21話
掛川から連絡があったのは、学校で授業を受けている最中だ。
昼食が終わり、みんなが睡魔に襲われる頃、数学の授業でさらに、瞼が重くなる。
そんな中、恵にだけ隣に座る瑛斗の方からバイブの音が聞こえる。携帯持ち込み禁止が校則にあるため見つかれば没収されることが決まりだが、幸い小さい音だったのと、高校生で携帯を持っていないのは恵のように家庭の事情のある人ぐらいなので、教師もたいていには目をつぶる。
しかし、この隣の男子生徒はそんなことを気にも留めないのか、堂々とスマホを取り出して相手を確認し、それから、恵に対して目配せをして教室を出ていく。
廊下ですでに話し声がしているため、誰の目にも彼が通話していることは明らかだろう。あまりの自然な動作に担任でもある鳴海教師が驚いていて彼に注意することさえ忘れているようだ。他の生徒もポカンとしている。
それから少しだけ授業が停止したのだが、それから何事もなかったように再開される。しかし、ものの10分ほどで戻って来た瑛斗は鞄を持つやいなや教壇のほうに向かう。
「先生、申し訳ございませんが、家庭の事情により、私と西・・寺さんは早退します。テストには差し支えないようにしますので、ご心配なく。では。」
「は?桜井!」
言うやいなや、彼は鳴海教師からの制止する声すら聞こえないふりをして、足早に恵に一言「失礼します。」のみ言ってから腕を掴んで引っ張り上げる。
予想だにしていない急展開についていけない恵は彼に引かれるままに歩き出し、教室を出る。
家に帰るのかと思っていたのだが、彼が恵を連れて向かったのは国語準備室だ。ここは国語で使用する古典や現代文の資料が置かれており、生徒たちは入る用事がなく教師たちもほとんど入ったことがないだろう。
瑛斗は躊躇なくその扉を開けてしまう。
普段は鍵がかかっていて開けるには職員室で鍵を借りる許可が必要であるのだが、すでにあいてる状態ということは教師の誰かが使っているのだろう。
瑛斗はそれを知っていたのか、恵をまだ引いて中に入った瞬間、
ピシャン
扉が閉まる。
驚いて振り返ると、扉が閉じられ鍵までかかる。自動ロックなんて大層な整備がこんな古い校舎についているわけもなく、尋常ではないことは恵にもうかがえるし、部屋の中には異様な空気が漂っている。
何か腐ったような酸っぱい感じがする空気で思わず鼻を押さえる。
「いるんですよね?国語担当で私たちのクラスで副担任をしている石川美紀先生?」
彼から出た名前は意外で恵は目を見張り、瑛斗が見ている方向に目を向けると確かに物陰からスッと現れたのは石川教師だ。部屋に明かりがついておらず暗がりでも少しだけ西日のみでやっと人の判別がつけられる状態だ。
しかし、そういう状況からか彼女の顔は恵が試験監督をしてもらっていた時よりだいぶやつれているように見える。あれからも授業を受けていたにもかかわらず、普通に見えていた彼女の顔は真っ青で頬はこけている。
「あら?なんでわかったのかしら。あんなに計画的にしていたし、あの人から教えられた通りにしたのに。これじゃあ、目的も達成できないわ。」
彼女は困ったように頬に手を当てる。その目はどこか虚ろで夢を見ているように視点が定まっていないようだ。
「石川先生、あなたは傀儡術の名門である豊川家の分家の出だったんですね。」
「そうね。私には才能があったわ。まあ、こんな才能はすでに保守的ですたれ始めているから、周囲は目をつぶったわ。同じ顔をしている姉妹もこの力を無視した。」
「でも、あなたを認めてくれる人が現れたんですね。」
「ええ、彼は私のことを認めて、それを含めて”好きだ”と告白をしてくれて”結婚しよう”と言ってくれたわ。彼さえいれば、私は他に何もいらなかった。」
「けれど、その男性は交通事故に遭って亡くなった。」
「ええ、夜に帰宅途中で脇見運転の車に衝突されたの。」
瑛斗の質問に隠しごとをせずに素直に説明する石川教師は遠い目をする。過去を思い返して笑ったり悔しそうな顔をしたりしている。
「それをあなたは受け入れられなかったんですね。」
瑛斗のその一言が引き金だったのか、彼女はそれを聞いた瞬間、足で
ドン!
