その溺愛は誰が為のモノですか?
「おや……?今日は私の姫はまだのようだな?」
「はい、いつもでしたら先にお部屋にいらっしゃる筈なのですが何かございましたかねぇ?」
「まぁいい。無理に急がせて身体に傷でも負わせようものならば私は気が狂ってしまうよきっと」
「責任を取る!とか仰って、その場で婚姻手続きを進められる為に私があちこちに奔走させられる光景しか思い浮かびませんね」
「ははは、私がそんな愚かな真似を……」
「彼の姫君の15歳のお誕生日を迎えたその瞬間当日真夜中に、婚姻届を片手に謁見を願った陛下へ直接手渡そうとなさった何処ぞかの愚か者の姿を私は目の前で目撃させられましたので信じません」
「……誰だろうね?そんな愚か者は」
「私のよく知る者で在った事は確かかと」
「「ははははは…………」」
室内に差し込む光すら覆う程に艶やかな黒檀の髪に太陽を嵌め込んだかの様な金色の宝玉の瞳を持つ、一段と豪奢な意匠の黒い軍服を纏った青年。
所々に施された繊細な模様の銀糸がまた良いアクセントとなり青年の美貌を引き立てている。
いつもならばこれに同色の、裏地に紅色をあしらったマントを左肩に羽織っているが今は二人きりのせいもあり外されていた。常日頃から複数の護衛を必要とする立場なのだが全員廊下待機中。
そのマントを預かる同年代の青年は逆に地味な紺のスーツに身を包んでいるが、薄い茶色の髪と同色の瞳に似合っている。またその装いには、一流の布地と縫製による最上級の一品が使われた物だと知る者が見れば直ぐに悟れる装いであった。
主と臣下。
付き従う立ち位置からみればそうとしか思えないが、その会話は慇懃無礼を突き抜けた気の措けない友人同士のそれ。実際に彼らは乳兄弟の幼馴染みだった。護衛を廃している理由もその一つ。
「まぁ良かろう。予定変更の先触れは届いていないのだろう?ならばその内に来るだろう。だがもう少し待ってもまだならば私が探しに……」
「お止め下さい。学園が大騒ぎになります」
「……ではせめて厨房に」
「既に指示は出してあります。ご心配なく」
「ほぅ、相変わらず私の側近は優秀だな」
「そうですね。私の場合は主が主なだけに側近もそう成らざるを得ませんので」
「……褒めてるのか?貶してるのか?!」
「どうでしょう?捉え方、受け取り方は人それぞれだとしか申し上げられませんよ、殿下」
「お前なぁ……」
肩を落とす主に笑いを溢す側近。
彼らが姫と呼ぶ女性が部屋に到着するまでの僅かな間、二人以外は人払いされた部屋で、暇潰しがてらに気の措けない会話を楽しむ。
普段の身分を鑑みれば決して人前では叶わない故の一時の楽しみでもあったので。
☆☆☆☆☆
「大変お待たせして申し訳ございません、殿下」
「待つのも楽しみなのだから私の楽しみを奪わないでおくれ、私の姫。それにそんな他人行儀な態度は不要だといつも言っているだろう?」
「あっ、わたくしったら……」
「ふふっ、まぁそんな貴女も愛おしいのだから貴女だけに心の広い私は幾らでも赦すよ」
「いけませんわ、殿下。王太子で在らせられるのですから常に万人に公正で在らねば成らない立場ではございませんか。それを……」
「一人くらい例外を赦しては貰えないだろうか?愛おしい相手に対してまで小さな咎めをせねばならぬなど私には耐えられない苦行なのだから」
「殿下……」
辺りの空気がひたすら甘い。
…………また始まったか。
学園の一角には王族にしか使えない区画が用意されている。今の学生年代には王族の在籍が無いので本来ならば閉鎖されている筈が三年ぶりに開放されているのは、とっくに卒業したかつての利用者である第一王子の強い要望からだ。
その理由はもちろん……。
((本当にこの馬鹿王子は婚約者にお甘い!!))
