70話
ドアには向かっていたのだが、男性の方が早くドアに着きそうだったので、恵はドアまで10メートルぐらいのところで方向転換して関係者用出入口に向かう。ちょうど搬入が完了してトラック運転手たちが出入口に行き来しているので、それに交って恵も出入り口を抜ける。
料金場所の横をすり抜けていくと先ほどの出入り口から50メートルほど離れており、かつ相手の視界には入らないようにカーブがされているので、その死角を利用して恵は客用のドアとは逆方向に走っていく。幼稚クモの目は赤くはなっているが、先ほどよりも薄くなっていることを確認して少しだけ恵の緊張が緩む。
恵は前後を見て鬼がいないことを確認しつつも、人が多い通りを通って目的地である鬼の発生源がいる場所の特定のために彼女は情報がありそうなインターネットカフェに向かう。周囲の人の大半がうちわを持って同じ方向に向かうので、その波に乗ってみたらカフェを偶然見つけたからだ。それと、携帯がないのでwifiがあるお店に入らないとパソコンでネットの使用ができないのだ。
「はあ・・・はあ・疲れた。」
個室をとってリュックを置いてドンと椅子に腰を下ろす。
少しだけ休憩をはさんですぐに備え付けのパソコンでSNSで情報を収集する。その中で横浜で検索をかけていたからか、目と鼻の先にあるアリーナでこの日はとあるアイドルのライブイベントがあるらしいことを彼女は見つける。
「だから、なんかうちわとか持っていたんだ。」
季節に合わないうちわを持っていた理由がわかったのでパソコンは閉じる。
恵はシャワーの予約もしたので汗を洗い流す。ついでに、下着はこのカフェでも購入できたので購入しておいたのだ。さっぱりとしたので、恵の気持ちもだいぶ楽になり、気を取り直してパソコンに向かう。
「クモさん、どうにかして発生源のある場所を特定できないかな?」
『近くに行けばわかるが、この辺ではないことは確かだな。』
「やっぱりそうなんだ。こんな人が多い場所ではないよね。普通親玉は暗闇に隠れているものだし。」
『お前のお目付け役が知っているだろうから、教えてもらった方が早いんじゃないのか?お前のゲーム?でいくと、味方だろう?』
「そういえば、そうだった。」
恵はクモさんに言われるまで瑛斗が味方の認識がなかったのだ。初めて気づいたときには思わず手をたたいてしまい、すぐに手を下ろす。
瑛斗に問い合わせのメールをすると、彼から住所の連絡が来るのでそれをネットで検索してだいたいの場所を把握する。
「よし、行きますか。」
恵は気合を入れて個室を出ようとしたところで、急に幼稚クモの目が真っ赤に変わる。先ほどまで全く変化がなかったにも関わらずなので、予想外の変化で恵は驚愕し、汗ばんだ手を握って周囲に目を配る。
トントントン
耳を凝らせば廊下を歩く足音が聞こえる。それが近づけば近づくほどに目の赤色が濃くなっていく。恵は焦って必死に逃げ道を探すが、四方は壁で1か所しか出入り口はないので平面での脱出は不可能であり、残るは上下のどちらかだ。彼女は一番考えやすい上に目を凝らすと天井と壁がついていない隙間を見て直感的に”そこしかない”と感じてそこに飛び込んだ。文字通り頭から自分の足のばねを信用して。
隙間は狭かったが恵の体が細かったことが幸いして何とか部屋を脱出に成功する。それから移った場所は鬼がいる出入口方面とは逆側であり、壁を挟んだ向かいの個室になっている。そこには、男女が抱き合っており今まさにラブシーンを始めようとしている最中だったのだが、彼らは急に現れた恵に釘付けになっている。
「ごめんなさい。お邪魔しました。」
一応謝りつつそそくさと恵はその部屋を出る。
先払いシステムなので会計せずに偶然通りかかった店員に適当に言い訳をして番号札を渡して裏口から出してもらう。
「危なかった。」
外に出て大きく息を吐きつつ、幼稚クモの目が正常に戻ったことを確認する。
「油断できないな。一体、どれだけの数が隠れているんだろう。」
弱音のように吐いてしまったが、恵は気を取り直して瑛斗に教えてもらった場所に向かう。もうすぐコンサートが始まる時間だ。
鬼の発生源は横浜でも中華街だ。そこには、中華料理店が立ち並んでおり、一歩脇の道に入ると薄暗く生ごみの匂いが漂い、それに誘われて虫や猫のたまり場となる。そして、その道沿いには地下のお店で怪しいお店は数多くある。例えば、賭博や男女の欲を満たす場所の提供、そんなお店だ。
