8話
母親の登場イベントは無事に終わり、恵はゴールデンウイークを家でのんびりと過ごして学校生活の戻っている。
「明日からテストだ。」
「やべえよ、まったく勉強追いついてない。」
「入学してすぐのテスト赤点だった。アハハッ」
そんな会話が響くのは学校の学習室だ。
なんと、県内一の学校なだけあって、この学校には図書室のほかに学習室まであるらしい。それも冷暖房完備だ。
そんな場所を見逃すはずがなく、恵は上級生に紛れて席を確保できたのだが、この沈黙の空間に例の恵が昼食を食べれず苛ついて八つ当たりをした女子がいるグループがいる。上級生もいるのに、1年生でありながらあれほど堂々といられることに驚く。
「静かにしてもらえない?あなたたち、1年生なんだから勉強しないなら出て行ってほしいんだけど。」
絵に描いたような委員長が騒ぐ彼らに対して文句を言うも、それを一蹴して彼らは口笛を吹いて揶揄い始める。
「え?ここは公共の場所ですよね?」
「委員長!学生の鏡!」
「俺らにはとうてい真似できないよな。」
聞いているだけで幼稚園児かと思うほどの低レベルな話声に誰もが呆れていたが誰もそこに首を突っ込まないのは、その集団がいわゆるやんちゃをしてそうな雰囲気があったからだろう。
恵は知らないふりをして勉強をしていた方が自分に支障が出ないことがわかっているので、プリントを解いてノートを確認を繰り返している。
そんな時、扉が開いたかと思うと、鳴海教師が入って来て異様な空気を感じ取ったのか、それとも例の集団を見たからか呆れたようにため息を吐く。
「お前らはまた誰かの邪魔をしているのか?早く帰って勉強をしておけ。今度赤点を取ったら補習は免れないからな。」
「ええ、それはないだろう。」
「赤点取ったのは私じゃないんだけど。」
「とりあえず、学習室は勉強するための部屋だ。遊び部屋が欲しいならカラオケでも行け。」
「はーい。」
なぜか、鳴海教師のいうことは素直に聞くようで、集団は学習室から出ていく。
「悪いな。勉強の邪魔をして。」
腰低く彼は学習室にいる面々に謝っている。教師がこんなふうに生徒の代わりに謝ることを不思議に思いはするものの、面倒見の良い彼だからこそできることだと恵は何となく思う。
鳴海教師は学習室を見渡して誰かを探しに来た素振りを見せ、なんとなく見ていた恵と目が合い、なぜか彼はこちらに近づいてくる。
「西寺、良かった、まだ学校にいて。」
「私ですか?」
思わず驚いて自分を指して見せるが、彼は大きく頷く。
「お前だ。なんだか知らないがどうしても今からお前に会いたいと来た人がいて、まだ帰宅していないから学校に来たらしい。親族だと言っていたな。」
「え?私に親族なんていませんけど?」
「そんな疑問を投げかけられても俺もわからん。」
確かに赤の他人である鳴海教師に訊いたところで無意味だろう。だが、本当に恵には思い当たる人物なんて思い浮かばない。
「居なかったってことにしてください。」
「いや、お前の下駄箱を見て確認したらしいから、そんなことは通らない。」
!!
