35話
恵はいつの間にかベッドに移動していたことに驚きつつも、
「私もとうとう帰巣本能が働いたのかな。」
なんてベッドの上で探偵気取りにも手を顎に当てながら呟いてみる。
しかし、すぐに手を頭に当てて気恥ずかしくなり、
「まあ、そんなわけないか。」
と独り言を言う。
部屋を出てすぐに瑛斗にお礼を言うと、彼は
「いいえ、当然のことをしたまでです。」
とニコニコと言う。
テレビに出てくるような容姿で執事のように言われるとは女子たちにとって憧れになるのかもしれないが、恵は口元を引きつらせる。
彼の目を見ていると、何か良くない、彼女にとっては歓迎されない感情が見え隠れしているように感じるからだ。
それを見て彼女は誓う。
うん、今度からは絶対に自分の部屋で寝よう。
夏休みも半分が過ぎつつある、もうすぐお盆という時期に差し掛かったある日、数か月前に会ったきりの懐かしい人物が家の玄関に立っている。
「お久しぶりです、恵さん。」
「お久しぶりです、立花弁護士。」
あまり歓迎できないが、関わりがあったし家の所有者である佐久良家の人の代理でもあるので無碍にもできず、リビングまで通す。彼がやって来るということは、面倒ごと以外に考えられない。
リビングに向かい合わせに座り、椅子が2脚しかないためソファに座るのかと思えば、瑛斗は恵の背後に立つ。
「桜井さん、ソファに座ってていいですよ。それか、自分の部屋に行くとか。」
「そんな寂しいことを言わないでください。それに、あなたへの事情を私も把握した方が力になれることも多いです。」
「まだ、そんなことを言っているんですか?」
彼が気にしているのは自分のことを認めたら契約を延期するということだろう。だから、彼は事あるごとに何とか自分が必要だとアピールをしようとする。すでに彼がいることが”普通”になりつつあるので、恵は彼があと2年いても構わないと思っている。
しかし、瑛斗はそんな風に思えないのか、不安が大きいようだ。
そんな彼を放置して、恵は彼が用意したお茶を飲みつつ前に座る立花弁護士に問いかける。
「それで、立花弁護士のご用件は何でしょう?」
「お誘いです。」
「誘い?」
聞きなれない言葉に思わず恵はオウム返しになる。
この16年生きてきて、誰かに誘われたことなど1度もないのだ。それは声も裏返るだろう。それを誤魔化すためにわざと咳払いをする。
「唐突でしたね。」
「あなたが唐突でなかったことがありませんので問題ないです。」
「そうですか。それについては申し訳ないと思っております。」
今更謝られても恵は反応に困ってしまう。
だから、彼女は彼に先を促すと、彼は手帳を出したと思えばそれを開く。
「恵さんはお盆はどのように過ごされますか?」
急な話題の転換に恵は首をかしげるも答えは言う。
「いつもと変わりません。ここで過ごしますよ。」
「それではご予定は特にないということですか?」
「予定・・・・家で課題をする予定で詰まっています。」
一瞬のうちに嫌な流れを察した恵は無理やり予定をねじ込む。実際は課題など1週間前にすべて終わっている状態なので都合がつかない言い訳だ。
しかし、この言い訳は通用しなかったらしい。
「それならそれを持参していただいても構いませんよ。ここよりもはかどるかもしれません。」
「持参?」
「ええ。実は当主はあなたに避暑地で過ごさないか、と、おっしゃっています。」
「なるほど。」
恵は立花弁護士の言葉に顎に手を当てて考える風を装う。ただ、頭の中は大混乱状態だ。
避暑地??なに、そのお金持ちあるあるの言葉。
私なんてそんな言葉使ったこともないですけど。
なんで私誘われているの!?