と床を叩く。女性が出したと思えない地響きのように響く。
「受け入れられるわけないじゃない!私のすべてが一瞬でなくなるなんて!あんな一晩で私の生きる道はなくなったわ!あんな辛い、胸が心が完全にはじける音も辛さも経験していないからそんな淡々としていられるのよ。あなたたちも大切な人がいなくなったら、何か方法を探すに決まっているわ。」
彼女は、フン、と鼻をならす。先ほどまでの丁寧な態度から一転して高圧的な態度に変わった彼女を気にせずに瑛斗はまだ続ける。
「その方法を教えてくれた《《もの》》がいた。」
「ええ、あの人がいなければ、今まで私は生きてこれなかったわ。あの人がこの方法を教えてくれたの。」
「そう、死人を生き返らせる、傀儡の最大の禁忌ですね。」
「よく知っているわね。今は禁忌とされているけど、昔はよく使用されていたのよ。臆病になったから使わなくなっただけ。」
石川教師は嬉しそうに嗤っている。目が虚ろだから奇妙で近寄りたくない人の部類だ。傍目には正常とはいいがたい。
会話が途切れた瞬間、もう話すことはないとばかりに彼女が棚の後ろ側に下がったので、瑛斗に連れられて彼女について行くことになる。
いやいや、厄介ごとなんだから、あなた1人で行って!
恵はもはや泣きたい気分だ。しかし、この緊迫した空気の中、そんな風に自分勝手にはどうしても振る舞えない。
くそ!自分の臆病者!!
恵は内心自分に対して悪態をつき、心の中で地団駄を踏んでいる。
大きな本棚の後ろにはまた広いスペースがあり、その中心には水槽がある。石川教師はその水槽の蓋に頬を近づけて中を愛おしげに見つめている。
そして、水槽の中に手を突っ込んで水中から上がった両手にはそれに包まれた男性の顔が顔を出す。
ひえ、と一瞬叫びそうになるのを口を押えて危機一髪抑えた恵は生きているのかと思うほどにきれいな顔に驚く。
「やっとここまで来たのよ。もうすぐ、彼を生き返らせる。色々と準備が大変だったけど、あと一歩。見ていて、淳さん。私頑張るから。」
彼女はその男性の頬にキスを落とす。
そこには、確かに2人の世界ができているが、恵には滑稽にしか思えないものであり、瑛斗も同じなのか顔をしかめている。
「フフッ、ちょうどよくあなたたちが来てくれたから助かったわ。これでやっと私の計画は完了する。ちょっと計画と違うけど構わない。」
彼女はそう言って指を向けた瞬間、恵の体は一瞬にして金縛りのように動けなくなる。
はあ!?反則技じゃん!
そんなチートな力に恵は思いっきり動かせない口を動かそうとするのだが、そんな奇跡を起こせるわけもなく、ただ唸るしかできない。
それから急に口を開けられたかと思うと、次に石川教師が近づいてくる。彼女が持っているのは何かが入っているだろう中が見えない褐色の瓶だ。どう見てもおいしい物ではないことは確かなそれを飲ませようとする彼女に必死に抵抗する。
「無駄よ。あなたのような一般人では何もできないわ。」
勝ち誇った笑みを浮かべる石川教師にされるがままである。
首を振った瞬間に見えた隣で同じようにもがいているような状態である瑛斗に落胆して怒りも覚える。現状に至った元凶である2人に恵は
ふざっけんな!
と、恵はこの他人によって起きた状況にどうしても我慢ができなくなり、その瞬間、彼女の頭の中で何かがプツンと切れる音がする。
瓶から液体がこぼれ落ちる瞬間だった。




