111話
柊と顔を合わせたのは、三者面談の翌日だ。
「おはようございます。」
と、朝食の準備ができた際に部屋まで呼びに来る彼女はいつものように挨拶をする。だが、恵はその彼女の声音がそうではないように思えて首をかしげる。
「おはようございます、柊さん。体調悪いんですか?」
と、恵は尋ねる。普段、人に深く関わろうとしないのだが、彼女がおかしくなるのは鳴海教師のことでしか考えられず、その原因を作ったのは元をたどれば自分であることを恵は知っている。不可抗力とはいえ、もし彼女に何かあれば、恵が責任を取らなければならないだろう。その際、いきさつぐらいは認識しておきたくて恵は現状把握に努める。
「いいえ、問題ありませんので、お気になさらないでください。ただ、少し時間休をいただくかもしれません。」
と、彼女は苦笑して言う。
彼女の目は何か恥じらうようだったので、恵は杞憂だったかと思い一安心する。
「そうなんですね。今から朝食ですし、当主様たちには私から言っておきますから、今日は休んでもらってもいいですよ。もともと、私に付き人なんて大ごとなんですから。」
恵は彼女が不安になっているだろうことを解消するために言う。しかし、それを聞いた柊は微妙な反応をする。少しだけ悲しそうな、しかし、何か思い悩んでいるような。彼女は何かを言いかけて口を開いた瞬間、「恵さん」と後ろから声がかかる。そこには、恵と同じように制服を着た瑛斗が立っている。
「おはようございます、桜井さん。」
「おはようございます、恵さん。そこに立って何をしているんですか?」
ああ、と恵は視線を巡らせて柊の方を一瞬伺うと、彼女は俯いているので適当にごまかす。
「ただ、柊さんとあいさつをしていたのと、彼女が私に対して休暇の話をしていたので朝食の際に当主様に言っておくって言っていただけですよ。」
「かしこまりました。当主には学校への付き添いは私だけでも事足りていますから、問題ないことも添えておきます。柊さんは休んでいても支障はないですからゆっくりしてください。」
「はい、ありがとうございます。」
恵の言葉に瑛斗が後押しをしたのだが、柊は言葉とは逆にどこか悔しそうな顔をしている。それが引っ掛かっているのだが、恵は瑛斗に促されてダイニングの方に入る
朝食は毎日でなくても週の半分ほど佐久良家の人がそろうときがある。恵はあまり朝食を食べないので、朝はごはんを茶碗の半分ほどとゆで卵と海苔と梅干し、あと食後のフルーツだ。恵はごはんの前に当主であり祖父の敏明に話しかける。
「当主様、お話があるのですけど。」
「ああ、なんだ?」
恵が話しかけることはめったにないので、敏明は呼び方を残念に思うがそれでもにっこりと笑って対応する。
「柊さんに今日休暇を上げたいんです。」
「ううん?まあ、良いだろう。それはわかったのだが、なんで恵がそれを言うんだ?」
「柊さんは私の付き人ですし、今日は体調が悪そうだったのでお休みを上げたいんですよ。あの人、時間休というのを取ろうとしていたようなんですが、それだと疲れが取れないじゃないですか。」
「本当にそれだけか?」
「はい、もちろんです。」
当主という役割からか、たまに彼は恵相手でも探るような目を向けてくる。本当にたまに恵が何か隠し事があるときだけを狙ったようにしてくるので、一切気が抜けないのだ。恵はドキドキする心臓を何とか抑えて敏明とにらめっこを数秒すると、彼の方が目をそらす。
―――勝った
恵は内心こぶしを握る。
「まあ、良いだろう。だが、付き人が休みなんだから、瑛斗、そのあたりはお前がカバーするように。あと、代理で1人誰かを恵が帰宅するまでに準備させよう。」
「いいえ、以前から言っていますが、そういうのは必要ありませんよ。それに、今日は帰宅時間はかなり遅いですし。」
「何だと。恵、そんなに学校でこき使われているのか?」
恵から出る初めての発言に敏明は怒ったような顔をしており、周囲は驚きと心配の顔をしている。恵はそれに過保護の家族に呆れる。
「学校の用事ではありません。私用です。」
「誰かと会うのか?」
「まあ、会うかと言われれば、多分。」
「誰だ?男か?」
敏明の声はだんだん焦燥しているのが、恵にも伝わる。
―――この人たちは一体私をいくつだと思っているのだろうか。
恵は呆れてしまい、敏明に対して言葉を発しようとして口を開いた瞬間、瑛斗が言う。
「当主、ご安心ください。私が恵様をお守りしますから。悪い虫がつくようなことは万が一にもありません。」
「そうか。瑛斗、頼んだぞ。」
「はい、当主。」
当主は瑛斗の言葉に安堵する。他の佐久良家の人もなぜか一様に同じ反応をするので、恵は納得いかない。
ただ、ここで一切口を開かない父の貴明から声がかかるのでそんな感情はどこかに消える。驚愕が自分の中を埋め尽くす。
