9話
佐久良家との面会を断った翌日、試験日であり午前中で下校できる日であるが、翌日も試験だったため家に帰って昼食を昨晩の残り物で済ませた恵はリビングで勉強をしている。
進学をする気も就職する気もないが、根がまじめだからか恵は赤点にならないように自分でできる範囲で勉強に時間をかける。
その真面目さのおかげか、恵は中学校時代成績はいつもトップクラスであり、面談の際に中学の担任に
「近くて静かな環境であれば。」
と注文を付けると、その教師はいくつか候補を出してきた。その中の1つが今通っている高校だ。中学校の時、高校が選び放題だった成績のおかげで親がいない事情を差し引いても教師からの評価は高かったし、そういう面談で煩わされることもなかった。
家庭事情は恵では変えることはできないが成績であれば努力次第であることを知っているため、彼女は自分の我儘が通るぐらいのそれは確保しようと考えてのことだった。そして、そのスタンスは高校でも変わらない。
しかし、翌日の試験に備えての勉強を邪魔する存在が出る。
ピンポーン
いったいこのパターンは何度めかと思いつつ、恵はため息を吐いて玄関のドアから向こう側を覗く。
そこには、スラッとした高身長でどこのモデルかと思うほどにスタイルの良い男性が立っている。異国を思わせる日本人とは違う雰囲気でスッとした顔立ちをして瞳は青空よりも少し薄い色合いをしている。
「うん、宗教か。」
外国人が多い場所なので彼らが引っ越し以外で訪ねてくる理由としたらそれぐらいしか思いつかない恵は、その訪問者を無視することに決める。
防音完備なので訪問者が何をしようと自室に移動してしまえば全く把握できないのだが、リビングに戻った際に、リビングの小窓に映る目と恵の目が合ってしまう。
向こうはニコリと目を和ませるのだが、そんなものは近しいものであれば癒されるだろうが、誰とも知らない人であれば奇妙以外の何物でもない。一種の不法侵入にあたるのではないだろうか。
固まってみている恵をよそに男性はどんどん庭のほうに移動してリビングから庭のほうに出るガラス製のドアのほうへやって来る。
そこで恵は男性が1人ではなく2人ということだ。もう1人も日本人には見えず最初に目が合った男性と同様にモデルのような体躯で彼より少し身長が高く黒髪に銀の瞳を持っている。
最初の男性がにこやかに笑って何か口を動かしているが防音のため何を言っているのかは恵には聞こえていない。それが恵にとってはちょうどよく、彼女は目をこするふりをしてそのままリビングから出る。
しかし、そこで問題が起きる。
カチャ
男性2人が立っている場所ではなく、なんと玄関の方から鍵を開ける音が聞こえるのだ。その音に、まさか、と思った恵は慌てて玄関のほうを見ると、見たことのない老人男女と壮年の男性と少し若い女性2名と目が合う。その後ろには昨日会った立花弁護士と以前2回ほど会った少年だ。
恵は一瞬固まったがすぐにリビングのドアを閉めて固定電話で110番通報をかける。
「あ、もしもし。警察ですか?」
ガチャ
通話ができた瞬間、立花弁護士により受話器を置く場所を押されてしまう。彼は居心地悪そうにこちらを見ている。
「今度は不法侵入?罪状が増えていきますね。」
と、平常を装った恵はにこやかに笑って見せると、すぐに彼は頭を下げて謝罪をする。
「突然訪問してしまったことはこちらの非です。申し訳ございません。ですが、本当にお話を聞いていただけませんか?」
「15分で終わりますか?明日試験なんですよ。」
彼の後ろにはぞろぞろと庭のほうにいた男性2人も加わった大人数名と子供1人が立っているのが見えた恵はチラチラと教科書や問題集、ノートがおかれているテーブルのほうを見て嫌味を含んで言ってみる。
それを聞いた彼は視線を彷徨わせながらも頷く。
「はい、15分ほどで。後日、また都合がよい時間にお会いしていただくことになるかもしれません。」
「面倒ですね。私、つい昨日言ったと思うのですが。家族なんて面倒だと。必要のないものだと。」
「それは、そうなのですが・・・・ほら、紙よりも言葉でお礼を伝えた方がいいではないですか?」
恵の発言に後ろの集団は、黒髪銀色の目の男性以外、明らかに落胆して肩を落としている。その様子を見て彼女の予想が当たっていることを知る。一応、そこをついて彼らに退散してもらおうと画策した恵だが、なんと会話のプロが断りにくいことを提案する。
