知らぬは本人ばかりなり、だらけ
この国には十数年、あるいは数十年に一度、国にとって傍迷惑極まりない御花畑が出現する。光景としてでは無くごく一部の人間の頭の中に。
傍迷惑極まりないのは相手の事を何一つ思いやらずにただただ自分達の欲望の為に突き進むからだ。
「側室妾お断り!って張り紙しとく?」
「誰が見るんだ?そんなもの……」
「学園の掲示板に張っとけば効果有るかも?」
「自分を蹴落としたいライバルの仕業だと無駄に騒いで私の気を惹こうとするヤツは居そうだな」
「確かになー。無駄な事は止めるかぁ」
馬鹿には正当な対処は無駄なだけだしな、と自身の提案を軽く切って捨てたのは王太子殿下側近のジョンソン。馬鹿には言葉は通じない!を信条としている有能だが色々と悩める若者だ。
そんな側近に軽く言葉を返すのは主の王太子殿下。
黒い髪に金色の瞳、そのミステリアスさから陰で『歩くフェロモン』とも呼ばれているらしい。
全くもって意味不明な二つ名の多い殿下だった。
「……にしてもさぁ、昨日言っていたフィーズの“あの言葉”をどう思う?」
「気付かないのは本人だけで国王にすら認められる才覚の持ち主だぞ?そもそも無能が勘などとほざけば胡散臭い代物だが、アイツの場合は膨大な知識と数多くの体験を元にした綿密な計算の上での確信から成り立つ代物だ。当人はそれを無意識でやってのけてるんだから凄まじい。知らん奴が聞いたら冗談にしか聞こえないだろうが……」
彼らが今話題にしているのは、先日地獄と言う名の古巣から生還を果たして無事にお嬢様の護衛に復活を遂げた近衛騎士のフィーズだ。その実力の確かさから王太子殿下の剣の指南役となり、いずれは騎士団長とも目されている彼だがその評価を何故だか本人だけは事実を知らずに居たが。
フィーズのこの能力は過去にも発揮されている。
ほんの少しの、微かな違和感を嗅ぎ取っては自身の勘として報告書に記載する。その報告書を元に調査すれば迷宮入りしかけた事件も解決に繋がる。そしてそんな事が度重なれば気付く者は気付く。それが宰相閣下と騎士団長だっただけだ。
ちなみにフィーズの肩書きは近衛騎士兼お嬢様専属護衛騎士だがそれは表向きで、実は宰相軍事特別補佐官の役割と、何かが起きた際には直ぐに呼び出せる様にと裏では独自に編隊が組まれている。普段は騎士団長直属だが有事の際にはフィーズの代理として任務をこなす為の精鋭部隊だ。
…………知らぬは本人ばかりなり、だが。
「そのヒューズが嗅ぎ取った違和感だ。しかも懇切丁寧な説明まで着けてくれたんだぞ。調べる価値は充分に有るだろうしコレのお陰で時間が出来た」
「遣り方が甘い!って直接怒られた方がまだ気持ちは建て直せるんですがね……」
「確かにこの遣り方の方がクるなぁ……」
フィーズから手渡された宰相編集の資料。
ヒラヒラとそれを振りながら殿下が苦笑すれば、ジョンソンは拗ねてソファーに膝を抱えて寝転んだ。
いっそ衆人環視の中で嫌味を言われる方がまだマシだと思える様な敗北感を覚えている二人。
それが宰相閣下の優しさなのか意地悪なのか問われれば速攻で後者だと答えるだろう。うん、善人なだけで一国の宰相は務まりませんからねー。
「それにしても……フィーズが未だに無自覚なのはむしろ恐ろしく感じるな」
「私達が言ってもせいぜいお世辞と思われて流されて終わりでしょうからねぇ」
「父上と母上に言われても謙遜して終わる」
国のトップ3に言われても自覚しないの?!
