をこれでもかと齧る。

美しく整えられたそれはあっという間に無惨な形に姿を変えるが、どうせメイドに整え直させれば良いと考えているので一切の遠慮も無い。


辛うじて声には出していないが、内心の荒れ狂いがその少女の行動には如実に現れていた。自室なので咎める者も無いがそのせいかその行為は一層の激しさを増すばかり。爪の前には室内のあらゆる物へと当たっていたので部屋も嵐の後の様な惨状だ。


床には陶器の飾り物の破片が足元を埋め尽くす程に飛び散り、クッションは切り裂かれて中身が飛散してしまっているし、小机や椅子も足で蹴飛ばしたのでひっくり返ってしまっている。


つい先日、この少女は学園で起こした騒動の責を取る形での謹慎を教師から言い渡されたばかり。

廊下である上位貴族の令嬢に一方的に絡んで罵詈雑言を浴びせた挙げ句、謝罪もしないでそのまま立ち去った事に対する咎めからだったのだが。


「ふんッ!どうせあの悪役令嬢が教師に無い事ばかりを吹き込んであたしへの処罰を権力で押し通したに決まってるわッ!!表向きは良い子ちゃんぶっても陰険極まり無い女よねッ!!」


当のお嬢様が聞けば困惑一色、婚約者の第一王子殿下が聞いたらその場で剣を抜き放ちそうな台詞を吐き棄てる少女。見た目には男性なら庇護欲を掻き立てられそうな可愛らしい外見とは裏腹に、口から出るのはそれに反する穢らわしい言葉のみだ。


ちなみに今少女が居る王都の自宅の居室。

その屋根裏では、第一王子殿下から派遣された影が眉をしかめながらその言葉を素早く書き綴っていたりするのだが少女はおろか、その家族や使用人に至るまで全く気付く気配は無い。


この屋敷へと派遣される影達は一度であまりの精神的過酷さに音を上げ、いずれ互いにこの任務を押し付け合う様になるのだが、現時点でそれを知る由もなくせっせと任務に励んでいた。


父親が財を為して貴族から称号を金に糸目を着けずに買い、いわゆる成り上がりと一部から蔑まれている家の一人娘として生まれた少女。まぁこれも当然の結果と言えるのだろうが、やはり甘やかされて育ち何でも与えられた結果、典型的な我が儘お嬢様へと見事にお育ち遊ばされた。


名ばかりとはいえ貴族。本来であれば最低限の礼儀作法を身に付けねば周囲から尚更の反感を買うのだが、それについては全く気にせず、むしろ家庭教師が気に喰わぬからと父親に大袈裟に泣きついて嬉々として追い出している。筋金入りの腐れクズだと言っても過言ではなかろう。


「ふふん、どうせあたしが幸せになるのは確定してるもの。明るく元気に挨拶すりゃ攻略対象なんか直ぐにコロっといくのが目に見えてるのに何で苦労しなきゃなんないのよ。ヒロインは天真爛漫なのがウリなんだからさぁ~」


先程までの荒れ狂い様から一転、今度は上機嫌に鼻唄交じりにまたぶつぶつと独り言が始まる。


この少女は、家族はおろか誰にも明かしていない秘密を持っていた。この世界が実は自分が生まれる前にプレイしていたある乙女ゲームの世界であると知っているのだ。そう、何故か二次元界隈では未だ流行りが廃れない異世界転生である。


幼少の頃には何の自覚も持たなかった。

けれど成長するに従って違和感を覚え始め、やがて完全な記憶が戻るに至って確信する事となる。


ちなみにだが、転んで頭を打ったとか、熱を出して寝込んで記憶を戻した訳では無く、偶然耳にしたいずれ自分が通う学園についての情報を聞いて何と無しに徐々に思い出した程度の代物だ。


その辺りが劇的では無かった事実に不満も覚えたものの、鏡で確認した自分の容姿と名前を知って『ヒロイン』に生まれた事を確信し歓喜した。

何もせずとも勝ち組確定!と狂喜乱舞する少女。


早速、当時ド嵌まりしていたゲームの概要を記憶から引っ張り出し、その魅力的な攻略対象達に想いを馳せてだらしなくも笑み崩れ、挙げ句には十八禁に至る程の脳内がピンクモードと化した。


