第一話 銃弾
「こんにちは。私の名前は———」
少女には、幼い顔立ちの中に、凛とした表情があった。
慌ただしくドアを開ける音がして、窓の外を見ていた僕はびっくりして体を起こす。
「あっくん。来たよ。これ、持ってきたよ。」
秋音の名をそう呼ぶ人は、記憶の限り、一人しかいない。
けれど、その先の人物に秋音には見覚えがなかった。そして、戸惑う。部屋を、間違えたのかな。そう思って、尋ねてみたけど、何言ってるの、あっくんに会いに来たんだよ、と女の子は言った。
。少し、急いでるみたいだった。
秋音のことを馴れ馴れしく、自然に「あっくん」と呼ぶ、見知らぬ女の子を、すぐに追い出すことはできなかった。ある「可能性」が頭を掠めてしまったからだ。そうでなければいいと思った。女の子は、果物ナイフと、父さんが忘れて行ったミントタブレットの残りくらいしか入っていないと思っていた引き出しから、パンダの描かれた大きなハンカチを取り出して、広げて、持ってきたそれを大事そうに包んだ。
一つ一つの動きを、見逃さないように、声を、聞き逃さないように。
どんどん、訳が分からなくなってくる。出て行って。ここから。
頭が、痛い。
「どちら様ですか?」
きょとんとした顔をこちらに向けて、それから…。
秋音は、アスファルトにうつる二人分の影に視線を落としながら歩いていた。4月だというのに、真夏のような暑さである。じりじりと照り付ける太陽が憎い。
「ほんと暑いね」
隣を歩いている喜瀬菜々子が、文句を言いながらも、パタパタと手で顔をあおいで言い、歯を見せて笑った。暑さのままとけてしまいそうな秋音には無理やりにも笑顔をつくることなどできないが、彼女にはいつもと変わらぬ曇りのない絵がを浮かべていた。
「アイスでも食べて帰ろうよー」
キャラメル色の移動販売車を指して、菜々子が急にこちらを向いて提案してきたのでびくりとしてしまう。アイスクリーム屋は、炎天下の中、もちろんにぎわっていた。
走りだそうとする菜々子の腕を引っ張って、胸の襟のボタンを止める。「暑いよ」と不満そうにする菜々子。
「駄目だよ」
秋音がむっとしてそう言うと、「へへ、変なのー」といって菜々子が笑った。
行列をやっと並び終えて、バニラ・チョコ・苺の三段重ねのアイスクリームを手に入れることができた(こんなにあつけりゃちょっとぐらい高くても買うだろうだろうという店側の狙いか、900円もした。そしてそれにまんまとはまり調子に乗ってトリオを買った)。菜々子はソーダ味のソフトクリームを買っていた。
日陰のある場所を探して食べようとしたとき。
パーンとかなり近くで音がした。かと思うと、何かが秋音に向かって真っすぐ飛んでくる。
(銃…?)
十分に考える間もなく、反射的に秋音は目をぎゅっと閉じた。秋音の手から、アイスが滑り落ちる。「いやああ」と誰かが叫ぶ甲高い声だけが聞こえていた。
それを避ける手段はなかった。すぐさま、激しい痛みが秋音を襲う。
銃弾は閉じた瞳の薄いまぶたをいとも簡単に打ち破り、脳を突き、血しぶきが舞い、後から思い出したかのように秋音から咆哮が発せられる。倒れこんでから、その後も数発撃たれ、そして、痛みに耐えきれず秋音は死ぬ。
少年のまわりでは静寂が漂っていた。いや、それよりも時が止まったかのようだった。人の話し声も、地を踏む音も、風の音も聞こえない。無音だった。
ああ、死ぬのだな———秋音はそう思った。
……、一緒に……約束…忘れ———母さん、父さん、先に死んじゃってごめん———菜々子……。
………。
…………………?
死ぬ瞬間は、時間がゆっくりに感じるという。
(俺はもう死んだのだろうか?)
秋音はうっすらと目を開いた。と、その目はすぐに全開になる。すぐ先に、直径一センチほどの丸い物体が浮いていた。
「うわあっ」
秋音は、すっかり腰を抜かして、後ろ向きに転んだ。
(死後の世界?銃で撃たれて…?いや、じゃああの弾は?)
秋音は、それに撃ち抜かれて死んだと思っていた。なのに、その直前で銃弾は止まっていた。
あたりを見渡しても、誰も動いている人はいない。5メートルほど先にいる子供は、走っていて転んだのだろうか、額を地面に打ち付ける直前の状態でいた。見上げると、上空で鳥が翼を広げたまま固まっていた。
秋音のほかに、身動きを取る羽虫一ついない。
(時間が、止まっている?)
そう、認めざるを得なかった。比喩ではなく、実際に止まっていた。菜々子に声をかけてもつついてみても、アイスを持ったまま動こうとしない。
菜々子の、まっすぐ通った鼻が特徴的な横顔をじっと見る。
(………)
邪な気持ちが芽生えそうだったので、菜々子から目をそらす。
誰か秋音の他に同じ状況の人間はいないのかと探そうとしたとき、後方でカタっと音がした。
秋音は、音の方向に向かって勢いよく振り向いた。見る限り、動いている人はいない。自分はここにいる、ということを主張しようと、「おーい」と呼びかけてみたが、何も返ってこない。気のせいだろうかと秋音は思う。
(いや、きっと時を止めた人物がいるはずだ)
どうしようもなく、秋音はとりあえず音の主を見つけ出すべく歩き出した。
それが、秋音のその後の人生を大きく揺るがす出会いになるとも知らずに。
稚拙な部分もあったと思いますがお読みいただきありがとうございます。
批判感想お待ちしております。