恵は今までそんな場所に行ったことがないので、初めて見る光景に感嘆する。
「すごいな。こんな混沌とした場所に住む人は。私も入ったら意外となじむかも」
『そのあたりだ。』
恵が歩いていると、クモさんがストップをかける。
周囲を見ることに夢中になっていたので、全く気付かなかったが、番地を見れば、ここで問題ないことがわかる。重度の方向音痴である恵でも周囲の人間に聞けば目的地にたどり着くことは難しくなく、彼女は自信を得る。
「ありがとう。私でも簡単に来られたよ。」
『誰に言っているんだ?』
「誰もほめてくれないから、自分で自分を褒めているんだよ。」
『何のために?』
「そうね・・・・自分のため、かな。」
『へえ。』
恵はニコリと笑う。クモさんからの質問に悩んだふりをするが、本当はすでに心の中に答えがあったのだ。彼に言ったように”自分のため”だと。周囲にそんなことをしてくれる人がいなかったから、彼女には心の中に自分を褒めてくれるもう1人の自分を作り出すことでバランスを保っていたのだ。
まあ、褒めてほしい人も頑張ったこともそんなに多くないんだけどね。
恵は肩をすくめて幼稚クモとともに中に入る。
『やっと見つけた。』
そこにすぐ後ろから声が響く。
それに驚いた彼女は後ろに飛びのいて振り返ると、そこには鬼が立っている。本当に口から唾液が垂れている。慌てて幼稚クモの目を確認するといつの間にか真っ赤になっており、声を聞いて会話をしていたおかげで肝心なものに目をやらなかったことを彼女は後悔する。
「こんにちは。鬼さん。いや、鬼さんはたくさんいますから、何か名前を考えた方がいいですね。」
『よしてくれ。俺は別にそんなのほしくない。お前の相手はたくさんいるしな。俺だけじゃない。』
手を開いた彼が言うと、ゾロゾロと恵の前方と背後の脇道から顔を出す集団に彼女は驚愕する。
出てきた面々、最初に話しかけてきた男性鬼も含めて何かに飢えたように唾液を口から垂らしている。鬼は人の欲を食すと知ったのだが、彼らは違うように恵には感じてしまい、その違和感に困惑する。
「まさか、こんなにいるなんて思いませんでした。」
『ここをどこだと?俺たちが最も心地よいと感じる場所さ。そこに1人も集まらないわけがないだろう。それに、この心地良さを失うかもしれないんだから、みんな、阻止する。』
「そう言われれば納得です。最近、いろんな奇怪な事件が発生していますけど、あなたたちがしているんですか?」
『さあな。確かに衝動を抑えるために他の奴らを傷つけることはあるな。』
「ほかの奴?」
『ああ、こんな風になって我を忘れる前に誰かの声が頭に響くんだ。この声はこんな風になる前に聞く。その声には絶対に逆らえない。そして、衝動を抑えるためには人の血が必要なんだ。』
男性鬼の話を信じるのであれば、彼らは吸血鬼に近い存在だ。
吸血鬼も考えようによっては鬼の一種だ。
恵はだんだん謎が解け始めてワクワクしているのが自分でもわかり、顔のにやつきが抑えられない。
「えっと、私はどうなるんでしょう?その話の流れで行くと私は命を狙われそうなのですが?」
『ここに入らなければいいさ。』
「ああ・・・・それは。」
恵は世間話をしながら少しずつ目的場所である地下のお店に続く階段まで来ていたのですぐにそこに駆け込んでドアを開いて鍵をかける。
ドン、ドン、ドン
と音がなるたびにドアが動いているが開かなければ問題ない。施錠だけでは不安だったので、しばらくの間でも時間が稼げるようにちょうどドアの幅以上ある棒で栓をする。
「これで少しはもつかな。」
パンパン
手をたたいて土を落としながら恵は中に進む。
すでにつぶれたようだが、中にテーブルや椅子が置いてあるところを見るとお店をしていたようだ。それも、よくテレビで見るような賭博用の台やそれに使うルーレット、グラスが並んでいただろう棚なんかもある。
「さて、親玉は一体どこにいるんだろう。」
『右だ。』
「また、道案内してくれるの?」
『ああ。だが、思ったんだが、鬼ごっこっていうゲームをしているんだよな?』
「そうだね。」
『それは、こんな風に敵陣に乗り込んでいくゲームなのか?』
「ううん、違うよ。」
『は!?』
恵の平然とした答えにクモさんが驚愕の声を出す。そんな反応に恵は苦笑う。




