86話
祖父母と父と奏の母に見送られて恵は奏とともに搭乗口に向かう。
奏の隣に座った恵は電車の座席とは違ってふかふかの乗り心地に心を躍らせる。
「すごく乗り心地いいですね。」
「よかった。」
恵は嬉しくて何度も座る動作を繰り返して見せると奏はそんな幼稚なことをする彼女に微笑む。
「シートベルトをはめて飛行機が離陸したら香港に行ったら何をしたいか決めない?」
奏に言われて恵はまだ香港で回る場所を決めていないことを思い出す。確かに仕事用のPCを持ってきたがずっとホテルに留まるわけにもいかず、昼は外出することになり恵は奏と移動中に考えることになったのだ。恵としてはごはんだけ中華料理を味わえればいいと考えていたのだが、何度も訪れたことがある奏から聞く話に興味を引かれたこともある理由としてはある。
「わかりました。」
恵は頷いてシートベルトをする。
飛行機のアナウンスが入り少しずつ動きだし。グングンと慣性の法則で後ろに引かれる。スピードは最高潮に入ると次に襲ってくるのは浮遊感だ。それを楽しいと恵は思えて乗り物酔いはしない。
しばらくしてシートベルトのマークが消えたところで全員一斉にシートベルトを外す。そして、恵はさっそく機内に持ち込んだ肩掛け鞄の中から旅行雑誌を取り出す。それから奏と隣あってみていたのだが、恵はイヤホンをつけている周囲が気になる。
「みんながつけているイヤホンってこれですか?」
「うん、そうだよ。」
「なんで付けているんですか?何かに接続されている?」
「あ、これはテレビだよ。この液晶はテレビになっていて中に入っている映画やドラマが見られるんだ。」
「そうなんですか?すごいですね。私も見てもいいですか?映画とかあまり見たことないですけど。」
奏はそれに頷き、操作方法を教える。恵はそれに従ってタッチパネルになっている画面を操作して中に入っている映画やドラマを確認する。アニメもあるが、種類が豊富で恵は驚く。
「なんだか、すごい量ですね。奏さんは何か知っているんですか?」
「ほとんど知っているかも。恵さんは何か見ますか?3時間ぐらいのフライトなのであまり長いのはおすすめではないけど、1時間ドラマなら大丈夫。」
「でも、観光する場所も決めないといけません。」
「まあ、迷ったら白鳳兄さんに案内してもらえばいいよ。運転免許も持っているから車でどこでも連れて行ってくれる。」
「それは悪いですけど、車の方がまだ乗り物酔いはないかもしれません。」
「今は大丈夫?」
乗り物酔いに反応した奏が心配そうにしているので安心させるように笑顔で恵は頷く。
「大丈夫です。電車みたいにお尻から振動が来ないからかもしれません。」
「少しでも気分が悪くなったら言って。」
佐久良家も含めて恵の周囲にいる人たちは過保護の傾向があり、それは奏も例外ではない。彼はそんなにひどくない方であり、最もひどいのは柊を含めて世話をする方だ。彼らは一体恵に対してどんな思いを抱いているのか、彼女に対しては傾倒するうえに一歩部屋を出るにもソワソワしている様子だ。瑛斗がそばにいる際は瑛斗に対して注視し、彼に何か念でも送っているような感じになる。
約3時間のフライトはあっという間に終わり、飛行機を降りれば異国の香が鼻腔をくすぐる。日本とは明らかに違う香辛料のツンとした香がして恵は外国にいることを実感する。
「来ちゃった。」
恵は現実味が湧いても不思議な感覚がする。
「恵さん、荷物を受け取ったら出口から出よう。もう、白鳳兄さんたちが待っているはずだから。」
「迎えに来てくれるんでしたっけ?」
「そうだよ。」
先に帰国した李白鳳と瑛斗は恵と奏の出迎え役兼香港旅行の付添人なので、出口で待っててもらいホテルまで車で案内してもらう手はずになっている。
「昼ごはんを食べてから移動ですか?」
「そうだね。兄さんにうんと高いごはんを強請ったらいいよ。」
奏は笑って言うが、そんなことを恵はできるはずもないと笑って誤魔化す。
「奏!恵!」と出口で名前を呼ぶ声に恵と奏は反応し、そちらを見てギョッとする。てっきり2人で迎えに来ているとばかり思ったのだが、そこには2人だけでなく黒のサングラスと黒の服を着た男女数名が彼ら2人を護衛するかのように立っているのだ。
関わりたくない。
恵は拒絶が出てきて数歩後ろに下がろうとしたところで、奏はため息を吐いて恵を振り返る。それにギクッとして立ち止まった彼女は彼を見ると、奏は申し訳なさそうな顔をする。これは奏も予想外だったのだろう。
「ごめん、僕はあまり派手な迎えにならないように言ったのに、こんなことになって。」
「派手じゃない出迎えなのかもしれません。」
「うん、確かにいつもよりマシだけど。」
いつもは一体どんな出迎えをされているの!?そんなに疲れるようなことをされるんだ。迷惑だな。
恵は奏に対して同情する。
そんなところで、諦めた奏に手を引かれるようにして無事付き人役の2人と合流できたのだが、そこで奏から黒のサングラスを渡される。
「えっと、これで私もその黒服の人と同じ役割をしろってことですか?」
恵は認識合わせのために言うと奏は慌てて首を横に振る。
「いやいや、違う!目を隠した方がいいんだ。これから出かけるときは特に。」
「なるほど。黒いサングラスなんてほとんど初めて。いや、太陽の下に出ることが初めてかもしれない。」
「見えにくいから悪いけど、我慢して。」
「大丈夫です。」
恵は黒のサングラスを装着して周囲を見渡す。
「おお、みんな黒い。」
初めての体験に恵は声を上げる。
そのままここにいては邪魔になるため、4人は多くの護衛を引き連れて空港を出る。車は運転手付きで乗ると今度は白鳳が申し訳なさそうな顔をする。
「悪いが、俺の祖父と母に挨拶してくれないか?」
と言うのだ。
恵は奏に言っているものとばかり思って窓の外を見ていたのだが、返事がないことを不思議に思って彼らの方に視線を戻すと白鳳が恵を見ている。
「えっと、私がですか?」
恵は自分を指さす。提案に訳が分からず尋ねると、彼は大きく頷く。理由がわからなくて考えていた恵はピンと頭にひらめく。それが目の前の白鳳が李家という家の次期当主であり、いろいろとしがらみが多いことだ。それに、彼は良い大人なので恋人の1人や2人いるだろう。そんな人の時間を奪うことをしているので、親族に謝罪とお願いに行くのは当然だろう。ただ、これは向こうから言い出したことで恵は関係ないのだが、なるほど、と恵は手を叩く。
「了解です。」
「待て!今どんな解釈があった?なんか怖いんだが。」
「えっと。」
「いや、言わなくていい。とりあえず、了解してくれたな。じゃあ、そっちに向かう。そこで昼食も一緒に摂ろう。あの2人も喜ぶ。」
「はいはい。」
やけに素直に恵が頷いたことに白鳳はますます不信感を抱くが、何が怖いのか全く突っ込んでこない。恵は自分の考えが肯定された気分になり、フライト中に見たサスペンスの主人公になったようでご機嫌だ。




