20話
瑛斗はその日から恵を学校では”西さん”と呼ぶようになり、周囲は怪しみながらも落ち着いた。
提案した夜にひと悶着あったが、どうしても苗字呼びを拒否する彼に、あだ名的に変えた呼び方を提案したのは恵だった。
しかし、なぜかそれを教えて
『一回も呼ばれたことがないから私も変な感じはするんです。』
と恵が言った瞬間、それを気に入ったようだ。目を輝かせ何の用事もないのに、家ですらそれで呼ぶようになった。ただ、彼にとっては”恵”と名前で呼ぶ方が特別であることに変わらないようだ。
「そういえば、あの警察の人から何かそのあと連絡は来たんですか?」
学校から帰宅途中でふと恵は思い出す。この状況を作り出した事件のことをそれより驚愕だった瑛斗のプロフィール事件でかき消されていたことに彼女は苦笑を漏らす。
「いいえ、掛川さんからは何も来ていないです。」
「そうですか。早く解決してほしいんですけどね。そうすれば、私の安全はほとんど保証されたようなものですし。この状況はやはりなれませんから。」
「そうですか。では、私はこれが長くかかることを祈ります。」
恵の本音をニコリと笑ってそれと逆のことを瑛斗は言う。
このやり取りももう2週間も経てば慣れたものだ。彼は今でも歩くたび、いや、そこにいるだけで注目を集めることには変わらないが、学生には馴染めているだろう。友人のような存在もできているようで、恵がボッチなのは変わらないが、彼の周囲は人が途絶えることがない。
この間の試験で彼は突然学年1位に成り上がり、3日前ほどに行われた長距離走では堂々の1位を飾っていた。つまり、成績優秀、容姿端麗、そのうえ運動神経抜群、という絵にかいたどこかの漫画の主人公然とした彼に寄り付かない人はいないということだろう。
そのおかげで、恵は彼と終日一緒という状況を避けられているから幸運でもある。
どうせ、学校にいる時間以外はほとんど一緒の空間を共有するので、そこだけでも離れている時間があっても良いだろう。
恵はその息抜きのおかげでこうして正常に彼と会話が成り立っていると考えている。
「1つ訊いてもいい?」
「はい、どうぞ」
「以前言っていた傀儡術って、その人に触れないと使えないものなの?あの人たちはその術によって亡くなったの?それとも、殺害されてからその術にかかったの?」
「1つじゃないじゃないですか。」
頭を整理しながら恵は質問しているので、面白がるように瑛斗に突っ込まれてしまう。しかし、それはしょうがないというように、恵は苦笑をして軽く平謝りだ。
「ゴメン、でも、気になるんです。未知の世界だから興味があるのかもしれません。」
「そうですか。あなたが興味を持っていただけることは私にとってはうれしいです。ただ、こんなことがきっかけであってほしくはありませんでしたが。」
瑛斗の言葉の最後のほうがゴニョゴニョと呟いたようで恵には聞こえず、ただ、どこか後悔をしているように眉間にしわが少しだけ出ているので追及もしない。
「それで、どうなんですか?」
「そうですね。どちらでもあり得ます、とだけ言っておきます。傀儡はとても便利なんです。死体でも生者でも術は特殊ですし時間も対価も必要ですが、一度できてしまえば、それが無くならない限り使い続けられます。だから、あなたの言った方法で言うなら、生者に使用した場合は使い続けられ理性も失いおそらく堕落するための薬で狂暴化し、死者になったことが1つです。もう1つは死体に堕落の液体をしみ込ませて、傀儡で動かして狂暴化に見せかけた。」
「”見せかけた”?ということは、彼らは正常、というのもおかしいのか。死体であった可能性もあったということですか?それと、”堕落”ってなんですか?」
瑛斗の説明にますますわからない専門的な言葉に恵の疑問は止まらない。
「”堕落”っていうのは、人の潜在的能力を引き出させるものです。人には理性と本能があります。ご存知ですか?」
「はい、それは知っています。」
「堕落は理性をなくし本能に忠実にさせるもので、人ならざるものの血でできている、と言われています。実際にどんなものか私たちも詳しくはわかっていません。彼らの爪や歯があのように獣のように転じたのは薬により人の中に眠る成長力が増加させられたことが原因です。堕落によってあのような形態になることはあります。人ならざるものの中には、人を買いならす趣味があるものもいるようですが。」
「へえ、すごいですね。じゃあ、以前桜井さんが言っていたように、傀儡をした人の裏にその人ではないものがいる可能性は高いじゃないですか?」
「そうですね。確率でいえば。」
「なるほど。」
おいしそうに湯気が立つ食事を前にしてする会話ではなかったな、と恵は反省して、そこで会話を切る。メインのハンバーグに使用されている肉ミンチを思うと恵は心が痛んだ。あんな話をしたことで、一時ではあるが知り合いとなった同級生の姿を思い出してしまった。
「何か追加で情報が入ったら知らせるから思い悩まないでください。恵さん。」
「ワカリマシタ。」
別にそんなことを言ってほしいわけではないんだけど。
胸を押さえていたからか、彼は恵が答えが出ずにムカムカしているのだとでも思ったようで全く見当違いのことを言ってくることに呆れる。
モテる人は相手の心がわからないというのは、漫画では常識だが、それは現実でも同じなようだと彼女はここで学習するのだった。
こんな膠着状態が続いていたのだが、警察である掛川から連絡が来て事態は急激に動き出す。