……確かにその元となった乙女ゲームは、巷では『ヌルゲー』と称される程に単純明快な内容だ。

どの攻略対象を選ぼうと、たとえ選択肢をろくに考えずに進めようと一向にバッドエンドには辿り着かない。逆ハーすら見事に最短で達成できるなど本来ならあり得ない程にヌルい。


けれども尚この少女は思いも付かなかった。

それは、昨今流行りの異世界転生には『逆ざまぁパターン』の方が優勢である事を。そして何よりも、ゲームがゲームのままに進む事など現実にはあり得ないという事に。


そう、舞台は確かに『乙女ゲーム』が基礎となった世界であるが、それと同時に此処は、舞台の中では語られない出演者達もまた普通に息づき暮らす『異世界』でも在るのだ。それに気付かなかったこの少女に果たして楽しい未来は待つのだろうか?



☆☆☆☆☆



「アリエッティ嬢、ですか?いえ、わたくしの友人知人にはその様な方は居らっしゃいませんわ、殿下。その方がどうかいたしましたの?」


「ううん、ただの確認だから気にしないで。それよりもさ、私の姫。何時になったら私の事を殿下以外で呼んでくれるんだい?」


「……殿下がわたくしを姫などと呼ぶ間は呼びませんと前にも申し上げた筈ですわッ!?」


「私にとっては姫だからそう呼んでるだけなんだけどなぁ。相変わらず恥ずかしがり屋さんだね」


「もうっ!からかうのはお止め下さいませ!!」


「事実しか言ってないよ、私は……」


学園での恒例と化した昼食会の席上。

殿下からのいきなりの問い掛けに必死に記憶を探りましたが出て来ずに、申し訳なく思いながら返答いたしましたが結局何も分からないままその後はからかわれてしまいました。


やはりこのような時には殿下との五歳の歳の差を少しだけ恨めしく思ってしまいます。殿下の態度は大人の余裕、とでも言うべきなのでしょうか?

家柄の良さから選ばれた政略結婚の相手のわたくしにすらいつも優しいお方ですわよね。


すっかりと赤くなってしまった頬を手で抑えて隠しながら、懸命に自分の激しく打つ鼓動を鎮めるべく深呼吸を繰り返します。そのお優しさに甘えてしまっては色々と辛くなりますもの……。


「ああそうだ。母上が姫の王太子妃教育の呑み込みの速さを褒めていたよ。本当に君は頑張りやさんなんだね。小さい頃から努力家だし」


「いいえ、王妃様には遠くおよびませんわ。まだまだわたくしも精進せねばなりません」


「ふふっ、私も母上も本心からそう思っているのだがね。けれど努力を怠らない姫の姿にはいつも私も癒されているからそれはそれで良しとしよう」


わたくしの逡巡を見抜いたのでしょうか?

重い雰囲気になる前にと殿下が話題を変えて下さいました。有り難くは思いましたが、やはりお気遣い頂く内容にまた少しだけ気分が沈んでしまいました。……弱いですわね、わたくしは。


いつか殿下に呆れられ見棄てられる未来が来るとも限りません。その時に備えて負けぬ様に強い心をわたくしは持たねばなりません!!



☆☆☆☆☆



やはりお嬢様は激鈍のご様子だ。

殿下のお嬢様へと囁かれる一言一句は本気も本気、一編の曇りすら見当たらない真実なのだが、何故だかお嬢様だけが誤解したまま。


そもそも、上位貴族で殿下と釣り合いの取れる年頃の令嬢など捜さずとも掃いて捨てる程居るし、募集などせずとも自薦他薦問わずに即日長蛇の列が城に並ぶのは目に見えている。


なのにお嬢様が選ばれたのは、10歳の時分に殿下の突飛な行動力によって各家を変装の上来訪し、自らの好みと能力の兼ね合いから見出だされたからであって決して政略からでは無い。ちなみに能力よりも好みに重きを置いていた事を知るのは幼馴染み兼側近ただ一人である。


この双方が見事に擦れ違っている事実に気付く者は未だに居ない。殿下は堂々と人目に憚らず愛を囁き、お嬢様はそれに対して赤くなり照れるからだ。


かなり後に判明したこの可笑しくも哀しい現実。

『完璧王子』の二つ名を持つ王太子があまりの衝撃に崩れ落ちるその現場を見た者は少数に留められ、また城からその情報が漏れる事も一切無かったとだけ此処では記して置こう。