超、怖いよ。
不明なことばかりで恵は内心泣きそう、いや、心の中では泣いている。
「そんなに重く考えないでください。当主はただあなたと過ごす時間を欲しているだけですから。避暑地で空気もよく暑さもだいぶ和らいで過ごしやすい場所です。だから、ちょっと旅行にぐらいで問題ありません。付き合いにくいのであれば、距離を取っていただいても良いのです。」
不安が顔に出ていたのか恵に対して立花弁護士はどこか必死さが垣間見えるほどに言葉の羅列を紡いでいく。数回会っただけの彼がこんなに取り乱している様子は初めて見るので、なんだかおかしくて失礼と思いながらも笑ってしまう。
「いえ、すみません。そんなにこんな子供に必死にならなくてもいいのに、と思ってしまって。冷静な人だと思っていたのでまさかのギャップに・・・すみません。」
恵は1人口に手を当てて口元を隠しているものの声が漏れてしまうほどに笑ってしまう。
それで恥ずかしがらないのは彼の面の皮が厚いからだろうか。
「取り乱してしまい申し訳ございません。ただ、立地は本当に良い場所ですし、当主、あなたのおじい様を含めてあなたのご家族の皆様はあなたとの交流を心から望んでいるのです。それだけはご理解をいただけませんか?あなたに名前を名乗ることさえ拒否されて、あの方たちは大層落ち込んでおられました。」
「それは自業自得でしょう。あなたも顔も名前も知らない相手が突然「家族だ」と名乗ったとして相手を知ろうと思えますか?」
立花弁護士の言い分も分からないではないが、恵にだって彼らと関わらない言い分ぐらいある。
「そのうえ、あの家は世間一般でいうところの名家ですし、そんなところに「娘がいて」なんて話したらスキャンダルの的です。ここは今まで通りにした方がお互いに波風立たなくていいと思いますけど。イメージダウンなんかすれば、業績が傾くのはあっという間です。」
恵の発言を聞いていた立花弁護士は一瞬驚いた顔をしたがすぐに笑みに変わる。
「そこまで考えているのですね。」
「まあ、はい。」
褒められるとは思っておらず、恵としてはただ厄介ごとに関わりたくないための方便で知っていることを総動員しただけなのだが、これが多大に評価されていることに焦る。
「しかし、あの方たちはそれすらも全く恐れておりません。それなど足元に及ばないほどにあなたとの関係修復に必死なのです。」
「修復っていうのは、それまでに築いた関係があってこそ言える言葉だと思いますが。」
「失礼いたしました。関係構築ですね。」
即座の彼の訂正が入るが、弁護士が言葉を間違えるほどに彼は動揺していることがうかがえる。
そして、立花弁護士は恵がどんな言い訳をしようとも頷かない限りここから出て行ってくれることはないとを察する。
「立花弁護士はどうしてそんなに必死なんですか?」
「当主一家の様子を間近で拝見しているからですね。あなた様に対して許されないことは承知していますが、それでもあの方たちの気持ちを私は優先しているのです。ですから、私がここにいるのは弁護士としてではなく、あの方たちに仕える1人の人間としてあなた様に頼みに来たのです。」
彼は言うやいなやスッと立ち上がったかと思うと、床に正座して手をついて頭を深々と下げるのだ。土下座である。
恵は突然の立花弁護士の行動に驚愕して固まっていたのだが、いつまでも大の大人にそんな態度を取らせるわけにいかずに慌てて彼の傍に片膝をつく。
「いやいや、そんなことをしないでください。私はただの小娘ですよ!別にあなたが悪いことをしたわけでもないのに、そんな態度をとる必要があります?そんなに当主様のことを大切に想っているんですか?」
「はい。私たち分家にとって”主家を守る”を大義名分に掲げておりますから。」
ひえ
何の迷いもなく言い切る立花弁護士に恵は悲鳴を上げそうになる。
普通の弁護士だと思っていた目の前の大人が瑛斗のような異常な人に見えてしまう。偏見は良くないと思うが、恵にとって彼ら2人は同じ匂いがする人種なのだ。
半悪魔が人種になるのかは悩みどころだが、瑛斗がおかしいのは人とは異なる血のせいかと思っていたのだが、どうやら純粋な人でも同じようになるため考察は外れていたらしい。
そして、こういう人は本当に粘着質だということを恵はこの数か月で嫌というほど思い知らされているので、もう彼女の答えは決まっている。
「分かりました。避暑地?に行きましょう。ただ、私はあの人たちと関わる気は全くありませんのでそのつもりで。」
「ええ、重々承知しております。」
恵の答えに下げていた頭を勢いよくあげた立花弁護士はそれはそれは歓喜の表情をしている。
「ところで、場所はどこですか?」
「安心してください。そんなに遠方ではなく同じ都内です。」
「どこですか?」
「奥多摩になります。」
へえ、そうなんだ。
恵は全く知らない地名を言われてもピンとこずにただ頷く。
まさか、同じ都内にあるのに電車で2時間以上かかるとは思っていなかった。
住んでいる場所から駅1個分しか行動範囲がない恵にとって電車に乗る行為は初めてで乗り物酔いに苦しむことになる。