「恵、夕食までには帰れるのかい?」
「帰宅は夜遅いですから、夕食はいりません。歩きで移動なので車も大丈夫です。」
「そんなに遅いのか?」
「そうですね。それぐらいになります。いつものことなので気にしないでください。」
「ちなみに、どこに行くのか教えてもらってもいいか?」
「居酒屋行ってカラオケ行きます。」
「は?」
「だから。」
「いや、聞こえなかったわけじゃないんだ。」
恵が再度言おうとしたら、貴明が止める。彼が何を心配しているのか恵は察してニコリと笑う。
「もちろん、制服はトイレで着替えるんですよ。私服に。」
「いや、それも大丈夫なんだ。いや、むしろ、そこまでして行く理由があるのか?」
「ふふ、たまには遊ばないといけないでしょう。」
恵は大人ぶって笑って見せる。
この時にイメージするのはとある泥棒アニメに出てくる某キャラクターだ。秘密が多い泥棒女性だ。
誰ももう突っ込まないので、恵はごはんを食べる。
とりあえず、恵は目的だった柊の休暇を取れたので安心して瑛斗とともに学校に向かう。車内で瑛斗は一言も話さないので静まり返っており、運転手は気まずいようでフロントミラーから見える彼の表情は無だ。固まった石のようになっている。
学校では通常通りに過ごし、鳴海教師はいつも見ている様子と変わらないように見えたので違和感があったのだが、恵は彼が公私混同はないタイプであると考えて無視をする。そうして、学校も終わったところで恵はいつもより大きいカバンを持って学校を出る。もちろん、瑛斗も一緒だ。
恵と瑛斗は駅のトイレでサッと着替える。恵は最初早く着替えて置いていこうと考えたのだが、トイレから出たらすでに待っていたのであきらめる。
「本当についてくるんですか?」
「何度も聞かないでください。あなた1人で歩かせられるわけがないでしょう。まあ、恰好がいつも通りで安心しました。」
彼は恵の頭から足先まで眺めながら言う。
今の恵の恰好は愛用のジャージ姿だ。浮浪者と言われてもおかしくないような恰好をしている。
「ジャージを馬鹿にするなんて神様に嫌われる所業です。」
「いいえ、馬鹿にはしていません。」
恵は言い訳をする瑛斗の横を通って駅から出る。
「どこに行くんですか?」
「居酒屋ですよ。」
「本当に行くんですか?」
「はい。」
恵は頷いて瑛斗と一緒に近くのお店に紛れ込む。ちょうど客が空いているときだったのですぐにカウンター席に案内してもらう。カウンタ―の方が座りやすい時がある。
恵は瑛斗と並んで座ると飲み物をオーダーして食事を見る。それを見るだけでワクワクする。以前、奥多摩に行って探検をした際に入ったお店で食べた家庭料理というか、つまみ料理の味にすっかり恵は魅了されている。鼻歌まで歌ってしまう。
「やっぱり、派手な料理もいいですけど、こういう料理もいいですね。」
「そんなに好きなら頼んではいかがですか?あの方々はお酒は強いはずですからつまみも出たらうれしいでしょう。」
「晩酌ならそうですけど、夕飯ではなかなかハードルが高いですから。」
恵は苦笑する。
「はい、だし巻き卵とたこわさびときゅうりの一本漬け。」
と言った大将からカウンター越しに直接渡される。
恵は久しぶりに食べる期待感で運んだ料理に感動して気分が上がる。
「若いカップルだからオマケしておいたよ。」
頬っぺたが落ちそうなほどにおいしさを表現していたら恵に大将は言う。それに感激して彼女は笑いがこみあげる。
「いらっしゃい・・・あら、実君、久しぶりだね。」
「ああ、おばさん。どうもこんばんは。」
その声に恵は驚いて飲み物がむせる。
―――よかった、たこわさびとか口に入れていなくて。窒息するところだった。
恵は安堵するが、背中から聞こえる声が恐ろしくて全く振り向けない。
「実君、今日は1人じゃないのね。」
「はい、昔の知り合いでたまたま職場で会ったので連れてきました。久しぶりに食べたかったから。」
「じゃあ、色々サービスするわ。」
「いや、そんなに気を遣わないで。ほら、凛子、行こうか。」
二階を勧められた2人はどこかに行ったようだ。名前が出てきたから恵は顔を見なくても彼らが誰かを分かってしまう。
「なるほど。恵さんが休暇にこだわったのはこのためだったんですね。ついでに、お節介を焼こうと?」
「ううん!そこまでは考えていなかったです。これは予想外です。」
「本当に予想外のようですね。」
首に痛みが走るほどに首を振る恵を見て瑛斗は微笑する。
―――なんで、あの2人がこんな場所に来るの?デートならどっかのレストランなんじゃないの?知らないけど。
恵は1人で2人のデートプランに突っ込みを入れる。そして、今後のことを考える。