それを聞いた彼女は少しだけ思案した後に了承するも、
「では、玄関で立ち話でいいですよね?お礼を伝えるだけですから。だいたい、家主ではないですが、住人の許可も得ずに勝手にカギを開けることは非常識ではないのでしょうか?そのうえ、リビングで座って会話をしようなんて私を子供だからとなめてますね。」
「恵さんの言いたいことはご尤もです。その行動はこちらが全面的に悪いです。しかし、年寄に立って会話は少し苦だと思いませんか?」
「それなら、ここに前住んでいた女性がおいて行ったビーチ用の椅子らしいものがありますから使ってください。」
「徹底的に拒否しますね。」
「もちろんです。」
恵がおれないことを察した立花弁護士はすでに諦めたように苦笑をする。白旗を挙げた彼を見た恵は内心ガッツポーズをする。別に勝敗に意味はないが、大人を負かしたことに達成感を得たのだ。
リビングに入って来ていた集団を追い出し、玄関のドアを境界にして、彼らと恵で分かれる。外のほうにビーチ用の椅子がちょうど2脚あるのでそれを老年の男女に使用してもらうことにする。似た雰囲気のある集団が、黒髪銀色の瞳の男性と立花弁護士以外、血がつながっている雰囲気をまとっているのに気づく恵はため息が出そうになる。
「それでご用件は何でしょうか?あと10分ほどしか時間がないのですが。」
「短くなっていませんか?」
「先ほどの移動で5分ほど短くなりました。」
「それもカウント対象だったんですか?」
「もちろんです。15分は私があけられる最大限の時間ですから。」
胸を張った恵の言葉に立花弁護士は苦笑するしかない。詐欺だ、と思っても最初に確認しなかった彼の責任だろう。
「恵さん、こちらが佐久良家の当主です。」
「初めまして、恵。私が佐久良家の当主であり、君の祖父にあたる佐久良敏明だ。」
「初めまして、私がこの人の妻であなたの祖母にあたる藍蘭よ。」
「私が。」
「もう結構です。自己紹介は必要ありません。これから関わる気もありませんから。それで、あなたがたはここに一体何をしに来たのでしょうか?」
これから長い紹介文を聞かされるのだと思うと恵は嫌気がさし、壮年の男性が名乗ろうとしたを遮り、本題を尋ねる。
「家族になろうなんて、今更思っていませんよね?でしたら、あなた方はここにいったい何の理由があって訪ねてこられたのですか?」
恵の言葉が響いたのか、彼らは押し黙り暗い表情を見せる。
急に家族と言われても恵にとっては赤の他人で情など湧くはずもない。
「ただ、謝りたい。」
敏明が重くるしい声を発し、深く頭を下げる。それに倣って全員が同様の行為をする。
「君にとっては迷惑極まりなく、私たちの自己満足に過ぎないだろう。だが、それでもただ謝りたいんだ。」
彼の声は悲鳴のようだ。心から謝罪していることは伺える。
だが、恵にとってはそんな言葉など心に響かない。
「わかりました。謝罪は受け取りましょう。これで満足いただけたならお帰りください。あと2,3年ほどの付き合いなのですから、お互いに今まで通りに過ごしましょう。それが私の望みです。」
その言葉を最後に恵はドアを閉める。閉める瞬間、見えたのは一同の絶望に落とされたような暗い瞳だ。一瞬の光もない。しかし、恵が不思議に思ったのは同じような表情を家族という括りに入らないだろう黒髪銀色の目の男性と立花弁護士までもが同じような表情をしていたことだ。
「まあ、どうでもいっか。」
恵はそんなことを気にしないことにする。できれば、もう今後の人生に彼らが登場しないことを祈り、彼女は予定より10分ほど過ぎていることを確認しつつ勉強に戻る。
夕飯を食べる頃にはすでに家族と名乗った集団の顔も言葉も忘れている。
しかし、ここで本当に切れることはなく、翌日の朝、登校しようとしたら柵の前に男性が立っている。
黒髪で銀色の瞳を持つこぎれいな男性。
恵は思わず彼に尋ねる。
「あなた誰?」
彼は柵からゆっくりと体を放してこちらを見る。
「私はあなたの番犬で僕です。」
なんて自虐的な言葉の羅列だろう。
恵はただ目の前の男性が何を考えているのかわからず気持ち悪さで顔をしかめる。
第一章終わりです。