☆☆☆☆☆



「このチンピラの目的は一体何なのだろうねぇ?」


「殿下、汚い言葉はお止め下さい。せめてもう少しマシな表現でお願いいたします。まぁ意味合いとしては全力で同意したいですが」


「お前が言い出したのでは無かったか?」


「いぇ、最初はフィーズ殿でした。……けれどもこの報告書を読めば読む程にもういっそその呼び方で構わないとまで思ってしまいます」


「じゃあそうしようか。あぁだけど姫の前で呼ぶのは禁止だからね。言ったら処刑な」


「極端過ぎません?!せめて殴る程度で……」


監視させている影から送られて来た紙の束をそれぞれ流し読みした後の主従の遣り取り。ちなみに『アリエッティ』が例の少女の本名なのだが、あっという間に彼らの間では『チンピラ』呼びが確定していた。まぁ無理も無かろう。


流し読みで済ませているのはその内容の酷さから。

影は任務に忠実で在らねばならない筈だが、この分だと任務拒否したがる奴も出て来かねない。

影だって人間なんですもの、当然ですわね。


遣り取り=じゃれ合いがこの主従の日常。

もちろん殿下の処刑の台詞も冗談で済む……筈?

ジョンソンも殴られるのならば許容範囲なのか?!

いちいち突っ込み処は満載な主従であった。


「にしても、だ。身分を隔てずに交友を広げて切磋琢磨する学園を何だと思っているのだろうね?たかがチンピラ風情の分際で、万が一にでも私の姫を貶めて心身共に傷を負わせようとしているのならば看過する訳にはいかないな」


「……その病的なまでの執着ぶりに姫君から愛想を尽かされない事を祈りますよ」


「姫が私に愛想を尽かす?そんな事は金輪際あり得ないな。彼女は女神なのだから」


「はいはい、そうなれば良いですねー」


棒読みで上司を往なすジョンソン。

まぁ姫君のあの激鈍さ具合ならば当分は問題も無かろう。いずれ表面化したら改めて悩めば良いだけだ。自分では無く殿下が、だが。


しかし影の手配に学園での騎士の配置等々。

過剰警備にも程が有ると溜め息をつきたくなる。

それに殿下が口にした物騒なお言葉。

本当に万が一が起きた場合には、自分がまた酷使される未来が待っているのは目に見えているので何事も起きない事を神に祈るのみだ。


その祈りもまた、ジョンソンが止めたいと願う日課と同様に叶う事が無く終わるのであった……。



☆☆☆☆☆



さて、この場をお借りして軽く整理をしておこう。


アリエッティという名を持ちながら、攻略対象である第一王子殿下とその側近ジョンソンにチンピラ呼ばわりされるに至ったヒロインの少女。

彼女は此処がある乙女ゲームの世界だと既に信じきっている地球からの異世界転生者である。


ちなみにだが、第一王子殿下は俗に言う隠しキャラ的な存在で、その側近と同様に婚約者である悪役令嬢を介する事でしか開かないルート。


しかし、当時からその世間評価が『チョロさ極まるヌルゲー』と評されるだけあって、隠しキャラなのにその攻略方法はザル以上にワク。他の攻略対象を攻略せずとも行けるとは隠しキャラなのにコレ如何に?との批判が続出したのはちょっとした余談。


だからこそチンピラが早々に接触を謀ったのだが、皆様お気付きの通りこのルートは既に閉じられている。気付かぬは当のご本人のみだ。


そして何よりも、学園での新学年が始まってからまだ一ヶ月に満たないこの時期に、既に騒動を起こしたヒロインが自宅謹慎を喰らっている時点でゲームなど当の昔に破綻している。だがこれすら本人が気付くべくも無く現実は進む。


この先どうなるのかは誰にも分からない。

だが、此処が異世界だとの自覚のある者ない者に関わらず、極々当たり前に日々は過ぎて行くモノ。


相手からの執着……いや恋心を理解せぬ者。

そんな事すら愛おしく想う変態染みた愚か者。

主に振り回されて寝不足の日々を重ねる者。

現実を見つめず己の妄想へと頭まで浸かる者。


それこそがまさしくこの世界の『現実』。

これから先に何が起きようとも、救いがたい未来が待っている訳では無いという点のみが定まっているとのみ今はただ述べておこうか……。


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