苦肉の策を提示したらまさかの彼からの返答に恵は驚愕し、わなわなと恐怖が襲う。得たいのしれないものと相対すると人は震えるものだろう。
「ストーカー?」
「あり得ないことはないが、身分証も見せてもらって変な人ではないことは確認できてしまったんだ。弁護士だった。結構有名らしい。」
「弁護士?え?何の・・・・。」
そこで思い当たるのは1つしかない。以前、佐久良家とかいう援助をしてくれる家があることを知ったが、仕えている人とかいう立場の人がいることから裕福な家であり、そこなら弁護士がいることも想像できる。
恵はそこから導かれる嫌な予感に眉間にしわが寄ってしまう。
「どんな事情かは知らないが、一応行ってみてくれないか?」
「はい、わかりました。もう、勉強も終わったので帰ります。」
時計を見れば18時を回ったところで周囲はぞろぞろと帰り始めている。あの集団は結構長い間ここに留まっていたことを知る。
恵は懇願するような鳴海教師に頷いて学習室を出て、下駄箱のところで待っているらしい親族と名乗る人の元に向かう。
そこに行くと、これが3度目の顔合わせになる佐久良家のことを話してきた男性がいる。今日は少年はいないらしく、彼だけのようだ。
「恵さん、申し訳ございません。このような場所まで訪ねてしまいました。」
「いいえ、気にしないでください。それでご用件は?」
本当はすごく気にしてはいるが、そんなことは言わずに恵は大人の対応を心がける。本題をせかす恵を男性は苦笑して「その話は車に・・・。」と先延ばしにするのが妙に引っかかった恵はそれを断る。
「いえ、車に乗ることは結構です。ここではできないお話でしょうか?」
「ここではさすがに。人目もありますから恵さんも聞きづらいのでは?」
「私は別に気にしません。他人からどう見られようとそれはその人の勝手です。」
「クスッ、そうですか。ですが、これは旦那様にも都合の悪い話ですので、できれば内密にしたいのです。」
男性は小さく笑うが、そのあと気を取り直して言いにくそうにする。それほどに深刻な話のようであることは察するが、恵はどうしても車に乗る選択はできずにいる。
「では、人があまり通らない場所に行きましょう。車では移動しませんが、歩いて10分ぐらいのところに人の通らない廃墟があります。」
「え?廃墟ですか?」
「ええ、危険はないので安心してください。昼は子供の良い遊び場です。」
「わかりました。」
恵の提案場所に度肝を抜かれたような顔をした彼だったが、最終的に折れる形となり、2人は恵が提案した廃墟ビルの前にやって来る。
鉄鋼は積み上げられたまま残り、建物になるはずだった鉄の塊がそのまま残っている。
「それでお話というのは?」
「実はあなた様にお会いになっていただきたい方々がおります。」
「それは佐久良家の方々で合っていますか?」
「はい、よくわかりましたね。」
男性は盛大に褒めてくるが、会話の流れでわからないほうがおかしいだろう、と恵は思う。彼の話し方が出会った時より少しだけ丁寧になっているし、佐久良家側の人である彼が恵に用事といえばその家のことでしかないだろう。
「弁護士がそんな風に重く言うほどのことですか?まあ、お礼ぐらいは言わないといけないと思っていましたから、会っても良いとは思いますけど。」
「そうですか。それを聞いて安心しました。旦那様から話を少し長い話を聴いていただかなくてはなりませんので、お時間をいただきたいのです。」
「それは嫌ですね。どうせ過去のことでしょうし、私はそういうの興味ないですから。」
「そう言わずに。」
「ええ。」
不満を隠そうとしない恵に男性は懇願する顔を見せる。
「ところで、あなたのお名前を知りませんでした。何さんですか?」
「あ、これは自己紹介をしていませんでした。立花雄吾と言います。佐久良家が抱える弁護士の1人で旦那様の補佐をしております。」
「立花さん、私は別にあの人たちと私がどんな関係でもどうでもいいですし、今更親戚付き合いも家族付き合いも面倒なんですよね。だから、旦那様とやらと会うのは無しでお願いします。手紙だけ書くのでそれを渡して終わりにしてください。」
「それはちょっと。」
「そこを調整することが弁護士の仕事だと思います!!」
「いや、あの。」
先ほどまでの余裕は立花にはなく、もはや恵のペースである。
「ですが、手紙だと便箋などが必要でしょう。」
「ここにありますし、たった2文ほどですからすぐ終わります。」
恵はすぐに鞄から便箋を取り出す。いや、便箋とは言わない、ただの授業用でメモを取るためのA4の紙だ。
それに驚いた立花が止める間もなく、恵はなるべく丁寧に、しかし速く書いた手紙を四つ折りにして立ち尽くす彼に渡す。
「じゃあ、私はこれで。」
恵はこの場をさっさと離れる。
立花はそっともらった紙を開いて頭を抱える。
”佐久良家へ
金銭援助をしていただきありがとうございます。後3年ほどお世話になりますが、よろしくお願いします。
西寺より”