互いに同席せざるを得ない側近と護衛の心からの叫びがその理由だ。第一王子が姫と呼ぶ彼の婚約者が春から学園へと通い始め、自分との交流時間が激減りした事を嘆いた挙げ句、ならば昼食を共にすれば良い!と謎発言を言い出した。
そう、正にそれこそがこの始まりなのである。
『来年には弟である第二王子が入学するのだからこの区画の利用が一年早まるだけだろう?』
そう関係者へと言い切った際の第一王子の笑みの黒さは歴代でも最も濃いモノであった、とは、その為に陰でその手配に奔走させられた側近の率直な感想でありまた事実でもあったりする。
少しは自分にも婚約者に対する配慮の千分の一でも寄越しやがれ!などと、扉の前で糖分過多な空気を無になる事で遣り過ごしながらその当時を思い出してやや遠い目をした側近ジョンソン。
そんな彼と同様に、お嬢様の護衛として部屋に控えねばならない身のフィーズも、出来るならば出来もしないが願えるならば退室したい思いを必死で隠し、置物になるべくやはり無表情でかつ全力で気配を消していたりする。
二人の心はいつもこの部屋で一緒の際には特に一つになっていると、互いに声に出して確認などせずともまず間違いでは無いだろう。
「でもどうして今日は遅くなったのかな?」
「えぇと、少し事故?がございまして」
「…………何だと?!」
王族とその婚約者に相応しい優雅な作法での豪華な昼食を済ませ、デザートが出された段になってから第一王子から放たれたのは純粋な問い。
律儀な性格の婚約者は、この昼食会が設けられてからずっと自分より遅くなった事など無かった。
なので不思議に思い聞いたまでだったが、可愛らしく首を傾げながらの婚約者の返答の不可解さに、いつもならば内心で悶えながら気障な台詞を囁く筈が思っていたより低い声が出ていた。
今の今まで漂わせていた糖分過多な空気は一体の何処へ消え失せた?!と叫びたくなる程に今度は冷たい空気が部屋を支配する有り様。
尚、その内心の突っ込みと同時に側近としては何故自身の体験を疑問系で話すのか?などと思ってしまう。その理由を聞いて彼女が何故疑問に思った部分については理解のみはしたが。
「いぇ、そもそもアレは事故とすら呼べるモノなのでしょうか……?」
「フィーズ、詳細を寸分違わず述べろ」
「はい、此方へと向かう途中の廊下の角で何処ぞかのチンピラがお嬢様の目の前にわざと出て来て無様に転んだ挙げ句、心配なさってお声掛けまでなさったお嬢様の配慮を無になさり、むしろお嬢様のせいだと声高に暴言を浴びせながら主張。論破された後には捨て台詞を吐きながら速攻で逃げ去りました。万死に値する輩ですね」
「その点には全くの同感だが、何故その時点でチンピラの確保を速やかに行わなかったのだ?」
「……申し訳ございません。私としては是非ともそうしたかったのですが、お嬢様が此方の御方をお待たせする方に憂慮をされましたので不本意ながらもその意思を優先させて頂きました」
「私の姫は本当に心優しいな。けどね、姫。私にとって貴女以上に大事な存在は居ないのだからまずは自分を大事にしてくれた方が嬉しいよ」
「「「殿下……」」」
首を傾げる危機感ゼロの婚約者の姿に、殿下は護衛に名指しで現状を問い、フィーズもまた簡切にだが事実を述べる。多少私怨の言葉も混じりはしたが一切の後悔も言葉に関する咎めは無かった。
そしてその対応に対しての大いな不満を抱いた側近からの行動には咎めも有ったが、続いたフィーズの言葉に何故か今度は殿下がヤニ下がった。
その殿下への、婚約者と護衛フィーズと側近ジョンソンの呼び掛けは重なりはしたが声音は見事に分かれる。婚約者はひたすら照れから来る戸惑いが殆どだったが、フィーズとジョンソンは揃って呆れと咎めの色が濃かった。まぁ無理は無かろう。
楽しい時間ほど速く過ぎるとは正にその言葉通り。
取り敢えずその後は不快な件についての話題は避けられ、その日の昼食は和やかに進み終了した。
婚約者との時間を名残惜しむ殿下の駄々捏ねに彼女が引き留められ、側近と護衛がそれを止めるために必死に言葉を尽くしながら引き剥がすのもまた日常の光景であり、いつも通りでもあるので関係者の誰もが気にすら掛け無かった。
☆☆☆☆☆☆
「直ぐにこの件を調査しろ。人員も経費も幾ら懸かっても構わん。ただし日数はその分縮めろ」
「……畏まりました。まぁ学園内で起きた事ですからそこまで重視する者も居ないでしょうから皆様速やかに証言して頂けますでしょうね」
「本来ならば自己保身の為に証言を拒む者が続出しても可笑しくは無い案件なのだがな。まさか学園の建前に助けられるとは何とも皮肉だが……」
第一王子の婚約者とは公式に準王族の身分だ。
王族に楯突けばその場で不敬罪を適用され、当人はそのまま処刑されて一族郎党悉くが潰されても可笑しく無いのが普通と言える。
唯一その適用を免れる場が『身分を問わず』の信条を謳う学園である。実際には建前では有るが、それでも公言されている以上免れる場と言っても過言では無かろう。だからといって知った上でわざわざそんな命懸けな行為に挑む馬鹿は居なかろうが。
今回の命知らずはそこを承知の上で行動したのか?