思わずジョンソンは天を仰いだ。
「一応公爵家の血筋なのに本当に自己評価が低い奴ですし。確かに母親は子爵家で侍女だったとはいえ父親の当主も次期当主の兄も認めてるってのに」
「身分を問わないのは私の信条だが、それでもアイツが近衛になれたのは公爵家の血筋が起因しているのは確かだしな……。自分は庶子だからと幼い頃から身を引いて生きてきたのも有るんだろう」
ジョンソンの言う通り、フィーズはちょっと複雑な家庭環境で育っている。だがこの辺は貴族あるあるだ。そこまで卑下するものでは無いと二人は思うのだが、こればかりは本人次第なので無闇矢鱈には踏み込めるものでは無い。
殿下とジョンソンにとって、フィーズは少し歳上の兄という感覚だ。国王陛下と王妃殿下から産まれた第一王子で第一王位継承者、そんな殿下をただの子供として最初に扱ってくれたのが剣の師匠となったフィーズ。それだけに彼の前では心を偽らずに力を抜いて過ごせるのだから。
だからこそフィーズには幸せになって欲しいと願う主従なのだが、同時にフィーズの遣りたい様にするのも有りかとも思っている。しかしそれでは次期国王の側近になるにはまだ足りない。
「公爵家に残らない選択をした彼に兄が伯爵位と屋敷を用意したってのに一切を人に任せて寄り付きもしない。完全に拒否状態だな。騎士団の宿舎と姫の屋敷に用意された客間がフィーズにとっての今の住まい、陛下から戴いた騎士爵が自分の身分だと言い張っている様なものだし」
「でも表向きではちゃんと利用してますよ。いくら近衛でも騎士爵のみでは陛下や殿下には近付き辛いですからその際だけ伯爵位として侍ってます。我等が兄上は中々に強かでいらっしゃる」
「……いずれ騎士団長がフィーズを養子にする案件を今は宰相が裏で根回し中だ。近衛の殆どの者はその意を是としている。姫が嫁いで来るまでには全てを整えて待ち構えねばな」
「姫君が殿下に嫁げば自然とフィーズも戻って来ますからね。後は逃げられない様に手を打つと」
「そういう事だ」
逃がすつもりの全く無い様子の殿下に、つい執着溺愛の鎖でガチガチに縛られている姫君を思い起こし、彼女同様になりそうなフィーズに内心で祈りを捧げておくジョンソン。実は自分も既にそんな扱いだとはお気付きでは無いご様子。
実力主義重視の殿下だが、身分至上主義を信条とする高位貴族も多数存在するのも王国ならでは。
今の国王陛下も殿下と同じ姿勢を貫いて、自身の周囲も有能な者で固めてはいるが、同時に牽制を謀る為にもと皆にそれなりの爵位を与えている。
フィーズが公爵家の次男で伯爵位を持っていても文句を言う奴は一定数居るのだ。父親の国王陛下はそれを抑える為に辣腕を駆使して爵位を与えた。殿下もその手段を継承する気でいる。身分には身分を、五月蝿い輩を黙らせるにはちょうど良い。
高位貴族の血筋と爵位は複雑怪奇。
だが殿下の脳内にはその全てが記憶されていた。
騎士団長は辺境伯の三男だったが、母方の祖父が公爵家出身だったのでその家に養子に入り、公爵家当主としての身分を持って国王陛下に仕えている。
義弟を当主代理とし、実権はそちらに譲渡する形でやや歪ながらも体制が確立された珍しい家だ。
その形が維持される確約を義弟とその息子から宰相が取り付け次第、そのままフィーズが騎士団長の養子として迎えて公爵家当主の座を引き継げば身分の問題は消える。宰相の手腕に期待しよう。
「姫と婚姻の義を挙げるのに後3年。時間はまだあるのだから焦らずやるさ」
「そうですね」
ちなみにだが、ジョンソンも宰相閣下からきっちりと狙われている。侯爵家令息で長男ではあってもやはり次期宰相の肩書きにはまだ足りない、というのが大きな理由だ。殿下も知っているが口止めをされているので正に知らぬは本人ばかりなり、だ。
そちらの目処は着いているのでまずは目先の問題に集中すべきだろう。……気は乗らないが。