それを含めて調査すべきかも知れない。
自分の顎を撫でながらそう呟く殿下をそうですねと頷きながら同意したジョンソンは、頭の中では別にこの件への調査への対応についての自身の今後の行動についての再確認を行っていた。かなり効率的に動かねば二、三日は寝不足に陥りそうだ。
本当に我が主は、こと婚約者に関しては人遣いの荒い事この上ない。幼馴染みの気安さからか、そのお陰でか微笑ましいを通り越して腹立たしさしか沸かなくなった今日この頃な気すらする。
今までも、そしてこれからも繰り返されるのは目に見えているので諦めが肝心なのだろうが、それでも一度は膝爪談判で夜を徹して上司と話し合うべき案件であるのも確か。せめて一言物申したい。
言うは易し行うは難しとも言うが、それでも次期国王として幼い頃から教育された第一王子の、その傍らでほぼ同じ教育を受けて共に育った間柄は伊達では無い。文句を垂れ溢しながらも一切手を抜かず完璧に主の意志に沿うのが側近のジョンソン。
まだ成人から数年しか経たない身の上で既に現国王陛下の側近達からも一目措かれている彼だ。
王太子としての主の通常業務の補佐をこなしながらのムチャ振り別件対応であろうと、その実力に見合った報告を主人へとするに違いないのだ。
けれどもその夜、関係者各位への極秘の手配を終え、明日にでも学園での調査に乗り出す態勢をほぼ完璧に整えて城に用意された自室へと下がれた僅かな時間。その立場からすっかりと得意となってしまった盗聴防止の魔方陣を部屋に展開させた。
物申したくてもそう簡単に行かないのが現実。
なのでこうして自室に下がって一人になった際にせめてもの気晴らしをするのにももうすっかり慣れてしまった。そんな自分が少しだけ哀しい……。
けれども遣らねば尚辛さは募るので止められない。
こうして万全の状態にした後は、とにかくひたすら思いの丈を心の底から声を大にして叫ぶ。
その内容は、一言でも廊下に漏れれば即近衛が黒山の人集りで押し寄せる事間違いないだろう代物。
今日はこの際だからついでとばかりに、主の普段の婚約者に対する態度についても愚痴らせて貰う。
完全な盗聴防止の魔方陣への安心感からか、その言葉はそれはそれは少なくとも異性には絶対に聞かれたくない程に乱れたモノとなった。
最後の方は叫んだ本人すら何を言ったかほぼ記憶に残ってない結果を鑑みれば、それはもう凄まじい罵倒の嵐だったのだろうと推測出来るだろう。
ちなみにその後は僅かな睡眠を貪ったジョンソン。
それなりに整った容姿ながらも、人目を惹く際には容姿よりも目の下に常駐する隈にまず女子の視線が行くとの陰での哀しい評判が実はあったりする。
今日の禍根を明日に残さない為の自衛手段。
ただし哀しい事に、その為にただでさえ少ない休息時間を削って行うその日課も、翌日には似た出来事が起きてまた努力全てが無へと期すのだ。
もういっそ、一言で良いから主を罵倒して残りは自身の睡眠時間に割り振るべきでは無かろうか?
いつか彼を心配し、そう進言してくれる誰かが現れてくれる事を他人事ながら祈るとしよう……。